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Lifestyle40代にはまだLOVEもドラマもあっていい!

【実録】12歳下の彼から目を見て「1つになりたい」とプロポーズ。ドラマよりドラマチックでした

夫とはとっくに冷めているけど、お金のことを考えると踏みとどまってしまう方も多いのでは。もちろんそれも一つの考えですが、苦労を覚悟して離婚するという選択肢もあることを今回の読者さんが教えてくれます。

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目次 ★ 離婚後の苦労は幸せが上回る


離婚後の苦労は幸せが上回る

◯ 話してくれたのは...板谷由冬さん(仮名)

愛知県出身。22歳で結婚後、2児を儲けるも29歳で離婚。同時に清掃などのアルバイトを掛け持ちし徐々に介護に携わる。36歳で介護施設を立ち上げ、今に至る。40歳で再婚。板谷由夏さん似の艶っぽい美人。
夫 岐阜県出身。会社員。子供の頃から毎日演歌ばかり聴き、同世代の異性には興味がなく、付き合う人は年上ばかり。年上と結婚するのが長年の夢だったという希少な男性。

最初の結婚から25年。私の人生ホントに激動です。辛いことのほうが多かったのに、今、ハッピーな毎日なんですよ。人生は何度でもやり直せますね。

短大卒業後、美容関係の会社に就職し、その会社近くに元夫の会社があり、3:3で食事に行くように。元夫に私はひとめぼれで、交際が始まりました。彼は大人しくて優しい性格で、酒たばこギャンブルは一切なし。7歳年上で、プロポーズされたときは「一生守ってもらえる」と甘い気持ちで結婚しました。

結婚と同時に義父が木材関係の家業を広げたので、義兄と一緒に手伝うために退社。義父は「大きな仕事が入って儲かる」と豪語していたにもかかわらず、仕事が少なく、十分なお給料も頂けず、聞いていた話と随分違うスタートでした。結婚翌年に長女、3年後に次女を出産し、とはいえ幸せでした。

その一方で新居が元夫の実家近くで、彼は義母の言うまま合鍵を預け、それを使って義母が勝手に家に入ることが当たり前になり、ときには自分の友達とわが家でお茶していることもありました。本当に嫌でした。でも元夫は義父母に何も言えない性格で、我慢するしかなく、いつ来るか気が抜けず、その不安から自律神経失調症になり、ホットフラッシュやプチ鬱など不安定な体調が続きました。

その上、あまりにも収入が少なく、生活もぎりぎり。なのに義父兄はゆとりある生活で、元夫の優しい性格があだになり何もかも言いなりでした。それでも義父兄に苦情を言えない性格。週1で1週間分の食料品や日用品の買物に行き、5日目になると本当に芋ばかり食べてたんです。オシャレをしたくても、子供達の身の回り品を買うのが精いっぱい。それで次女が2歳になったとき、思い切ってパートを始めました。久しぶりに外の世界を見て、「こんな何の楽しみもない今の生活って何かが違う」と疑問がわき始めました。

と同時期に元夫が生活費を借金していることが発覚。金銭面について社長である義父と話し合わず、借金までして、一層信頼がなくなります。それだけでもショックなのに、私名義で借金も見つかり、もう限界でした。彼に辛さをぶつけると、「僕ではもう幸せにできないから、したいようにすればいいよ」という返事。元夫を嫌いではなかったので、引き留められたら留まったかもしれませんが、心が決まりました。慰謝料も養育費もなく、裸一貫で子供2人を育てなくてはいけないのに、不思議なことに「頑張れる」という自信と今以下の生活にはならない確信があり、今、振り返るとそれくらい酷い貧乏な生活だったのです。

とはいえ、離婚後3人で住む家も一番安いアパートを借り、粗大ゴミに出されているテーブルや椅子を拝借しました。法律的には窃盗になると後から聞き、ひやひやしましたが、その時はとにかく必死。3つのパートを掛け持ちし、最初は食べて行くだけで精いっぱい。夕方になると3人で買物に行って半額になった食品を詰め込んで帰ってきました。忙しすぎて当時のことは覚えてないけれど、今子供達と振り返っても楽しくて、全く不幸だとは思ってなかったですね。

ところが数年後、元夫が自己破産し、結婚中に勝手に保証人にされていて国税の借金に関わる担当の方々が突然破産宣告にやってきた、のです。心臓が止まりそうになりました。生活も軌道に乗り始めたのに、別れても飛び火している状況に自分の人生を恨みました。でも、その方達に、「母子家庭でパートを掛け持ちし、必死で働く私からお金を取るんですか?」と強気に出て、出すものもなく、結果免除に。

しかも、養育費ももらっていないと伝えると、「当然の権利だから請求しましょう」となんと一緒に家庭裁判所に行って手続きをしてくれたのです。自己破産した人からお金が取れるのか疑問でしたが、確定申告をしている形跡があり、少額でしたが認められました。元夫はきちんと払ってくれ、子供達の結婚資金用に貯金。その頃になると少し余裕が生まれていました

一方で、私の母と再婚した継父が経営する小さな介護施設をたまに手伝っていました。それが時代の波に乗り、入居者が増えて忙しくなり、気付けば専従に。純粋な気持ちで老人に接していたのですが、私を信頼してどんどん集まってきてくださり、結果大きな介護施設をオープンすることになりました。継父にも私にも貯金はなかったのに、将来性を見込んで銀行が貸してくれました。36歳のときでした。それを機に、私が施設の社長に就任し、新たなスタートを切りました。さらに生活にもゆとりが出始めました。

しかし社長となると今度は精神的なストレスが激増し、心身ともにくたくた。実は当時交際している男性がいて結婚したかったのですが、私に子供がいることでスムーズに進まず、つかず離れずの関係が続き、それも大きなストレスでした。当時の写真を見ると、私、きつい顔をしているんですよ。

そんな私を見て、友人が「娘の夫の友達の年上好き男子に会ってみない?」と言ってきたんです。聞くと12歳年下の26歳。「ありえない」と思いましたが、ノリから電話で話すことになりました。友人から、何年も恋人なし、真面目で面白みのないダサい人、と聞いていたのですが話すとそうでもなく、相手も会話から私を小太りのおばちゃんイメージを持ったらしく、お互い間違った想像が膨らまないうちに会ってみようということになりました。

数日後駅の改札で待ち合わすと、なかなかオシャレでステキな男性で、向こうも私がやせ型で、そのギャップに萌えた、と後から聞きました。夫はひとめぼれだったそうで、すぐに「結婚を前提に付き合ってほしい」と言われました。私は腐れ縁の彼との結婚話が暗礁に乗り上げていたので、再婚は難しいと思い込んでいましたが、やっぱり嬉しいものですね。そういう彼がいることを話すと、「その人が、由冬ちゃんを艶っぽくしてくれたんだね」と言ってくれます。

それできっぱり彼との関係も清算し、交際スタート。まず当時17歳15歳の娘2人に紹介すると、同世代のせいか、自然に仲良くなりました。付き合うほどに楽天的で優しい人で、ストレスフルだった私にも「何とかなるよ」と言ってくれるそのスタンスに日々癒されました。価値観も合い、交際は楽しかったですね。彼は結婚を望み続けてくれましたが、アラフォーだった私は「果たして彼の子供を産んであげられるのか」が最大の結婚への躊躇。今はいいと思っても、いずれ欲しくなって夫婦関係も良くない方向へ変わるかもしれないと考えると、首を縦に振れず、2年が経ちました

ある日「結婚しなくても一緒にいればいいよ」と言うと、「俺は、一つになりたい」と。さらに「仕事も忙しいし、何もしてあげられない」と応えると、「笑顔を見てるだけでいいから」と言われ、心が決まりました。時同じくして、施設を株式にするための登記をしなくてはいけず、その時期に合わせて入籍しました

とはいえ3人家族に1人入ってくると、最初は鬱陶しいことも多かったですね(笑)。シングルマザー生活では、電球くらい簡単に付け替えられるし、子供達も家事もできるので、夫の必要性が少なく、最初はぎくしゃくもしました。そこを乗り越え、結婚8年目の今は生活も馴染み、順調で幸せです。でも腹が立つことはあるし、みんなが言うように誰と結婚してもそこは一緒。でも最初の結婚で守ってもらおうとしていた私から、今はお互いがお互いを必要、と言う意識に変わり、そこを忘れないようにしています。

夫の口癖は「命にかかわることじゃないことでつべこべ言うな」。仕事で辛いときも、この言葉で「大したことじゃない」と方向転換できるんですよね。

数年前長女が結婚し、8歳違いの夫が、一緒にバージンロードを歩きました。あのときは可笑しかったけれど、今思い出しても、涙が溢れて、幸せを実感するんですよね。

取材/安田真里 イラスト/あずみ虫 ※情報は2021年掲載時のものです。

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