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Lifestyle40代にはまだLOVEもドラマもあっていい!

読者の体験談「モラハラ夫」に戦わず勝つ方法とは

毎日嫌な澱が少しずつ溜まるようにじわじわと自尊心を傷つけられるのが、モラルハラスメント。管理職世代になった夫から日常的に繰り返されている40代も多いと聞きます。今月は戦わずして勝った妻の物語です。

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目次 ★ モラ夫とうまくやる方法

モラ夫とうまくやる方法

◯ 話してくれたのは...未唯子さん(仮名)

神奈川県生まれ。中学から大学までエスカレーター式の学校で過ごす。卒業後はメーカーに2年勤務し、24歳で結婚。読書・旅行が趣味。45歳過ぎてからスポーツクラブに通い始め、体調を整えるようにも。ピンク・レディーの未唯さん似のスタイル美人。長女23歳、次女21歳。
夫 東京都生まれ。小学校から大学までエスカレーター式の学校で過ごす。卒業後は都内ホテルに就職。41歳で転職し、今に至る。趣味はゴルフとスポーツ観戦

結婚して24年。真剣に離婚を考えたことはなかったけれど、危ういことは何度もありました。夫婦というより、私一人でかな? 何とか乗り越えてきました。結婚は乗り越えるためにあると最近は思えるんですよね。

夫は大学のテニスサークルの2歳年上の先輩。私も夫も同じ大学の付属出身で、お互い恵まれた環境の中で育ってきたと思います。大学2年生からお付き合いが始まり、価値観も気も合って、一緒にいると楽しいし、私は夫のことが大好きでした。結婚は先だと思っていたのですが、女性の結婚年齢はクリスマスケーキと言われていた当時、25歳までに結婚しなさいと両親に焦らされ、卒業後ホテル業界に入った夫にとっては時期尚早だったとは思いますが、24歳と26歳で結婚。私はメーカーを円満退社。結婚翌年に長女を出産、2年後には次女に恵まれました

夫のお給料も十分とは言えませんでしたが平均的なレベルよりは高く、まだまだこれからだと思っていたので不満はありませんでした。ところが夫は常にお金がないと悩んでいました。そもそも夫は裕福な家庭で育ち、結婚後も独身時代と変わらずブランド物の服や靴を買ったり、話題になっている高級レストランに行ったり、かっこつけて後輩におごったりするところがあり、それに関していつも注意していました。考えが甘くて、物欲が優先してしまうんですね。

車もローンでアウディを買って、子供の塾代がかかるようになってからは、生活費を減らされてしまい、こっちは大憤慨。常にお金のことで揉めていました。本当なら年1回の家族旅行は行けるくらいの収入はあるはずなのに、娯楽は一切できず、私に内緒でお金のやり繰りをしているような感じが漂っていました

ただ仕事はできるようで、順調に出世もして、お給料も上がっていました。だから夫の分不相応なお金の使いすぎが家計を切迫しているのは明らかでした。結婚して8年目頃に、夫の机にカードの明細書が置いてあり、ちらっと目をやると100万円近くリボ払いをしているのが見えたんです。あーやっぱりと思うのと同時に、リボ払いといえども借金ですから大ショック。他にもカードを持っていたので、それぞれでリボ払いを抱えていたと思うんですね。額ははっきりしませんが300万円以上はあったと思います。

そもそも夫は亭主関白。子煩悩で子供の面倒は見てくれましたが、家事は一切しない人。常に私には上から目線で、少しの家事の失敗に対しても「無能」と言い捨てられました。プライドが高いので、自分のものを私に見られたりは許せないタイプ。明細を見たことを言うと大喧嘩になることがわかっていたので、嫌な思いを抱えながらも、しばらく様子を見ていました。

相変わらず私には節約を促しますが、自分がリボ払いで困っていることはおくびにも出さず、豪放な生活はその後数年続き、さらに車も買い替えたんです。はらわたが煮えくり返る思いでしたが、「少しでも貯金しよう」「子供にお金がかかる」などと夫の機嫌を見計らって遠慮がちに言っては、そのつど喧嘩になり、夫婦関係は悪化していく一方でした。

しかし忘れもしない2006年。会社の経営状態が悪くなり、将来有望だったはずなのに地方のホテルに飛ばされてしまったんです。それまでは内勤業務でしたが、苦手な接待業務を命じられました。本人にとっては屈辱的で相当落ち込んでいました。でも子供は二人とも小学生で、借金もあるから会社は辞められない。私からは嫌みを言われ、家庭の雰囲気も悪く、夫は八方ふさがり。もちろん私も同じような絶望感で毎日を過ごしていましたが、不思議と離婚しようとは思わなかったんですよね。子育て真っ最中でしたし、ここで踏ん張って頑張ろうという気持ちのほうが強かったのです。

でも友人は経済力のある人と結婚して豊かな生活をしている人が多く、相談もできずとても自分が惨めに思えました。そして、遂に夫が、私の両親にお金を貸りたいと言ってきたんです。今までも子供の七五三や入学式のとき、数回両親に援助してもらうことがありました。夫は依頼心が強く、私も甘くて両親に頼んだことがありました。でもまた借りたら、一瞬は楽になるけれど、同じことの繰り返しだと思ったんですね。私は、「両親も70代。自分たちの老後のためのお金を出してもらうのは無理」ときっぱり断りました

すると今度は私が始めていた花屋さんでのパートをあてにしてきて、収入の良いパートに変わり協力してほしいと言ってきました。それも「今で精一杯で無理」と冷たく突っぱねました。夫は瞬間湯沸かし器のように怒り、しばらく私を無視するようになって、このままどうなるんだろうととても不安でした。でも、私からも無視したり怒ったりしたら夫の性格上、夫婦は終わってしまうことが目に見えます。だから私が耐えるしかなかったですね。

ところがある日家に帰ったら車がなくて、いつの間にか車を売っていたんです。驚きました。急に夜の付き合いも控え、家に早く帰ってくるし、買物をしている様子もありません。ますます驚きでした。そんな中でも夫は何も言わないし、私も何も言わなかった。時間はかかったけれど、決して逃げずに、自分の力で借金返済を始めた様子が何よりも嬉しかった。いつまで続くか不安でしたが、静かに見守ることにしました。

私も、喧嘩の原因となるお金の話は一切やめて、楽しいことを笑顔で話すようにしました。そして朝は夫が好きなサンドイッチを作って送り出し、夜は夫の好きなものを作って家族で食卓を囲みました。夫が喜ぶようにシーツを綺麗に敷いたり、枕をふかふかに整えたり、あえて借金返済には一切協力をせず外側から応援しました。でもそれでは私自身が息がつまるので、パートのお金は自分のために使い、友達とランチに行ったりと自分にお金をかけるようにしたんです。

地方勤務になって2年後に、夫に外資系ホテルへの転職話が持ち上がりました。きっかけは知人の紹介でした。迷いましたが、結果的に41歳のときに転職。年収も1・2倍になり、仕事内容も満足していました。退職金の一部で借金を返した形跡はありましたが、その後も夫の節約生活は続きました。習慣とは不思議であんなに浪費家だったのに、慣れてしまえば車がないことも飲み会に行かないことも苦ではなくなるようです。いつの間にか生活が完全にシフトしていたんです。

やがて転職から2年後にハワイへ連れて行ってくれました。そのとき当時流行っていたセレクトショップで、ぽつりと「欲しいけど、俺、買ってもいいのかなあ……」って自分自身に呟いたんです。それを聞いたとき、これまでずっと家族のために我慢してきたんだ、と涙が出そうになりました。ホテルに帰ると、借金をすべて返済したと嬉しそうに話してくれました。我慢してよかった、気持ちがすっきりした瞬間でした。長い節約生活で、夫は完全に節約が身に付き、今では子供が電気をつけたままにしておくと怒るし、無駄を嫌がり、それはそれで窮屈ですが、安心して暮らしています。

とはいえ、そもそもの亭主関白は変わらず、モラルハラスメント的な部分もあります。上から目線だし、喧嘩すると何日も口をきかなかったり、自分にストレスがあると私に当たったり……。不満は挙げればきりがありません。なんで離婚しないの? と思う人もいるかもしれませんが、私にとっては唯一無二な人。よいところも認めているし、何より一緒にいると楽しい。それがわかっているから離婚はしたくない。今後も何が起こるかわからないし、楽しいことより苦しいことのほうが多いかもしれません。でも人生の荒波を乗り越えるために夫婦でいると思えば、一人でいるより容易く乗り越えられると確信してるんです。

取材/安田真里 イラスト/あずみ虫 ※情報は2018年掲載時のものです。

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