日本の古典伝統芸能、雅楽の奏者でありながら、趣味でもプロ級の腕前を惜しげなく披露し、周りを常に驚かせ楽しませる東儀さん。お堅いイメージがある一方、実はユーモラスで愛あふれる熱い人柄でも知られています。最近では高校2年生(17歳)になったお子さんの典親(通称ちっち)さんと親子で一緒にコンサートで演奏されたり、メディアでも大活躍。育児本を出版された当時はお子さんはまだ8歳で、育ってみないとこの先まだ正解もわからないと語っておられましたが、今の二人の姿をみた人は、一目瞭然に親子間の絶大なる理想的な信頼関係を感じとれることでしょう。「子育てには悩みがつきもの」、そんな先入観を取り払ってくれる、東儀さん流の子育て術や考え方をヒントにしてみたら、今からでも素敵な親子関係を築くことができそうです。(全2回の第1回)
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★ 息子に反抗期はありませんでした
★ 将来どうする?思春期のモヤモヤ解消法
★ 親の欲を子ども自身の欲とすり替えてはいけない
★ 世の中の“当たり前”で子どもをはかってはいけない
★ 子育てに悩む親御さんへ、メッセージ
どんなに忙しくても子どもの問いかけには反応してきました
――親子で一緒にライブやコンサートに出演されたり。仕事でもプライベートでも仲良しですよね?
親子アピールをしようだなんて微塵も思っていないんです。雅楽のコンサートでも、ロックの演奏も無理矢理に引っ張り出しているのではなく、ただ、僕がいるところに、息子である、ちっち(典親さんの愛称)が一緒にいるというだけのことで。本当は嫌だけど、親がそこまで言うから仕方なく関わっておくといった気遣いが生まれるのは絶対によくないと思っています。日常の生活、つまり、人生をとにかく無駄なく楽しんでいるのをすぐ近くで見ていると、巻き込もうと思わなくても自然にいつの間にか巻き込まれてしまっているというような、すごくいい状態になっているんだと思います。
以前、子育て本を書きましたが、“こうすれば人の心は大丈夫”という保証のない確信があったんです。それを人に伝えながら実践する時が来たんだなと思いながら子育てを始めて、今に至っています。多感な時期になったらコミュニケーションがなくなったりもするのかなと思いきや、この17年間、口論するとか、意見が違って気まずくなることも一度もなかったんです。
――子育てで大切にしていたこととは?
小さい頃から、「ねえ、パパ」って子どもが言った瞬間、僕は全てのことをやめて必ず目を見て「なあに」と言って最後まで話を聞くようにしていました。「あとでね」とは絶対に言わなかったんです。子どもが一番熱い時、一番喋りたい今、「あとでね」と言ってしまったら、その「あとで」が今度いつくるかわからないから。子どもは大人になるし、「どうせ今は聞いてくれなくて、またあとでになるから言わないでおこう」ってなってしまって、言わなくなるんです。それが孤立を作ってしまうと思うんですよ。だからどんなに忙しくても、作曲の最中、どんなにいいところで邪魔されても必ず耳を傾けていたんです。いったん手を止めても、僕なら才能があるから(笑)回復できるんですよ。他で聞いてもらえなくても、家に帰れば必ず聞いてくれる人がいるというのは、子どもにとってはすごく大切なことなんです。
ただ聞いてもらえたというだけで気が済んだり、そこでアドバイスをもらえるとかなり安心するんでしょうね。なので、「これを言うと親が心配するかな? 気にするかな?」ということも何でも言うようになりました。テストで悪い点をとったとか、僕だったらランドセルの奥に隠して知らん顔していたのに、うちの子は目を輝かせて悪い結果を報告してましたね(笑)。嘘や偽りがないんです。学校の先生も、全部がいい人であるはずがなくて、「先生と言われている人が全部正解を持っている人というわけではないよ」と伝えています。
先生の悪いところも「人ってこういうものだな」と見るといいよって、よく言っていて。そうするとむやみに誤解されて先生に叱られたりしても、へこたれなくなって「先生にも見えていないところがあるんだなぁ」と言いながら先生よりも大人になった気分で家に帰ってきたりも(笑)。考え方、見方を変えるだけで心のゆとりができるんでしょうね。ちょっと嫌なことがあっても気持ちが参らずにいられるんだと思います。
――私自身、子沢山なのですが、話しかけられてもすぐに対応できないことが多々あります。親の愛を全面に一人だけに注げない場合はどうしたら良いのでしょうか?
気持ちはそんなことないんでしょう? もう、それでいいんですよ。物理的に無理なものは無理って。たくさん子どもがいたら、受け取り側も「そりゃ~無理だよな」ってわかるものだから。「どうして?」っていうのはないと思います。気持ちがあってちゃんと接していれば大丈夫ですよ。
息子に反抗期はありませんでした
――反抗期はありましたか?
子育て本を出版した時は、中学、高校生になったら、いきなりコミュニケーションがなくなったり、反抗期が来たりするのかなと思っていましたが、微塵もなかったですね。この17年間、口論するとか、ちょっと意見が違って気まずくなるっていうのが一度もないんですよ。つまり、声を荒げることも叱ることもなく。
――怒ったこともないのですか?
「怒る」っていうのは無意味なことで、怒る人というのは、自分の気が済むようにしたいだけでなんの解決にもなってないことがほとんどなんです。解決をしたいのだったら、怒る前に、どうしてそういうことになったのかを説明して理解してもらう必要があります。そのためには、怒っていたら理解してもらえませんから。指示をしたい時には、本当に丁寧に「周りの人はこういうふうに勘違いする可能性もあるし、だからこの行動とか言葉ってものすごく大事なんだよ」っていうことを言ってあげたり、「今の言葉って、逆に違って捉えられることもあるよね、それだと相手は怒ったり悲しんだりすることもあるけど、こういうふうに一言添えておくと確実に伝わるよ」とか。そう言う言い方をしていくと、コミュニケーションというものがどういうものなのかを、勝手に考えてくれるようになります。
――人生の先輩として気づきを与えるみたいな感じでしょうか?
そうですね。常に、こういう大人になれば大丈夫だ、という見本でいられたらいいなと思っています。「あんな父親みたいにならないように頑張ろう」という家庭を周りでいっぱい見ているけど、反面教師ではなくて。やっぱり、家族がいつも仲良くて会話が途切れなくて、いつも笑っているようなところの子どもって、ものすごくイキイキしている。だからそのためにも話しかけられた時には必ず目を見て最後まで話を聞いていたんです。息子も、他のインタビューで、正直に「世の中で一番尊敬するのは父親です」と言うんです。普通、今の若い子って、そんなこっ恥ずかしいことなんて格好悪くて言えないでしょう? だけど、それをポンっと言えてしまうところに、僕は、自分の生き方が上手くできているという確信をもらえた気がしているんです。その責任を死ぬまでまっとうしたいと思うと、きちんとというか色々な意味で、間違いのない生き方をしてやろうじゃないか、というスイッチが入りっぱなしになりますね。
――反抗期がなかった理由についてはどう思いますか?
あってもいいのになかった理由を考えてみたんだけど、100%親を信頼しているからだと思うんです。それも、親の喜ぶ顔を見るために何かをしようというあざとさすら、全く必要がないぐらいの信頼が。子ども自身、自由だけど隠れてコソコソする感じでもないし、自分の話を親が聞いてくれるというオープンな関係でいると、「親が気にするから」などということもなくなるんでしょうね。
――思春期になって心を開いてくれなくなるというケースもよく聞きます。親としてできることは何だと思いますか?
うちの子がそうならなかったから僕には経験がないのだけど、無理してコミュニケーションを取ろうと思うと厄介だと思うんですよ。よく色々なご家庭の話を見聞きすると、折り合いがよくない時に親が頑張って何かをしたところで余計に振り向いてもらえなくなることが多いです。もし、そうなった場合は、きっと何かの拍子に子どもが気づいてくれる時がいずれ訪れるから、すごく大きな気持ちでドンと構えるしかないと思うんです。
心配するよりも、信頼することですね。「信頼してくれてるんだ」と子どもが思った時に、そこで改めて親の愛情を感じる時が来るだろうから。心配して小言を言っていると愛情と思わないから反抗するんであって、信頼して何もしないけど守っていきたいという気持ちを持った親の心はきっと伝わる時が来ると思いますね。
――良かれと思っても小言を言ったり、問いただしたりしては逆効果なのですね。
そうすると今度は隠れて何かをするようになってしまうから。「したくない」と子どもが言うなら、「ああ、そうか。今はしたくないのか。いつか、したいと思う時が来るといいと思うよ」ぐらいの気持ちで受け取れたらいいですね。「しなさい」ではなくて、「できる時が来るといいね」と。一緒に時間をかけてみようか、というスタンスを親も持っているのが伝わると、お子さんも安心するのではないでしょうか。「ああ、待っててくれるんだったら、頑張ってみようかな」って、もしかしたらすぐに変わるかもしれないし。
将来どうする?思春期のモヤモヤ解消法
――将来なりたいものや、好きなこと、やってみたいことがわからないというお子さんが多いようです。親も一緒にモヤモヤしてしまうことも。解決法や、無我夢中になれるものの見つけ方はありますか?
自分が何に向いているかっていうのは、他人はまずわからないし、自分もわからないです。だから、黙っていたら何も見つけられません。「どうせ楽しいことなんてないさ」って今の子どもたちは決めちゃいがちだけど、キョロキョロしたり出歩いてみると、結構、世の中には色々なものがあるんです。そこで自分が何を感じるかということに焦点を当ててみるといいんじゃないかな。
面白そうなものがあったら、自分だったら楽しめるかな? って、人が楽しそうにしていることを全部自分に置き換えていくと、いつの間にか、やってみようかなって思えるものが非常に簡単に見つかると思うんです。楽しいことって、人から与えられるものではなくて自分が動かない限り出合わないから。逆に、動かないくせに「楽しいことがない」って言っている人はダメダメだと思っています。
――自分の子だけ浮いてるのでは……? と不安になる親御さんもいるかもしれませんが。
人と違うことをして、「なんだアイツ?」と周りから言われた時こそ、個性があって自由があってメチャクチャ格好いいと思うんですよ。「皆、同じだと安心」という、均一化しようとする教育方法に間違いがあるのであって、ちょっと違うカラーだからと不安になって周りに合わせて自分を殺してしまうのは一番良くないですね。後ろ指を刺されたら、「後ろ指を刺す方じゃなくてよかったね」と、若い子たちに言います。後ろ指を刺される人の方が、もっとワクワク生きるチャンスがあるから。いじめられてる子も、いじめる人のことばかり気にしていると苦しいけど、自分で違う世界に飛び込んでいけば、そこで吹っ切ることもできるんです。とにかく自分で動かなきゃね。
――興味が湧いた時に、とにかく動いてみるのが大事ということでしょうか?
思った時がやる時です。「あとでね」とか、「またいつかね」って言ってしまうと、その「いつか」が本当に来るのか? ということをいつも気にした方がいいです。それに、すぐ動いてみると、誰も褒めてくれなくても「お、動いたな! 後回しにしない自分っていうのも結構やるじゃないか!」と自画自賛できて、自分のことをもっともっと好きになれるんです。そうすると更に清々しい気持ちになって、もっと動きたくなってきますよ。ただ、何でもかんでも自由奔放にしていいかというと違いますけどね。世の中一人で生きているわけではないから、周りの人を嫌な気持ちにさせないことや、迷惑をかけない上で、というのが大前提ですけど。
親の欲を子ども自身の欲とすり替えてはいけない
――代々続く家業の継承についてはどう考えますか? 医者家系など、どうしても子どもを後継にしたい人のプレッシャーも耳にします。東儀さんのお子さんも雅楽をされてますが、どのように受け継がれていったのでしょうか?
すごく言葉は悪いけど、代々医者家系とかにこだわる人って多いじゃないですか。僕から見ると、「何言っちゃってるの?」ですね。「1300年続けてるんだぞ、うちは。たかだか何十代の浅い歴史でガタガタ言ってるんじゃない!」という感じです(笑)。継がせたいっていうのは親の欲であって、本人の欲を親が自分の欲とすり替えちゃいけないんです。人としてどういう生き方が一番いいのかと考えた時、「ああ~よかった。楽しかったなぁ。じゃあ、もう、あとは神様お願いします」って死んでいければ本望じゃないですか。「あれもこれもやりたかったけどさせてもらえなかった……。家のことも頑張ったのに何もいいことがなかった」って死にたくないじゃないですか。我が子の幸せを願う親として、自分の子どもにどっちを選んでもらいたいか考えたら簡単なことです。
家が医者だからって医者になりたくないものを無理矢理医者にして「本当は野球選手になりたかったのになぁ」って最後ポロッと言って死んでいくのは目も当てられないですよ。「医者の家に生まれたのに、大好きな野球をさせてくれてありがとう!」って言ってもらえたらすごくいいと思うんです。でも、大事なのは、「君は医者の子どもに生まれた野球選手なんだよ」っていう価値観を子どもに伝えてもらいたいと思うんです。「僕のお父さんは医者でね、こういう立派な医者だったんだけど、僕はスポーツ選手になったんだよ」って言うと、その意識が孫に伝わって「お爺ちゃんが医者だったんだって」という話から、医者に興味を持ったりするようになります。で、「お父さんが野球選手でお爺ちゃんが医者かぁ。僕は医者に向いてる気がするな」と、医者になったら、一代飛ぶけどまた元に戻るんですよね。
――東儀さんご自身は、ちっちさん(息子さん)に雅楽を継いでもらいたいとは思わなかったのですか?
僕は、ちっちが雅楽師になるかならないかなんて全くどうでもよかったんです。1300年続いている家だからといって、僕の家が続かなければ雅楽が途絶えるかというと、そういうことはないから。とにかく、息子には、息子が一番イキイキできて、楽しく生ききって欲しいとだけ思っています。嫌なものなのに我慢して仕方なくやるっていうことはない方がいいに決まっているのだから。何に向いているかわからないのだったら自由奔放にさせて、何かこれだ! というものを見つけたらそれに邁進できるような下敷きを僕が敷いておけばいいんです。「雅楽の家だから、雅楽をやってね」なんて一言も言ったことも頼んだこともないですよ。だけれども、結局、雅楽をやるようになったのは、とにかく僕が楽しく雅楽をやっているのを近くで見ているから。「篳篥(ひちりき)ってどうやって吹くの?」とか「笙(しょう)ってどうやって吹くの?」と、聞いてくるから「こうやって吹くんだよ」と、おもちゃのように与えていたらやるようになりました。
――もし、ちっちさんが雅楽をしなかったらどうなっていたのでしょうか?
彼が雅楽の楽器なんてやらなくても僕は心配していません。というのも、日常の会話がすごく多くて、古い昔の話をすごく好んで聞くからなんです。東儀家の価値観とか、雅楽の価値観や歴史観とか僕が持っている日本人観について、しょっちゅう話しているんです。それが何なのかを受け取っていながら彼がロックをやると言っているので。ロックじゃなくて何か別のものになるかもしれないけど。そのうち彼の子どもができても、彼は僕の育て方がいいと思っているから、きっと同じように子どもに語り継ぐと思うんですよ。
「うちの東儀家はね、僕はこういう仕事をしてるけど、お爺さんがすごい自信過剰な篳篥吹きで」って(笑)。そうやって、死んだあと何十代経ってもその価値観だけが伝わっていさえすれば、目の前のことで決めなくても、どんな仕事をしていてもいいと思っているんです。時間がかかっても、どこかの代で、「音楽に向いてる気がするから雅楽をやってみよう」と戻る可能性があるから。
――家業を継ぐために好きなことを諦める人もいますが……。
美談のように語る人がいるんだけど、これについては「何言っちゃってるんだ!」って(笑)。何で自分の能力を一つに絞ろうとするんだろうか。「家の大切なことをするために、それを捨てなければできないのか!? 能力はそこまでか!?」って問いただしてみたくなりますね。辞めなくても、2足のわらじだって3足でも4足でもやってみてから決めればいいのに、と思います。僕自身も、ロックやジャズで身を立てようと思っていた時に初めて雅楽を勧められて始めたけど、「雅楽が増えるだけ」と考えたら、もっと幅広い音楽人間になれると考えたんです。実際にそこから自分のオリジナルが芽生えましたし。もし、雅楽の道に行くからといって「ハイ、じゃあ、雅楽一本でもうロックは封じ込めます!」って言ったら今まで生きて培ってきたものが全部否定されてしまうような感じになってしまうじゃないですか。世の中で経験したこと全て経験するべきことだと思っているから、何も捨てるものはないんです。
世の中の“当たり前”で子どもをはかってはいけない
――最近、不登校のお子さんも多くいます。不登校の子の親御さんに何かメッセージはありますか?
うちの子は不登校ではなかったので何とも言えないのだけど、「学校に行きなさい」と言うんじゃなくて、行かなくてもイキイキ人生を送れる方法を親が考えた方がいいですね。学校が全てだなんて今の世の中、そんなことはないから。親は世間体を気にしすぎるんですよ。「学校に行かない子がうちにいる」と引け目を感じたり、他の保護者に自分や子どもがどういう目で見られるのか気になってしまう。他人の目しか気にしないから不登校でオロオロするのであって、「うちの子、おたくの学校には合わないようです、自由にさせますから」って言うぐらい親にも度量があったら子どもはのびのびしますよ。学校が嫌だったら、もっとワクワクすることや、何か好きなものを子どもが見つけた時に、「学校なんか行かなくていいから、それを思いっきりやってごらん!」って言って与えたら、子ども自身も滅茶苦茶ワクワクした人生をこれから選択できると思うんです。
――その言葉に救われる人は多そうです。特に最近、学校内でも不登校の子がたくさん増えてきているみたいです。
不登校もいっぱいいるんだったらいいですよね。一人だけだと、「もう、保護者会に行けない」とか、「他はみんな行っているのにうちだけ行けない」とか悲観的になるけど。うちも、あのうちも、あっちもこっちも不登校だったら、「お宅、行く?」とか言って、結束感が出そうな気もする。多勢に無勢というのを気にしすぎるんでしょうね。お子さん自身が一番どうイキイキできるかっていうものを見てあげるのが親の責任だと思います。勉強ができなくたって、できるように頑張るじゃなくて、できないんだったら何か他にできることを探す方がいいし。世の中の“当たり前”というものさしで自分の子どもをはかってしまったら、ひずみが出てしまう気がします。
――子どもの様子をよく見て、それぞれの子に合った声がけも大事になってきますね。
親は子どもの心の動きを本当にわかった上で声をかけてあげないといけないですね。自分の子どもがどういった思考でいるのか、というのを知っていないとできないですけど。周りの目を気にした言い方で言うのは一つもいいことがない。例えば、教科でもうちの子は僕と一緒で算数がダメ。だけど「算数を頑張れ!」なんて言う必要はなくて、「得意なのは何だ?」と聞くと、国語とか歴史とか英語が凄く得意だから、「もう、算数なんて、捨てていいよ。捨てちゃえ~!」って言います(笑)。明日が算数のテストだと聞いたら、「あ~。じゃあ、適当に時間を過ごすんだねぇ」と、言いながら。
でも本人は少しは点数を取りたいという欲があるから逆に勉強するんですよね。「勉強しろ!」と言うよりも、よっぽど勉強するみたいですね。要するに、子どもが何が好きで、何が嫌いで、こういう場合には何をどう考えるのかというのを親が絶えず知っておけば何かしら対処できるんです。その時にすぐ言わなくても後で、「あの時こうだったものね」と、一言ポロッと言うだけでも、子どもは「あ、知ってたんだ。見てたんだ」と、思春期であろうと反抗期であろうと思うでしょうし。
子育てに悩む親御さんへ、メッセージ
――子育てを苦痛に思う親御さんに何か一言お願いします。
例えば、18、19歳で苦痛というのは重症で、そこにコミュニケーションがないと大問題なのだけど、例えばもっと小さい頃だったら、子どもって自分の分身みたいなものじゃないですか。例えば、子どもだからする遊びとか、欲しがるものとか、興味を持つものとかをまた親になって目にすると、また同じ人生をリスタートさせてもらえているように感じませんか? 「そういえば、昔こんなことしたなぁ」って。
自分の少年時代、少女時代に戻してくれるのが子どもの与えてくれた時間だと思うんです。この、子どもに与えられている時間が二度と味わえないと思うと、愛おしくなってきませんか? 夜泣きする赤ちゃんの顔だって、2、3ヶ月したらもう見られないし、泣き声も変わるし。声変わりする前の男の子の声なんて、たっぷり味わっておかないと二度ともらえないよ。だから、その巻き返しのできない時間の瞬間瞬間を愛おしく思えば、子育ての同じ苦行ばかりをずっと永続的に繰り返すわけではなく、だんだん子どもは成長していくのだから、先々の楽しみになると思いますね。
――思春期でやんちゃなお子さんに手を焼く場合はどうしたら良いですか?
あまりに人に迷惑をかけたり傷つけたりしたらガツンと言わなければいけないこともあるでしょうね。その時は、思いっきり本気で言わないといけません。「他人を傷つけているからではなく、人を傷つけているお前が傷つくのが許せない」という気持ちを持って。人が言ったからではなく、あなたの人生のためにやめなさいということを言いたいんです。大声を出している子どもに対しても、「ほら、怒られるから静かにしなさい」という親がいるけど、怒られるからではなく、大声を出すからいけないのだということを教えたり。「にらまれるからやめなさい!」ではなくて、「にらまれる前にやめることがあるでしょう?」っていうことですね。
――仲良し親子でありながら、親としての威厳を保つコツは?
友達親子ってよく言われるのだけど、ちっちも僕もそういう言われ方は嫌いなんです。同じような格好をして、同じ趣味で、仲良いでしょ? っていうのは世の中いっぱいいるけど、親と子は同等ではなく、子がいつでも親を尊敬したいという状況を親が体で伝えていくっていう姿勢が大事です。「大人になったら、こういう大人になりたい」っていう、友達には求めないものがあって。そういう距離感がいつでもあった上でめちゃくちゃ仲が良いっていうのが理想的だと思います。
例えば、特に女子の親子で同じアイドルを追いかける人など、それはそれでいいと思うので否定はしないのだけど、友達親子として親が同等と言い続けると子どもも親と同等だと勘違いしてしまっていたりするケースが多いのですよね。親は絶対的に先を行く存在であって、見本を示しながら、命を捨ててでも子を守るっていう覚悟があるべきだと思っているんです。親が子どもと同等な友達だとしたら、そこまでの覚悟は持てなくなるでしょう?
――ちっちさんと仲が良いですが、仕事でもプライベートでも一緒にいて煙たがられたりはしませんか?
ないです。すごく一緒に居たがりますし、僕がめちゃくちゃ変なふざけ方をしても、いつも喜んで。不思議がったりもしてるけど、「そういうことができる人に私はなりたい」っていつも言っています(笑)。
(後編に続く)
撮影/沼尾翔平 取材/嶋田桂以子