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Lifestyle40代にはまだLOVEもドラマもあっていい!

とっかえひっかえの浮気が続き、バレては謝るの繰り返し。徐々に仮面夫婦になっていきました。

子供がいると再婚の意欲もタイミングもなくなるといいますが、肝心なのは本人の強い意志。婚活サイトよりも意外と身近なところにそのチャンスが転がっていることを今回の読者さんが教えてくれます。

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目次 ★ 子連れの再婚成功例

子連れの再婚成功例

◯ 話してくれたのは...平 YOUさん(仮名)

東京生まれ。30歳で結婚後一男一女をもうけるも47歳で離婚。翌年建設会社に就職し、49歳になる直前に再婚。長男17歳、長女10歳。趣味はスキー。YOUさん似のアンニュイ美人。
夫 神奈川県生まれ。26歳で結婚し、一男一女をもうける。49歳のとき妻と死別するも53歳で再婚。長女22歳、長男15歳。趣味はスキー。理系の大学の先生。

今の夫も前の夫もスキーを通して知り合い、私の人生、趣味が出会いを運んできてくれました。

元夫とは友人の紹介で、グループでスキーに行ったのが始まりでした。誰が見てもかっこいい外見と、面白くて優しい素敵な人で、すぐに魅かれていきました。向こうも同じ気持ちだったようで、東京に戻り交際が始まったのが私23歳、元夫26歳。付き合ううちに自分勝手なところがあることはわかってきましたが、相性も良くって、3年付き合った26歳のときに婚約しました。

ところがしばらくすると「他に好きな人ができた。婚約を解消したい」と突然言ってきたのです。こんなことが現実に起こるのかと大ショック。両家とも両親は大騒ぎでしたが、元夫の意志が固く、どうしようもないので、一旦婚約破棄になりました。

しかし数カ月後「やっぱり結婚しよう」と連絡があり、私は「ふざけないでよ」と憤慨し、しばらくは冷たい態度を続けていながらも嬉しかった。両親は「将来離婚することになる」と反対しましたが、結局のところ29歳のとき結婚してしまったのです。

元夫は東京で大学に通っていたものの実家の食品会社を継ぐために卒業後は長野県に戻り、3年ほどは遠距離恋愛でした。だから結婚と同時に私は長野へ。義父の代から経営は順調でしたが、元夫はさらに手腕を発揮し、会社も拡大。生活も経済的にとてもゆとりがあり、田舎ではありますが豪邸に住み、高級外車に乗り、買いたいものは何でも買えるような生活を送らせてもらっていました。

結婚後ほどなく長男、長女に恵まれ、外から見ると誰もがうらやむような夫婦であり、家族であったと思います。ところが実態は結婚3年目で最初の浮気が発覚。発覚のきっかけすら忘れてしまいましたが、元夫は脇が甘く、あっさりバレてしまったんです。「ごめん。もう二度としない」と謝り倒したので許しましたが、その後とっかえひっかえ女性を替えては浮気が続き、バレては謝るという、同じことが繰り返されたんです。

徐々に仮面夫婦になっていきました。何度か相手の女性にも会いましたが、どの人も私と年齢が変わらない主婦ばかり。街を歩いていても誰も振り返ることはない、顔も風貌もいわゆるおばさん。おしゃれっ気のある人もいませんでした。これってとてもショックです。相手は誰でもいいんだと思わざるをえなくて、「次浮気するときはグラマラスな峰不二子みたいな人として」と冗談で言ったこともあるほどでした。

そして離婚する原因になった人が3人子持ちのシングルマザー。最初に発覚後別れているはずが、別れてなくて、遂に元夫は休みの日に自分の家族より相手の家族とバーベキューをしたりするようにもなって、私は責め立てましたが、どちらもキープしたいから見て見ぬふりをしてくれと言わんばかりの態度。私自身も不安定な状態でしたが、それを子供が感じるようになり、このままでは子供に悪影響を及ぼす、そしてこんな父親の姿を見せていたら、特に長男は元夫みたいな人間になってしまうのではないかと不安でたまらなくなりました。

離婚を持ち出しても元夫は「絶対に別れない」の一点張りで、かといって相手とも別れず、並行線をたどるばかり。遂に弁護士さんに相談して、最初は仲直りするための円満調停を始めました。もちろん調停員の方は相手と別れることを促すのですが、頭ではわかっているのでしょうが、心の中では元夫は別れられない気持ちが強く、だんだん追い込まれて精神的に不安定になっていきました。回を重ねるうちに弁護士さんから、「離婚調停になる可能性を考えて証拠を取っておいてください」とアドバイスを受け、これを言ったら喧嘩になる、と予測できた日に、あらかじめICレコーダーを準備して、元夫を責めるような話を始めました。すると想像どおり喧嘩になって暴力を振るってきました。それを機に子供を連れて実家に戻り、証拠としてそのテープや浮気の証拠を出して、1年半にわたる調停が続きました。

正直、今までの生活を捨てて離婚して、自活していく自信もなかったです。周囲にも止められました。いつも揺れ動きながらも、離婚後の生活に関わる、慰謝料と養育費はどうしても欲しいと思いました。でも元夫は経営者で、税金対策で収入をうまく操り、実際は高収入なのに低収入で申請されているため、高額の慰謝料は取れないとわかり、元夫も子供には出したいけど、私には払いたくないという気持ちが強くもめにもめました。納得いくまで裁判を続けることもできましたが、ある時、新しい人生を歩もうと決意。もう終わりにしようと思いました。裁判を続けている限り、就職もできないんです。不満はありましたが、慰謝料450万円、子供1人につき養育費月8万円で受け入れることにしたのです。私が47歳でした。

離婚後は、まず仕事探しを始めました。年1度ご飯を食べていた昔の会社の上司が偶然起業し、正社員として雇ってもらえることになり幸運でした。

次に再婚したいと思いました。浮気のことさえなかったら、元夫は良い人でしたし結婚生活も楽しかったんですね。それで周囲に再婚したいと伝えていたのが功を奏したのか、馴染みにしているスキーショップの店長さんから、「同じ境遇で今は独身の人がいるから紹介しようか」と。「ぜひ」と軽いノリでしたが、その店長から「今夜お店に来るから来ない?」と連絡が入り、お店で今の主人に初めて会ったのです。

2歳年上で奥さんとは数年前に死別、22歳長女と15歳長男と暮らす大学の先生でした。51歳の割には若々しいけど、タイプではなかった。でも清潔感を感じる人でした。お店で立ち話だけでしたが、真面目な人柄だと好印象。すると翌日向こうからLINEがあって、次は会社帰りに駅の中の一杯飲み屋で会いました。お互い子供が待っているので、長時間会うことができず、簡易的な場所でのデートをするようになっていきました

不思議と最初から結婚を意識しました。また離婚になったら困るから、ありのままを見てもらおうと特におしゃれをしたり、自分を高く見せようとはしなかったんですね。夫も同じ気持ちだったと思います。

半年くらい交際して、ほんとびっくりするくらい自然の流れで再婚することになりました。ただ、お互い子供には気を使いましたね。息子は16歳で反抗期。うまくいくはずがないと最初から思っていたし、息子にも「高校卒業するまでの3年間は我慢して。その後も一緒に住みたければ東京の大学に行けばいいし、嫌だったら地方でも海外に行ってもいい」と言いました。夫側も、私は夫の家に入ろうと思っていましたが、娘に気を使って、近所に建売住宅を借りてくれ、私たち3人はそこに住み、元あった家とをみんなが行き来する生活スタイルを選びました。

夫には「寂しいから毎日来てね」と言います。結婚して1年ではありますが、この形態のお陰かいざこざもなく、娘たちも頻繁にご飯を食べに来てくれ、6人でなんとか仲良くやっています

思えば1点だけ元夫に感謝していることがあります。もともと私は物事を悪いほうに考える性格でしたが、元夫から「悪いように考えたら悪いことが起こるから、いいように考えたほうがいいよ」と教えられていたんです。だから、離婚するときも不安でしょうがなかったし、子連れ再婚にしても考えたらきりがないくらい不安でした。でも「きっとうまくいく。絶対大丈夫」と長年かけて思えるようになっていたんですね。だから行動を起こせたんです。

2度目の結婚はこれからが本番でいろいろあるでしょうが、未来は明るく思えます。何よりも真面目で優しい夫が側にいてくれることが幸せですね。

取材/安田真里  イラスト/あずみ虫 ※情報は2017年掲載時のものです。

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