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DV夫から親権を持って別れたくて150万かけ探偵を雇った結果・・・

これまで育ってきた環境の違う二人の結婚というのは愛以上の歩み寄る努力が必要なのではないでしょうか。今月は、結婚の痛手から立ち直った女性のお話です。

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目次 ★ 結婚だけがすべてじゃない

結婚だけがすべてじゃない

◯ 話してくれたのは...浅野温代さん(仮名)

愛知県生まれ。25歳で結婚、26歳で長男を出産するも36歳で離婚。同時にジュエリーメーカーを起業し、細々とながら今も拡張を続ける。趣味は読書と料理。外見のタイプはがたいが大きい熊さんタイプの人だとか。浅野温子さん似のシャキッと美人。
彼 長野県生まれ。大学卒業後薬品メーカーに就職し、28歳で結婚するも35歳で離婚。40歳で管理職となり、多忙な日々を送る。

大学卒業後食品会社に就職し、同僚だった元夫と結婚したのは25歳のとき。好みのタイプではなかったのですが、とてもかっこよくて、優しくて、如才ない人。でも外見に魅かれたのではなく、アプローチが凄くて、その強引さに巻き込まれてお付き合いが始まりました。

付き合って2年後にプロポーズされたものの私の両親や周囲は大反対。というのも実家は代々続くメーカーで、私は裕福な環境の中で育ち、両親が想像していた結婚相手とは随分かけ離れた人だったのです。普通の会社員でお給料も普通。その上、元夫は母子家庭で育っていました。親からしてみれば、「どこの馬の骨」。でも今思うと、元夫も逆玉感覚で、私と結婚すれば安泰と思っていたところがあったのだと思います。

もちろん愛情もあったと信じていますが。私は私で、小学校から私立に通い、友人は頭もよく美人、その上裕福で、何もかも恵まれた人ばかりで、自分も恵まれていることをさて置き、その環境のせいでどこかコンプレックスの塊でした。そんな私に強く求婚してくれたことに当時は舞い上がってしまい、結婚の意志を貫いたのです。

仕方なく両親は折れ、円満退社して、結婚生活がスタート。元夫のお給料が少なかったので、父が毎月援助してくれ、結婚数年目に購入した家の頭金も出してくれました。ありがたいと思う反面、親に対して申し訳ない気持ちでいっぱいでしたが、元夫はそれに甘んじていて、「ラッキー」と言う感覚。一生懸命仕事を頑張るわけでもなく、何事においても優柔不断で不真面目なところがあり、日に日に不満が募っていました。

小さなことですが、彼の実家に行くと、炊飯器が床の上に置いてあったり、義母も平気でレトルト食品を食べていたり。実家は暮らしぶりが丁寧だったので、私は仰天。一方の元夫も本は1冊も読まないけど、漫画は毎週買ってくるし、互いの育った環境の違いが浮き彫りになって、徐々に2人の間に溝ができていました。

結婚の翌年息子を出産、子供はとても可愛がってくれました。基本は優しい人なんです。何だかんだ不満はあるけれど、私を愛していると言ってくれるし、この人とやっていくしかないと気持ちを上げていた矢先に暴力事件が起こりました。原因は、口喧嘩になったときに、「この結婚は失敗だったかもしれない」とつい私が口走ったことでした。親にも叩かれたことがなかったのに、ぼこぼこに殴られました。もう恐怖でした。

どんなに抵抗しても私の力では敵わなくて、されるがまま。無力感でいっぱいでした。その前から兆しはあって、夫婦で車に乗っていたとき、空き缶を投げつけた人がいて、元夫は車を降りて殴りに行き、ものすごく驚いたことがありました。でもまさか私に向くとは想定外。でも暴力は1度きりで、その後はいつものように優しかったのですが、この人を怒らせてはいけないと緊張感があって、こわごわ生活をしていたんです。

親権を完全に取れるなら離婚したかったけれど、行動に移せずにいました。そんなとき、会社の元同僚から、元夫が浮気をしていて、会社でも有名になっていると聞いたのです。私は咄嗟に「これで別れられる」と思いました。ショックより、ガッツポーズをしている自分に驚きました。

ずっと、愛していると言ってくれる言葉を支えに頑張って一緒に生きていこうと思っていましたが、違ったんだ、と憑き物が落ちました。そこから万全の離婚作戦が始まりました。とにかく探偵をつけようと思い、そうなると看板が目に付くもので、何件か探偵事務所に電話をして、よさそうなところをピックアップ。事務所から弁護士も紹介してもらい、着々と準備を進めました。

もちろん元夫とは何もなかったように、浮気のことも告げず、普通に生活しました。でも私は胃痙攣に襲われたり、眠れなくて睡眠薬を処方してもらうなど、相当なストレスでした。離婚するだけならここまですることはなかったのですが、100%親権が欲しかったんですね。だから半年間かけて証拠を揃えました。かかった費用は150万円

ある日元夫の出張先のホテルに両親と仲人夫妻と私の5人で出向き、証拠を突き付け、「別れてください」と言いました。元夫は青天の霹靂。びっくり仰天でしたが、ぐうのねも出ないほどの証拠を前に、「参りました」と白旗を上げました。もちろん親権も取れて、呆気ないほどすっきりさっぱり離婚。36歳でした。お金がないことはわかっていたので慰謝料は請求しなかったけれど、息子が18歳になるまでの養育費は払ってくれました。証拠を揃えたお陰だと思っています。

その前後、私が趣味で作るジュエリーがママ友の間で評判になり、頼まれて作ったりしていたのですが、これを生きていくための商売にできないかと考えました。仕事もしてなかったし、実家の家業を手伝うのが一番手っ取り早かったのですが、結婚の反省もあって、それだけは嫌だ、自分で何とか頑張ろうと思ったんですね。

最初は親に最小限の援助をしてもらいましたが、とにかく一生懸命働きました。貧乏でしたし、学生時代の友人の子供たちのように贅沢をさせてあげられない息子を不憫に思ったこともありました。離婚したことで、あることないこと言われることもありました。でも仕方ない。全力で子育てと働く後ろ姿を息子に見せて、何かそこから学んでくれればいいと思ったんです。

息子が大きくなるまでは恋愛も封印しました。とんとん拍子にはいかなかったけれど、徐々に利益が出るようになって、商売も拡大、小さなマンションですが、家を購入できるまでになったんです。離婚から8年後、親に「仕送りしなくていいよ」と言えたとき、人生で初めて自由な心持ちになれました。

同時に今の彼と出会いました。息子も18歳に。出会いは仕事関係の大きな飲み会。彼は業種の違う会社の社員で同い年。最初はタイプではなかったので興味もなかったけれど、話すと面白い人でした。数カ月後に同じ飲み会で再会。あ、面白い人だとすぐに思い出し、その日は話が弾み、連絡先を聞かれ、LINEで繫がりました。彼もバツイチで子供はいないけれど、仕事がとても充実しているようでした。自然にお付き合いが始まったんです。

私は付き合う度に好きになっていきました。仕事をバリバリやっていて、人間的に安定した人。40代後半にしてこんなに好きになったのは初めてかもしれません。ありがたいことです。お互い仕事が多忙なので週1で会えるときもあれば、月1になることもあります。だから会うときは最高に楽しい時間になるように意識しているし、年々歳を取るわけで、おばさんっぽくならないように、髪や肌の手入れを心掛け、おしゃれも楽しんでいます。本当に幸せです。

私、思うのです。結婚20年以上の同級生たちは、夫の経済力で繫がっているだけで、もう愛はないと言う人が多いんですね。お金はあってもみんな幸せそうじゃない。結局、人は自分で稼いだお金でしか幸せにはなれないのではないでしょうか。それだけは息子に伝えてきました。その息子も昨年就職し、家を出ました。1人で稼いで、1人で暮らし、自分を食わせることにプライドを持っています。お金で苦労したことも悪いことじゃなかった。多くの失敗から学んだ私の教訓です。波瀾万丈の経験のお陰で本当の幸せを見つけることができたのだと思います。

だから、お互い自立している私たちは、それぞれ世界もあり、結婚しない方が愛情をキープできるし、お互い仕事も趣味も遠慮なくできると思うのです。だからすぐに結婚という結論を出そうとは今は思っていないですね。

彼はなかなか、好きとか愛しているとか言ってくれないんです(笑)。ちょっと不満ではありますが、彼がどう思うより、私が大好きだと言うことの方が大切なんですよね。

取材/安田真里 イラスト/あずみ虫 ※情報は2018年掲載時のものです。

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