女性としてこれからのキャリアに悩むSTORY世代。’22年に女性活躍推進法が改定されてからはますます女性の活躍が期待され始め、徐々に女性管理職比率も高くなってきています。第一線で活躍している女性リーダーの方々にお話を伺うと、そこには、キャリアの狭間で自身の生き方を見つめ、可能性を信じてチャレンジする姿がありました。今回ご登場いただくのは、「ヒュッゲの森Hostel&Workspace」のプロジェクトリーダーであり、ブランディングを通じてビジネスやキャリアのコンサルティングを行うirodori Branding株式会社 代表の村本彩さんです。(全3回の1回目)
村本 彩さん(41歳)
irodori Branding株式会社 代表
福岡県出身、山梨県北杜市在住。九州大学経済学部を卒業後、サントリー株式会社(現サントリーホールディングス株式会社)に入社。営業部を経て、マーケティング部にてブランドマネージャーとして数々の新商品開発やマーケティング戦略を担当する。2018 年、独立・起業。2022年1月より家族で山梨県北杜市に移住し、2023年8月に同市にワークスペース付きリトリート宿泊施設「ヒュッゲの森Hostel&Workspace」をオープン。プライベートでは11歳の女の子、7歳の男の子の母。
サントリー時代のブランディング経験全てが、会社経営の礎に
STORY編集部(以下同)――新卒でサントリーに入社されたきっかけを教えてください。
実は当初、テレビ東京に入社したくてアナウンサーを目指していたんです。WBSの「トレンドたまご」など、テレ東の番組が好きで取材したくて。でも最終で落ちてしまって、地元のテレビ局のアナウンサーになる道も想像はしてみたけれどしっくりこない。
じゃあなぜテレビ東京の番組が好きだったんだろう? と改めて考えてみたところ、世の中の面白いものが生み出される瞬間を見るのがワクワクするから、ということに気づいたんですよね。だとしたら、取材したいと思っていたけれど面白いものを生み出す側の人になって取材してもらおうと決めました。
文系の私でも、商品開発などものづくりの根幹に携われる消費材系のメーカーに絞って就活。中でもお酒は私にとって、”人と人との心が繋がるツール”だったんです。もともと人との繋がりを生み出したいという想いがあったので、お酒を通じて普段はできない深い話ができたり、想いが通じ合えるような時間をつくれたらいいなあと。特にサントリーは、個性的な商品もたくさんあって、挑戦や創造といった精神性が根付いている会社。そんなところにも惹かれて入社を決めました。
――入社後、最初の配属ではどんな部署で働かれていたのですか?
最初の配属は営業の部署でした。スーパーなど、サントリー製品を置いている売り場を一任されるのですが、提案次第で売上の異常値がつくれるのが面白くて仕方なくて!
例えば客層を分析して、「このお店ならこの商品が売れそうだ」と仮説を立て、父の日の企画に合わせて10万円のウイスキーを置いたこともありました。通常10万円のウイスキーがスーパーで売られるのは稀ですけど、マーケティングが功を奏して売り上げもアップ。
売り場ではPOPやボードをオリジナルで製作して、布やカゴなどグッズを買って商品を陳列したり。そんな風に自分で演出して、売り場にコンセプトをつくると、お客様の反応が明らかに違ったんですよね。
売上が通常の50倍以上に跳ね上がった時は、社内報で成功事例として取り上げられたこともありました。「どうしたら売れるのか?」というマーケティング視点は、当時の経験によって培われたのかもしれません。
――その後、どのような経緯でブランドマネージャーになられたのでしょうか?
入社当時から商品開発に携わりたかったので、ブランド事業部への異動のチャンスはずっと狙っていました(笑)。営業部で実績を残すことはもちろんですが、ブランド事業部の部長との飲みの場をセッティングしてもらい、自分の存在を知ってもらう努力もしていましたね。入社4年目で、ようやく希望の部署に異動となり、晴れてブランドマネージャーに。配属されたのは、ビール以外のお酒を扱い、どんどん新しい商品が生み出される部署でした。そこでまずはリキュールブランドのリニューアルを担当することになったんです。
ビールなどと比べると市場としては小さなブランドで、売上が下がったとしても大きな痛手はないこともあり、右も左もわからないまま1人で担当しました。
――具体的には、どんな風にブランドのリニューアルを?
例えばリキュールの瓶は大きいものが多いんですが、1度に飲み切るお酒ではないので結局残ってしまう。それが次の購買意欲に繋がらない原因の1つなのではないかと考えたんです。そこで容量を少なくして、「もう飲めちゃった!」という感覚を残せるよう、当時珍しかったサイズダウンリニューアルを提案。
牛乳で割ってカルーアミルクのように飲むお酒だったので、女性的な可愛らしさを取り入れるため、丸みのある形の瓶に変えたりもしました。結果的に、大胆なリニューアルによって売り上げがアップ。その後も「カロリ。」というお酒のカクテルラインなど、チャレンジ系の商品のブランディングを多数担当させてもらいました。
小さなブランドとはいえ、やっぱり「変える」って勇気が必要なんですよね。どうしても守りのリニューアルになりやすいところを、あえて大胆に変える決断をしていました。若かったということもあって(笑)、「当てに行く」という感覚は無かったです。自分なりの分析や裏付けはした上で、「絶対こっちの方が楽しい!」というワクワク感を決断の軸にしていましたね。その考え方は、今でも大切にしています。
ブランディングの本質は、すでにあるものの光の当て方を変えて磨き上げ、また輝かせること。経験を重ねるごとにブランディングの面白さにハマっていき、私にとってはまさに天職でした。
――それほど好きだったブランドマネージャーの仕事から離れて、なぜ起業するに至ったのですか?
ある程度の経験を重ねた頃、一人目を妊娠し、産休に入りました。復職後に担当したのが、新ブランドの立ち上げだったんです。開発したのはアルコール1%のお酒。酔うほどではないけれど、少し気分を上げたリラックスできる。そんなコンセプトでつくった低アルコール飲料だったのですが、狙い通りに価値を伝えることができず、たった半年で終売になり……数億の大赤字を出してしまったんです。
思い入れの強い商品だった分、かなり落ち込みましたが、「やってみなはれ」がポリシーの会社なので、上司は「気にせず次も頑張って!」というスタンス。でも、さすがに二回目の失敗はできないという重圧でいつもピリピリしていました。家では子どもにイライラをぶつけてしまうし、理想の母親からはほど遠く、人生で一番自分のことが嫌いな時期でしたね。
そんな時に二人目の妊娠がわかり、育休中は自分を見つめ直そうと決意。ベビーシッター会社の育休インターンに参加して、衝撃を受けたんです。そこで出会ったのは、部署異動をするかのように軽やかにキャリアチェンジをしている人たち。フリーランスや起業家など、色々な人がいました。ずっと会社員でいることが当たり前の世界で生きてきて、ついにパンドラの箱を開けてしまった……という気分でした(笑)。やってみたい! と思ったら動かずにはいられないタイプなので(笑)、育休中に起業の準備を開始。
復職後は金麦など有名ブランドのブランディングも担当しましたが、「もっと違う世界を見たい」という気持ちが勝り、大好きだったサントリーの退社を決意。その後は起業に全力投球しつつ、育児にも奮闘する日々を送っていました。
――起業されてからは、どんな風に今のビジネスを展開されてきたのでしょうか?
もともとは過去の私のように、キャリアに悩んでいる女性をサポートしたいと思い、キャリアコーチングで起業しました。出産などでキャリアの壁にぶつかったり、ライフステージが変化しても、女性が諦めずに仕事ができるよう応援したいなと。
そんな時、起業仲間から「ブランディングを教えて欲しい」と言われたんです。私はサントリー時代にブランディングで失敗したと思っていたので、それができるとも、需要があるとも思わず、まさに目から鱗でした。その言葉をきっかけにブランディングのサービスをスタート。サントリー時代のブランディング経験を応用し、起業家向けにマーケティングを軸にしたコンサルを行って徐々にお客様も増えていきました。
1人では手が回らなくなり、2年目の法人化を機に社員や業務委託のメンバーを増やし、今はチームで事業を推進しています。2023年の春からは、起業当初にやりたかった「キャリアデザインの支援」にブランディングの手法を用いて、個人の生き方に対してブランディングしていく事業も展開。ビジネスのブランディング講座もリニューアルし、これまでにサポートした人数は1,100人を超えました。
サントリー時代には、私の中で最終的に自信を無くしてしまった”ブランディング”という手法が、今は別の場所で、たくさんの人に届いているのが本当に嬉しいです。
撮影/森屋元気 取材/渡部夕子