夫に不満があったとしても、この歳で新しい出会いがあるはずもないと思っている人も多いのではないでしょうか。でも、出会いはどこにあるかわかりません。意外なところで、すでに出会っているかもしれませんよ。
▼あわせて読みたい
【実録】夫婦生活の復活。大事だったのは“誘い”より“寄り添い”でした
大人の出会いは生活の中にあるらしい
◯ 話してくれたのは...天湖祐希さん(仮名)
よく「誰と結婚しても一緒」と言われますが、再婚から4年経った今も、夫の嫌なところをいくら探しても見つからず、奇跡のようなめぐり逢いだったと、「ありがとう」の気持ちしか湧いてこない今日この頃です。
最初の結婚はお見合い結婚でした。当時私は遠距離恋愛中の彼がいたのですが、両親から「騙されているに決まっている」「距離は越えられない」と大反対され、「お見合い結婚が一番幸せになれる」という親の言葉に従い、仕方なくお見合いしました。すると2歳年上でJRの社員だった元夫は優しくて、話も合うし、経済力もあって、「この人とならやっていける」と出会って半年、22歳のとき結婚しました。
あちこち連れて行ってくれたことに気持ちが惹かれ、今思うと本質を見ず、安易に決めてしまったと思います。しかし結婚後も、最初は2人で楽しかったのです。それが不穏な空気が流れ始めたのは長男を出産してからでした。それまでは手取り足取り夫の世話をし、毎日着るものを靴下までセットしていた私が、子供にかかりっきりになり、そのうえ夜泣きする子供を夫がうるさがり、寝室を別々にしました。
子育ても全く手伝ってくれず、子供自体に興味がない様子でした。同時期に義母から「子供の面倒を見てあげるから、帰ってこないか」と言う提案があり、同じ敷地内に家を建ててもらいました。とはいえ、生活はほぼ一緒で同居のような形です。
続いて次男三男と出産し、120%子育ての毎日。たまに義母は子守をしてくれるものの、「腰が痛いのに子供を抱かせるのか」「躾がなってない」などと事あるごとに非難され、ストレスが溜まっていきました。ちょうど夫も仕事が忙しくて、愚痴も聞いてくれないどころか、ちょっとぼやくと、「子供に当たるぞ」と言って、子供達をひどく叱るのです。酷いときは野球をして、わざと受け取れないようなボールを子供に当てたりしました。私が「やめて」と言うと余計に強く投げ、一緒に見ていた義母も笑うだけで何も言いません。子供達も成長するにつれ、「お父さんが嫌い」と寄り付かなくなっていきました。
私にも同様で、小さなことでよく腹を立て、正座させられてお説教。小競り合いになって、私が「出て行きます」と言うと夫が謝り、しばらくは優しくなりますが、1週間もたたないうちに元の木阿弥。一緒に車に乗っていたら突然機嫌が悪くなり、乱暴に運転し、どたんばたんとドアを閉めて脅したり、理不尽なことが年がら年中ありました。
夫が子供に話しかけることもなく、夫が私に対して口を開けば悪態のみ。家の中は険悪でした。今思うと完全にモラハラ夫でした。私も数回実家に帰り、親に相談しましたが、「その程度なら我慢しなさい」と言われるだけ。常にストレスから病気になるに違いない、子供の心に影響を与えないか、など悪いことばかりぐるぐる考え、ものすごくネガティブでした。離婚したくても、子供が成長するにつれ、お金もかかるようになると、経済的に自立できる自信がありません。全く改善の余地がないまま、結果結婚後20年我慢しました。
ところが悪いことが現実となり、次男が家庭のダメージから精神不安定になり、高校を中退してしまったのです。このとき長男に「もう別れた方がいいよ」と言われ、「自分のことしか考えてなかった、子供に本当に申し訳ないことをしてしまった」と、涙があふれ、ようやく離婚を夫に告げました。すると「考え直してくれ」の一点張り。「このままだとみんなが精神的にやられてしまう。もう無理だから実家に帰ります」と言うと、「悪いところは直すから」と。「その言葉は何遍も聞きました」と吐き捨てて、家を出ました。
3人を連れて帰りたかったのですが、長男はすでに社会人、三男は学校をやめるわけにいかず、話し合った結果、2人は家に残ることになり、特に父親と険悪だった次男を連れて実家に戻りました。でもものすごく心配で、毎日連絡を取り合っていました。
まずは働き先を見つけ、近所の企業で事務員としてアルバイトを。私は結婚前に1年ほど働いただけで、慣れるまでは大変でしたが、夫から離れたことで気持ちがすっきりして心も明るくなりました。
会社の裏にガソリンスタンドがあり、よくそこの方が灯油を持ってきてくれたんです。ちょこちょこ話していると楽しい人で、おそらく同世代。ガソリンを入れに行くようになり、彼が給油をしてくれる間、お互いに悩みを打ち明けるようになりました。彼も妻の借金に困っていて離婚寸前の状態。私も離婚したいけどハンコを押してくれないことや、離れている子供への思いを話しました。そんな関係が1年ほど続いたとき、彼の方が離婚し、元妻は子供3人を置いて出て行ったと。彼が子供のお弁当を作る立場となり、おかずについてアドバイスをしているうちに、距離が縮まり、「こんな優しい人と結婚したら幸せだろうな」と思うようになっていました。
それからようやく離婚できたのが43歳のとき。もちろん慰謝料も何もありません。でもやっと自由になれて、ほんとにうれしかったです。
その頃、以前から見たかった映画『グリーンマイル』がリバイバルされ、彼に話すと、一緒に行こう、ということに。もうすでに私は彼のことが好きになっていました。彼も同じ気持ちでいることを伝えてくれました。しかし私は三男が高校を卒業するのを待って、引き取りたいという気持ちが強くあり、彼も結婚してみんなで一緒に僕の家でスタートしよう、と言ってくれていたのですが、2年待って、結局三男は進路の都合で私の実家に来ることになり、一緒に住めないのは残念でしたが、結婚が現実のものとなりました。
次男も連れて行きたかったのですが、次男三男は一緒にいたいと言うので、私の実家に残り、彼の家に私が入って、彼の方の子供達3人と一緒に生活をはじめました。当時彼の子供達は、25歳22歳16歳と末っ子以外は成人で、大きなトラブルもなく、徐々に自立し、家を出て行き、今は2人で暮らしています。連れ子の存在は時にトラブルになると聞きますが、子供は必ず自立していくもので、暮らし方は変わるし、子供達自身も成長して、親とも関係も変わるものだと思いました。
今の夫は出会ったときと何一つ変わらず、本当に楽しい人です。今思うと前の結婚では、私は愚痴ばかり言っていました。何をするにもネガティブだったんですよね。夫に最初に言われたことは、短気なところと、いつも人の悪口を言うことを指摘されました。確かに私はレジが遅いとイラついたり、人の悪いところが目につきやすい方。でも夫から、「レジが遅くても、いい時間をもらっていると思えばいい」、「あの人すぐ怒る、嫌だなと思わずに、すぐ怒る人は的確に物事を見ているんだよ。人の悪いところではなくて、まずいいところを見るんだよ」とアドバイスをくれます。もっと早くそのことに気が付いていれば、子供を苦しめることもなかったかもしれないし、自分では気が付かなかったけれど、離婚の原因は自分にもあったと今は思えるようになりました。
でもそこを乗り越えたからこそ、今の夫と出会えたのですけどね。夫のお陰で、すっかり短気でなくなって、この年齢で性格が変わりました。良い方向に自分が変われて、楽に生きていることが一番うれしいですね。
人で道の駅を巡って野菜を買って家でお料理したり、ドライブや旅行に行くのも楽しみの一つ。信頼できる人生のパートナーと歩める今、本当に幸せです。
取材/安田真里 イラスト/あずみ虫 ※情報は2021年掲載時のものです。