髪を切る。年を重ねるほど変化が怖くなる私達にとっては一大決心。
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「髪を切ってみるといいかもしれません」
柔らかな声でそう言ったのは「本当に見える」と評判の占い師だった。
占いをさほど信じているわけじゃない。過去にも好奇心でお世話になったことはあるけれど、「当たり障りのないことをそれっぽく言ってるだけ」と冷めた気持ちが勝っていた。でも、やけに澄んだ瞳をした彼女の言葉には不思議な説得力があった。
「髪には、良くも悪くもいろんな思いが宿ります。もちろん無理する必要はありません。よければ、3センチくらいでも。いろいろ変わってくると思います」
夫と離婚が成立したのは2カ月ほど前。手続きは順調に進み、7歳の娘は祖父母との暮らしを楽しんでいる。かなり注意深く観察しているけれど、今のところ支障はなさそうだった。むしろ神経質な面が和らいだと思う。きっと、彼女も両親の不仲に疲れていたのだろう。
やはりこれで良かったのだ。でも。
「仕方ないです。元ご主人とは、すごく強い縁なので。離れると苦しくなるんです」
揺り戻し、というのだろうか。何度も繰り返された夫の浮気は、病的なものとわかっている。すり減り切った自分をどうにかするには、別れるしかなかった。友人も両親も娘さえも、離婚に反対はしなかったのに。
「かなしい、つらい、苦しい、は、だめじゃないです。そういう時期でもあります」
とうとうあの男を捨ててやった。お金も十分もらった。仕事もあるし、私は何も困らない。なんて豪語しているのも噓じゃない。でも、痛烈な寂しさに襲われるのも事実でそんな弱い自分が嫌だった。
「どんな気持ちも、それで“ひとつ”なんです。いいんです。大丈夫」
数日後、私は言われた通り髪をバッサリ切りボブヘアにした。
「これだけ切ると、いろいろ変わると思いますよ。ファッションやメイクとか。実際、運気も動くらしいです」
美容師まで占い師のような発言をして驚いたけれど、ちょっとした自慢だったロングヘアがどっさり床に積み上がると、たしかに意志を持った生き物みたいに見えた。一体何が宿っていたのだろう。 とにかく、軽かった。不要なものが削ぎ落とされたデトックス感だろうか。心も身体もどことなく緩み、実際、何かが変わった気がする。
不思議な軽やかさで銀座を歩いていると、カルティエのショーウィンドウに飾られた有名な『クラッシュ ドゥ カルティエ』の新作ジュエリーが目に入った。実物はやけに私の目を惹く。
ー相反するものの、融合……。
そのテーマを知り、まるで導かれたような衝撃を受けた。これまでなら選ばないゴージャスな存在感のあるピアス。でも、今なら……。涼しくなった耳元に合わせると、ダイヤが優しく輝いた。一見攻撃的とも見えるデザインの中に、フェミニンさが共存している。ジュエリーに見惚れながら、すべての物事には二面性がある、それで〝ひとつ〟だという意味を、ようやく理解できた気がした。どちらも受け入れ、手懐けられたなら、それはきっと魅力に変わる。
弱い自分を嫌うのはもうやめよう。初めてそう思った。
「クラッシュ ドゥ カルティエ」イヤリングSM〈PG×DIA〉¥1,689,600ネックレスMM〈PG〉¥572,000リング〈YG〉¥621,500(すべてカルティエ/カルティエ カスタマー サービスセンター)ブラウス¥132,000〈エストネーション〉バッグ¥25,300〈ヴィオラドーロ〉(ともにエストネーション)パンツ¥46,200〈シチズンズ・オブ・ヒューマニティ〉靴¥59,400〈ネブローニ〉(ともにアルアバイル)
撮影/髙木建史(SIGNO)〈人物〉、西原秀岳(TENT)〈静物〉 モデル/畑野ひろ子 ヘア・メーク/KIKKU(Chrysanthemum) スタイリスト/亀 恭子 取材/味澤彩子 デザイン/mambo西岡(ma-h gra) ※素材表記はYG=イエローゴールド、PG=ピンクゴールド、DIA=ダイヤモンドを表します。 ※情報は2023年10号掲載時のものです。