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Lifestyle40代にはまだLOVEもドラマもあっていい!

ラブラブで結婚したのですが、子供が産まれたら女は変わるものですよね

子どもが産まれるとこれまでの夫婦関係は確実に変わります。夫へ向けていた興味関心は確実に目減り。女からしたら、それって仕方ないものです。子どもを産んだ後からが夫婦の真の相性の正念場であることを今月の読者さんが教えてくれます。

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目次 ★ 夫婦の相性って何だろう

夫婦の相性って何だろう

◯ 話してくれたのは...竹たか子さん(仮名)

横浜生まれ。資産家の家庭に生まれ中学受験で女子御三家に入学。大学も希望の通りのブランド校に入学。25歳で結婚、30歳で長男を出産するも36歳で離婚。40歳で行政書士の夫と再婚し、今に至る。松たか子さん似の爽やか美人。専業主婦。
夫 東京生まれ。資産家の家庭に生まれ小学校から大学までをエスカレーター式の私立で過ごす。40歳で行政書士の資格を取得。趣味は旅行、ドライブ。

割れ鍋に綴じ蓋ということわざがありますが、再婚をして、まさに相性のいい相手はいるんだなーとつくづく実感しています。

女子大生の頃、アルバイトでモデルをしていた私は、当時話題のTV番組に出演したとき、その番組のレギュラーだった歌手の元夫と出会いました。芸能人と言っても1歳年上の元夫は大学生で、偶然にも共通の知人が何人もいて、意気投合。まもなくお付き合いをするようになり、同時に仕事も手伝うようになっていきました。もともと人の世話をするのが好きな私に対して、元夫は好きなように世話をさせてくれる人で、気付けばマネージャーとしても、経理も見るようになって、一緒に事務所も設立。大学卒業後は私は事務所の社長として、ともに仕事をする関係になりました。

今思うと若気の至りで、お互いの育った環境のことなどまるで考えずに、25歳のとき結婚。互いの両親も賛成してくれたんですよね。家事も好きだった私は毎日料理も作り、1から10まで彼の世話を焼き、24時間365日一緒でした。遠距離恋愛などは考えられないタイプで、常に好きな人とは一緒にいたいほう。だから本当に幸せでした。

ところが30歳で出産した途端、状況は一転しました。私は息子が可愛くて可愛くて、子のことしか見えなくなってしまったんです。夫に世話を焼いていたのが全部子に向くようになって、夫は放り出されたような気分になっていたと思います。家でできる経理以外の仕事は人に任せるようになったし、夫は新しい事務所に入ることにもなりました。あの頃の私は本当に極端だったと思います。

子育てに対する方針も明らかに違い、同じスピードで男性が親になれるわけじゃないと今ならわかりますが、当時は元夫の息子に対する気持ちが希薄に感じ、とても不満に思うようにもなったんです。その一方で、私もそうだったように、お受験が当然と思っていた私に対して、夫はそれほど望んではいません

息子は赤ちゃんのときから個性の強い子で、小学校受験より幼稚園受験の方が向いていると思い、是が非でも入れたい学校を見つけていました。幼稚園受験は、1歳から塾やお稽古に通い、家庭でのすべてが受験に繫がっていきます。食事の仕方から言葉遣いまで、両親ともに制約ができ、気を付けなければいけないのです。それは私にとっては当たり前のことでしたが、元夫にとっては異次元の世界。理解不能だったようで、意識が低いんですよね。そんな夫の日々の態度に怒ることもしょっちゅうで、夫婦の間は日々ぎくしゃくしていました。でも受験は成功し、第一希望の学校に合格したのです。

受験が落ち着くと、お互い我慢していたことが噴出しはじめました。ある日夫が私に「うちの学校、ってよく言うよね」と。実は夫の大学は私の出身大学より偏差値が1ランク低い。私は何とも思っていなかったのにコンプレックスを抱いていたんですね。私の学生時代の友人に会うことも嫌がるようになったり、最後の方は浮気も発覚しました。でももうそんなことはどうでもよくって、会話しても同じ次元で話せていないから、夫が宇宙人にしか思えませんでした。

その前に夫の浮気が原因で離婚した親友が「夫の話がオランダ語を話しているみたいだった」と言っていたのですが、まさしくそうで、理解ができなくなると夫婦はダメですね。もう一刻も早く別れたいと思い、タイミングを見計らっていました。ある日夫と大喧嘩したときに夫の手が出て、「離婚したい」と言うと、「わかった」と家を出ていきました。養育費はもらい、私立に通う息子のために離婚したことは人に話さないことを約束して、離婚はすんなりできました。ほんと気持ちもあっさりしたものでした。36歳のときでした。

私と息子は、ありがたいことに両親の協力も得て、養育費も貰っていたので安泰に生活を送れていました。やがて落ち着くと友達に会うようになって、離婚から2年後、友人の結婚式で大学の同級生の男友達に再会しました。その人が今の夫です。実は大学生のとき、彼が私を好きだと噂で聞いたこともあったのですが、再会したときはそんな雰囲気はまるでありませんでした。偶然にも彼の姪っ子と息子が通っていた塾が一緒だったことから話が弾み、彼自身もまさに息子の小学校受験の真最中だとわかりました。

その日はそれだけで終わりましたが、その後友人も一緒の集まりで再び会うことになるのです。自然とお受験の話になって、夫は母校に入れたいと強く思っているけれど、妻は学歴に対する意識が低く、価値観が違いすぎることを話しました。うちとまったく真逆なんです。お互い愚痴を言い合い、そして受験終了後に離婚する方向で話が進んでいることも話してくれました。私は離婚経験者だったので、話がすごく合ったんですね。

そうしているうちに夫もお受験に成功。裁判を経て、親権は取れなかったうえ、多額の養育費を払って離婚。やがて私たちはお付き合いをするようになりました。するとあまりにも価値観が一緒なんですね。常に息子第一だった私は、子連れでデートをしていたのですが、夫は息子のことを最優先にして大事に考えてくれました。夫のことも好きになっていったし、この人と一緒にいることができればいいなあと思っていました。

そして40歳になったとき、「自分の子供のように育てていくから」と言ってくれ、再婚を決意しました。嬉しかったですね。子連れ再婚は、お互いの気持ちが合っていても、子供との関係が築かれていないと難しいと思っていたので、本当にありがたかったです。また夫は義父の会社に勤務していましたが、同じ時期に家業を廃業したことも重なりました。でも夫は猛勉強して、行政書士の資格を取って、今に至ります。私も叱咤激励して彼を支えました。

できれば離婚はしたくないけれど、辛さや苦しさを我慢し続けていると自分を痛めてしまうことになりますよね。離婚しなかったら今の夫とは出会えなかったし、ラッキーだったと思う一方で、もう失敗しないために、再婚時に小さな約束をしました。いちばんはお互いに「ありがとう」を言い合おうということです。

付き合うようになってからありがとうを言わない人だと気付き、そのままにしておくと不満になっていきそうだったので、ある日夫の部屋に「ありがとうと言おう」と張り紙をしました。張り紙の効果は絶大で、少しずつ改善していくんですよね。今も疑問を感じたことを張り紙にして伝えるようにしています。最初の結婚で、言わなくてもわかるは絶対にないと確信。ずっと一緒にいたのでいつの間にか一心同体と勘違いしていて、私の価値観はあなたの価値観と勝手に思い込んでいたんですね。それが失敗の原因だったと大きな反省点でもあったので、楽しいことだけじゃなく、辛いことも悲しいことも言葉にして私も伝えるし、あなたも伝えてほしいと約束しました。

私の運命なのか今の夫も家で仕事をしているのでほぼ毎日一緒。家で夕飯を食べるので、私は毎日ご飯を必ず3品以上作って、娘が成長した今は、夫婦で食卓を囲みます。夫の好き嫌いをよく把握しているので工夫して料理をするようになりました。2人で楽しむ趣味の幅も広がり、休日はほぼ出掛けています。先日もいちご狩りに行ってきたばかりです。

喧嘩もしますが、気が合う居心地のいい人との暮らしは本当に楽しくて幸せです。自分のためよりもこの人のために生きていたいと今は思えるんですよね。

取材/安田真里 イラスト/あずみ虫 ※情報は2018年掲載時のものです。

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