40代の間で、度々話に上がるのは、老後のこと。夫とは暮らしたくない、一人では寂しい…等々。そして、究極に思い浮かぶのが孤独死。今回は、身をもった経験と共に心から分かり合えるパートナーと出会った方の物語です。
孤独死を目撃!からの婚活
◯ 話してくれたのは...井川遥香さん(仮名)
13年間夫婦として幸せな生活を送った元夫と不本意にも離婚したのは40歳のとき。どんなに信頼し合った関係でも結婚生活というのは何が起こるかわからないですね。
元夫とは、私が大学生のとき、アルバイト先でお客さんとして出会いました。彼は社会人で、それほどゾッコンではなかったですが、同性から好かれ、女好きとは程遠い印象の見かけも中身も普通の人。証券会社勤務で、仕事はとてもできるようでした。7年間交際し、適齢期でもあり、両親も「結婚しろ」とうるさいし、子供も欲しかったので、「普通に幸せに暮らせるかな」と私27歳、夫33歳でレストランウエディングをして結婚。自然な成り行きでした。
するとすぐに長男妊娠、結婚1年目に出産、続けて長女ももうけました。私は家にいるのが嫌いで、働きたかったので、長女が3歳になると同時に保育園に預け、銀行の「16日間勤務」という労働形態で働き始めました。その頃は仕事をしながら家事・子育ても負担なく、バランスが良かったのですが、次第にもっと働きたいという気持ちが芽生え、派遣社員として登録。フルでさまざまな仕事を経験し始めたのです。同時に元夫も支店から本店に異動しました。するとお互いがとんでもなく忙しくなって、余裕のない日々が始まりました。
でも夫婦仲は良好で、週1で夫婦生活もあって、友人に話すと驚かれるくらいでした。たまに家事や子育てに関して喧嘩することもありましたが、ほんとに普通の夫婦だったと思います。
ところが元夫が変わってきたのは私が30代後半の頃。小さな喧嘩から、強烈に怒るようになって、「お前が嫌いだ」「絶対に別れたい」と言い出して、最初は怒りに任せている、と相手にもしなかったのですが、キレ方がどんどんヒートアップ。離婚する1カ月前からは、子供が寝た後、毎晩正座させられ、私のどこが悪いかどこが嫌いかを延々と罵倒し、「離婚する」とわめきました。土下座して「どうか出て行かないでください」と泣きながら私も、訳がわからない状態。毎日毎日こんなことが続いて、メンタルがやられました。もう何を言っても考え直してくれる様子はなく、「離婚届にサインしろ」と怒鳴られ、怖くて怖くて、サイン以外の逃げ道を思いつかなくてサインさせられ、同時に私を突き飛ばし、子供に「ごめんな」と言って出て行きました。
夫への愛もあり、何よりも子供達を育てられるのか不安でした。でも経済的には1カ月もめている間に、変わりなく家のローン、光熱費、電話代、子供の学費や塾代などすべて元夫が支払い、さらに十分な生活費を支払う条件を提示されました。心の中では私に悪いと思ったのでしょうね。何の公正証書も交わしてませんでしたが。
夫が出て行ってから何度電話をしても私からの電話には一切出ず、長男にはときどき連絡があり、2人は会っていました。もうどこに誰といるかもわからない状態でしたが、離婚後しばらくは、元夫に電話をかけ続けていたら、中3の長男が「ママ、父ちゃんに電話しても無駄だよ。瞳ちゃんという彼女がいる」と言ったのです。長男は彼に打ち明けられたわけでなく、偶然に携帯を見たとき、何十回も「瞳」から着信があって、姿を見かけたとのこと。それを聞いたとき、これまで不思議だったすべてのことが氷解していくようでした。浮気をするタイプではなかったので当時は頭から疑う気もなかったのですが、私のことを間違えて「瞳」と呼んだり、外泊することもありました。支離滅裂な発言も納得できました。
辛さに拍車をかけて、悔しさと悲しさとが入り混じり、立つこともできません。その数年前に離婚した姉に相談すると、姉は親身になって考えてくれるも、十分な補償がありそれを維持したいなら、「文句を言うな」「催促しない」「黙っていなさい」と厳しいことを言います。要するに彼に訴えれば訴えるほど、罵倒すればするほど、お金を切られるか、もらえなくなるということです。そこは私も冷静で、なるほどと思ったし、喧嘩していいことはないとわかっているから、悔しいけど、営業だと考えて、何もしなかったのです。結果正解でした。その後元夫とは義父が亡くなったとき1度しか会っていませんが、今もきちんと支払ってくれています。
しかし私は立ち直るまで3年間かかりました。派遣で働き、反抗期の子供2人を育て、精神的にどうにかなりそうな状態を必死に理性で抑え、ぎりぎりで生きていました。友人がよく言います。「普通の人なら電車に飛び込んでるね」と。ちなみに「瞳」は水商売の女性で、その後夫は別れ、未だに再婚もしていないことを知りました。
ようやく気持ちが再生してきた頃のこと。暑い夏の日でした。仕事から帰宅して自転車を止めていたら、隣のお宅から変なにおいを感じました。同じことを子供達も言います。隣は60代の男性の1人暮らし。気にかけて様子を見ていると、3日間豆電球とTVが付いたままだったんです。これは何か変だと思い警察に連絡しました。するとパトカー、救急車、消防車が一気にやってきて辺りは騒然。男性はビニールに覆われて運ばれていったのですが、翌日警察から連絡があって、孤独死されていたことがわかりました。あまりお付き合いはなかったけれど、衝撃でした。私も40代、明日は我が身と震えが止まらなくなりました。
もう結婚はこりごりと思っていたけれど、結婚しなくても、連絡を取り合えて、心が通じ合うパートナーが必要だなと思ったんです。お隣の孤独死は教訓になりました。私は思い立ったら行動に移すほうで、姉が利用していた婚活アプリを1カ月限定でやってみることに。すると初めて会った同世代の会社員の男性と交際が始まりましたが、2年付き合ってお別れし、次は保険加入の手続きで出会った保険会社の男性と交際。この方は私のタイプでもあり、とても好きでしたがモラハラが原因で別れました。そして友人の紹介で出会った3人目の恋人は女性関係で破綻…と、思いがけない恋愛が続きました。成就しなかったけれど、毎回真剣で、とても楽しかったですね。
そして昨年秋に今の彼と出会ったのです。久しぶりに婚活アプリを利用し、今回も初めて会った方と交際がスタート。同世代でバツイチで子供アリの会社員。190㎝という長身もタイプで、何よりも穏やかな人。山登りが趣味で、休日は自然に触れたり、散歩したり。彼が自らリノベーションした自宅で過ごすことも多く、一緒に料理を作って一緒に食べて、静かな恋愛を続けています。この人とずっと一緒にいたいと思える人です。彼もそう言ってくれています。
しかし、そうは言ってもお互いの家族まで受け入れるのでなく、あくまでも1:1の男と女として人生を共にするパートナーでありたいという意見は一致していて、籍を入れるつもりはありません。波瀾万丈だったけど、それを乗り越えて勉強してきたからこそ、40代後半で穏やかに過ごせる人と出会えました。
一時期は男性不信にもなりました。今思うと元夫には私もひどいことを言いました。元夫の家族のことで悪態をついたこともありました。反省することもいっぱいあって、その学びを生かして、絶対にプライドを傷つけることは言わないし、小さなポイントで相手をいつもリスペクトし、絶対に小馬鹿にしないことを肝に銘じています。
周囲に離婚している友人も多く、「何でそんなに出会いがあるの?」と不思議がられます。常に言うのは「行動するのみ」そして「妥協すること」。白馬の王子様を待っていたら本当の幸せを逃します。三高男性なんて無理無理。せめても私は一高で大満足です。
取材/安田真里 イラスト/あずみ虫 ※情報は2021年掲載時のものです。