今回の読者さんは、家庭内別居で10年間を費やしてしまったとか。40代を輝かしく生きてほしいと願って毎号STORYを作っている身としては本当に残念で元夫に憤りますが、最後の最後に幸せが訪れ大団円。これからの10年を思う存分幸せになってほしい! と心から思います。
家庭内別居10年生活
◯ 話してくれたのは...黒木瞳美さん(仮名)
4月1日に再婚しました。私の薬指に輝く結婚指輪は何と1、000円。これから2人で歩む人生後半を、思い出作りにお金を使いたい、だから高額な指輪はいらない、と私がお願いしました。ほんと、これで十分。失くしたらいつでも買いに行けますから(笑)。この再婚は果てしなく長かった家庭内別居を乗り越えたからこそ。昨夜もね、「運命の糸」って本当にあるんだなと夫がしみじみ呟いていました。
最初の結婚は23歳でした。看護大学1年生のときから、5歳年上の会社員の元夫と交際。大学を卒業し、晴れて看護師の道を歩み始めたとき、元夫の母がガンで余命宣告を受け、母が元気なうちにと結婚を急がされ、私は本意ではなかったのですが、ゆくゆくは結婚したいと思ってはいたので、押し切られた形で結婚しました。それでも長女次女と出産し、看護師もやめて、専業主婦としてとても幸せな日々を送っていました。
ところが34歳の頃から出血するようになり徐々に立っているのもつらいほどフラフラしてきて、35歳で精密検査を受けたら子宮体がんを宣告されました。子育て真っ最中でもあったので、最初は薬物療法で何とか乗り切ろうとしていたのですが、症状は改善されず、結果、子宮と卵巣を全摘出するに至りました。死が目前に迫っているかのようで、心身ともに本当につらい日々でした。入院も長く、その後もずっと通院を続けました。
がんを宣告された直後は優しかった元夫も、ご飯を作れなかったり、掃除がちゃんとできないなど、家事が滞りがちな私に対して、徐々に不満を募らせていったのです。基本的に彼は優しい人で、それまでは子育ても手伝ってくれたし、経済的にも豊かに暮らし、数年前には家も建てていました。ほんとに普通に暮らしていたのです。でも病気をきっかけに元夫の本性が見え始め、私を心配するより、まずは自分。思いやりが全くないのを痛切に感じていました。
そんな、子宮の病気を抱えているわけですから、夜の生活をする気にもならないし、体調的にも無理でした。するとある日彼が、「俺のちんぽこはどうなるんだ」と真面目な口調で叫んだんです。私が生きるか死ぬかというときに、この人はそんなことを考えていたのかと、もう大ショックで言葉もありません。悲しくて悲しくて、1人で泣きました。
このときから、私は元夫に対して心を閉ざしてしまったのです。口を利く気にもならず、自分の健康を取り戻すことと子供たちをちゃんと育てることに精一杯でした。その頃から彼は浮気をするようになりました。小さな町ですから、「女の人と歩いていたよ」とか「キャバクラに入って行ったよ」など忠告してくれるママ友がいて、確かに外泊も多く、ほとんど家で夕飯を食べることもなかったので浮気は明らかでした。でも心がすっかり冷めている私は詮索する気にもならず、元夫を問い詰める気にもなりませんでした。
ありがたいことに私は看護師の資格を持っているので、生活は何とかなるだろうと、離婚を決意し、彼に離婚届を渡しました。しかし、「嫌だ」とハンコを押してくれないのです。慰謝料も養育費もいらないといっているのに。未だになぜすぐ離婚に応じてくれなかったのかはわかりません。仕方がないから、完全に仮面夫婦の生活がそのまま約10年続きました。この間ほとんど夫婦の会話はなく、もちろん挨拶もなし。そもそも元夫は昔からきちんと話し合いができない人でした。大切な話も向かい合って話せない人。だから離婚を切り出しても会話にならないのがわかっていました。
しかし、生活費は入れてくれていたし、家のローンも滞りなく返済していました。そうこうしているうちに私は看護師に復職、子供たちも高校を卒業し、東京の大学に行くために家を出たので、それを機に離婚届を置いて、私も家を出ました。45歳でした。
しかしハンコは押してくれなかったですね。それから書いてはポストに投函する、を3回くらい繰り返しましたが、なしのつぶて。中途半端なまま私の人生も終わるのかなとあきらめかけていた昨年8月、突然ポストに元夫のハンコが押された離婚届が入っていたのです。びっくりしましたが、彼の気が変わらないうちにとその足で急いで区役所に提出しました。ようやく晴れて離婚が成立したのです。ほんと14年間夫婦の会話が何もないままでした。だからなぜ今になってハンコを押してくれたのかはわかりません。でもそんな理由はもうどうでもよくて、自分自身の気持ちにけじめがつき、本当にすっきりしました。
しかしこのまま男性と触れ合うこともなく、ずっと1人で一生を終えるのかなという寂しさは感じていました。そんなとき同じ境遇の女友達が、一緒に結婚相談所に登録しよう、と誘ってくれました。どうせ登録するなら身元照会が曖昧なネット上の婚活アプリより、登録料に10万円程度はかかるけれど、身元に嘘のない中高年向きのノッツエをセレクトし、登録したのが9月。年齢、住所、出身地など記入したことに間違いがないか調べているようでとても安心できました。趣味欄にはドライブ・カラオケ・城めぐりと書きました。
すると翌月に、初めてマッチングした人が今の夫だったのです。私はパソコンで見たとき、あ、この人がいいと咄嗟に感じました。後から聞いたことですが、夫も全く同じ思いだったそうです。1回目は近くにドライブに行ったのですが、昔から知っているような自然な感覚で話せて、何か癒されたんですね。夫は54歳の会社員。控えめで優しいけれど、面白いことを言う人でした。
それ以降はLINE交換をはじめました。すると夫も長い家庭内別居を乗り越えて離婚し、成人した男の子が2人いて、境遇がとても似ているのです。お互いを理解し合うことが自然にできます。12月1月と公園やフラワーパークに行ってデートを重ねました。次第にお互いが「運命の人」だと確信し、4月に籍を入れました。子供たちもとても喜んでくれました。
私は本来はお喋りなほう。それが14年間も会話のない生活はとても苦痛だし、ストレスだったんだなと今は思えます。相手がだんまりでももう少し話せばよかったという後悔はあって、再婚では小さなことでもどうでもいいことでも何でも伝えて話すように意識的にしています。
夫は甘い物が大好きですが、男性1人ではオシャレなカフェに入りづらいらしく、今は私と一緒に行ってパフェを食べることがすごく楽しいみたいです。お互い30代40代は、カフェに行ったり、ランチをしたり、一緒に散歩をしたり、普通の夫婦が普通にしている何でもないことが何もできなかったので、それを取り戻すかのように一緒に過ごせる今がとても楽しいです。私たちは過去の思い出がない分、今から行きたいところは全部行って2人の思い出を作っていきたい。50代目前にそんな楽しみができたのです。
あ、ちなみに夜の生活も普通にありますよ。私は子宮と卵巣は取りましたが膣は残しているのでちゃんとできるんです(笑)。運命の糸って、夫婦って、愛って、こうだったんだなと実感し、幸せをかみしめています。
取材/安田真里 イラスト/あずみ虫 ※情報は2020年掲載時のものです。