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W不倫。息子を大切すると言いながら自分を大切にしていた反省が今もあります

昨今の不倫に対する世間の風当たりの強さといったら凄まじいものがありますが、全て「悪」と十把一絡げにしてしまうのはどうでしょうか。夫婦の問題はその夫婦にしか分からないもの。大切なことはこれからの人生を幸せに過ごせるかということを今回の読者さんが教えてくれます。

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目次 ★ W不倫ですけど何か?

W不倫ですけど何か?

◯ 話してくれたのは...宮本信代さん

新潟生まれ。大学卒業後国内航空会社のCAとして入社し、25年間勤務。26歳で結婚、30歳で長男出産。38歳で離婚し、43歳で再婚と同時にNYに駐在し、47歳で帰国。姉御気質で面倒見がよく、明るく気さくな人柄。若い頃の宮本信子さん似の正統派美人。
夫 東京生まれ。大学卒業後メーカーに勤務し、結婚した25歳から約20年間イギリスに駐在し44歳で帰国後離婚。49歳で再婚。穏やかで優しく真面目な人柄。趣味はゴルフ。

友人の紹介で出会った元夫とは結婚ブームに乗って26歳で結婚。タイプではなかったのですが、面白くてセンスもよい人。大好きでしょうがないというより、一緒にいて楽しければいいという感覚で結婚しました。元夫は実父が経営する中小企業の専務、私はCAで世界中を飛び回っていました。理想通り、共通の友人がよく遊びに来て、とても楽しい日々でした。

やがて30歳間近で妊活に挑戦したら1回で妊娠。長男出産後は産休を取り、31歳で元夫の地元の千葉に義母との二世帯住宅を建てて、引っ越しました。義父母は別居していました。エステサロンを経営する義母は尊敬できるステキな人で関係も良好、産休明けも長期間のフライトのときは子供を見てくれ、本当に助かっていました。

ところが地元に戻った彼は、テニスにサーフィンと遊びまくり、家を空けることが多くなりました。元来元夫はなまけもの。父親のコネで就職が決まったのに留年したり年4回はハワイに旅行に行き、そのたびにちょくちょく休みを取ったり。甘えているというか努力家じゃない。ずる賢いところもあって、仕事もいい加減で適当。疑問に思いながらも楽しく暮らしていましたが、今思うと離婚に向けて歩き出すきっかけが2度ほどあったのです。

1度目は、ある日夫の帰りが遅くて、何かあったのではと心配して、やっと帰宅した時に文句を言うと、「俺のテリトリーに入って来るな。君も自分で自分の世界を作れ」と言われました。要するに私が邪魔なんです。すごくショックでした。女性の影とか、そういうことではなく、彼の考え方に不信感を抱くようになりました。この言葉はずっと頭に残ってしまったんですよね。

そして2度目は、その数年後に脳出血で救急車で運ばれ、ICUで一週間を過ごしたとき。結果的に良性腫瘍が原因でしたが、一時は明日までもつかどうかと言われ、自分の人生を後悔したくないと思うきっかけになりました。でも離婚は考えてないし、心に10%ほど潜んでいるという状態でした。

実は元夫の会社も弟が入社して以来、義父と兄弟関係がぎくしゃくしたことが原因で、遂に元夫が会社を辞めてハワイアンレストランをオープンすることになりました。長い間うだうだ過ごす彼を見ていたので、やっとやりたいことを見付けた、頑張ってほしい、またこの人を愛することができるかもしれないと私は前向きに考えました。お店が軌道に乗るまでは私が生活費を出せばいいし、3カ月間ハワイに修業に行く費用も出してあげました。でも期待だけでした。

帰国後オープンしても、経営は従業員に任せ、自分は家にいるんです。まさに本性見たり。私は完全に失望しました。当時私はと言えば、料理洗濯掃除、土日も1週間分の子供のための用意に明け暮れ、しかも生活費は100%私。元夫はお金を使うだけで全く手伝ってくれません。さすがにどんどん気持ちが引いて行きました。例え経営が大変でも一生懸命働いていれば離婚はしなかったと思います

普通にしているつもりでしたがどこかで彼を馬鹿にしていたし、そうすると元夫はいじけて荒み、家にいても面白くなくてまた遊びに行く。悪循環のスパイラルにはまっていました。「テリトリーに入って来るな」という言葉がどんどん大きくなって、私もやりたいことをやろうと思いました。そんなときCAの友人に合コンに誘われました。再婚を考えたこともなかったけれど、参加してみました。そこに素敵な男性がいたのかは今や覚えていないですが、楽しかった。その後も数回参加し、淡い恋心を抱いた人もいましたが、一線を越える勇気もなかったし、恋に恋してるような感じ。「テリトリー」の言葉が、いいんだと罪悪感のエクスキューズのようになっていました。

やがて今の夫と出会いました。ロンドンに1人でフライトしたとき、一緒にご飯を食べる人を友人が紹介してくれたんです。それが夫でした。夫は駐在で20年間イギリス在住の妻子持ち。カッコいい人という触れ込みでしたが、そんなに素敵と思わなかったことを鮮明に覚えています。一方夫は初めて女友達になれそうと思ったそうです。

連絡先の交換をしてその日は終わりましたが、以降イギリスのフライトがなぜか続き、その度に連絡を取り合ううちに、夫の方も妻に外国人のテニスのコーチの恋人がいる不貞を知りながらも、娘が20歳になるまでは仮面夫婦を続けていることがわかりました。互いの身の上を話すうちに次第に残りの人生を共にしたいと思うようになり、男女の関係に発展。形はW不倫ですよね。底知れない罪悪感を抱えていました。

一方で、夫婦としてはそれが原因というよりも、何度も離婚届を書いては息子のことを考えて思い留まる日々。夫は離婚はしたくないけれど、優柔不断さとプライドとで書いてくれたんです。遂に5度目、ふとしたきっかけで自転車に乗って市役所に出しに行きました。38歳でした。でも息子のため、そのまま同居を続けていく形を選びました。妻でも夫でもなくなったけど、息子のご飯だけを作るわけにいかないし、結局生活費は私が負担。一層元夫は何もしません。稼ぎのない男性がこんなに惨めになるのかと悲しくなりました。

しかし彼にとってはこんないい話ないわけです。私の不満は溜まり、子供に当たってしまい、これでは本末転倒。3カ月後、遂に10歳になる息子に事情を話しました。「このままだとママはダメになるから、ママの幸せ考えて」というと、「ママは僕の幸せを考えていないよね」と。それで思い直してもう1度頑張りました。でもダメでした。迷いましたが、近くにマンションを借りて家を出ることに

結婚生活の間、私が家にいるのは月10日で、あとは義母が育ててくれたので、息子は家に残りたいと言いました。「すぐ近くにいるから、寂しくなったらおいで。パパとご飯食べにおいで」というと、わかってくれましたが、非常に辛かったと思います。私も心が張り裂けそうになって家を出ました。

今の夫は数年前に帰国。そして私が離婚して半年後に離婚。奥さんは離婚したかったので、夫の決断だけでした。夫は私が現れたから決意をしました。とはいえ、結婚も一緒に住む気もなく、恋人として6年の月日が流れます。夫はコアラみたいに穏やかで、元夫に振り回された私は心からの安堵感を感じることができていました。

その後夫のNY駐在が決まり、妻でないと同伴できないので、それを機に入籍したんです。しかし息子と離れることになります。離婚後も連絡を取り合っていた義母に相談し、息子に話そうと思うと言うと、「自分は言い捨てて行けばいいけれど、子供は傷つく。あなたは子供に嘘をついている罪悪感を抱えて行きなさい。それがあなたの責任です」。立派な義母です。その通りだと思いました。息子には私が転勤になり、しばらく会えないと嘘をついて旅立ちました。会社も辞めました。

悲しい思いを抱えながらも2度目の新婚生活は幸せでした。出会って10年近く経っていましたが年々夫への愛情は深まっていました。初めて夫のお給料で生活する安心感も得ました。そして2年前に帰国。住むのはどこでもよかったけど、今も子供の近くに住み、大学生になったときに再婚したことを話し、時々会っています

息子を大切すると言いながら自分を大切にしていた反省が今もあります。私の努力が足りなかったと思うこともあるんです。最後に義母から「あなたを幸せにできなくてごめんなさい」という手紙をもらい、偶然同時に「●●さんを幸せにできなくてごめんなさい」と書いた手紙を私も渡しました。その一文に慰められながらも、反省を一生抱え、人生を大切に歩みます。今の夫とは努力することがないほど自然ですが、ただ新しい義父母を大切にしています。夫が喜ぶし、何より幸せをくれた人の両親だからです。

取材/安田真里 イラスト/あずみ虫 ※情報は2018年掲載時のものです。

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