「中学受験のその後」のミライをハッピーに導くにはどうしたらいい? 先輩ママで元プリンセス プリンセスの岸谷 香さんに聞きました!
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岸谷 香さん、40代は「プリプリ再結成」と「思春期子育て」の二刀流でした
教えてくれたのは…先輩ママ、 岸谷 香さん
1996年5月武道館公演をもってプリンセス プリンセスを解散、1996年俳優の岸谷五朗氏と結婚。2014年ソロ活動を本格的にスタート。自身初となるダンスチューン、最新シングル「Beautiful」配信中。6月には川崎、仙台、福岡、広島、札幌、大阪、名古屋、東京にてライブ決定。
葛藤も、10年後は酒のツマミに
◇ 自身の体験から、受験の合否がゴールじゃないと知っていました
3・11の震災の翌年、チャリティのためにプリプリを再結成した2012年は、ちょうど息子が新5年生を迎え、受験塾S校に通い始める頃でした。活動を開始すると、20数クラスある塾の中で10ほどクラスが下がり、成績はガタ落ち……。再結成の最後の活動、紅白が終わった日から母業に専念しなくては!と、毎日学校と塾の送迎をしました。
そもそも、私自身が小学校受験をした経験から、息子にも自然と小学校受験をと準備して、幼稚園の頃から受験塾に通ったものの、第一志望の学校には入れず、別の私立小学校へ。一貫校ではなかったため、中受に向け学校見学をする中で、息子が「僕、ここに行きたい」そう言ったのが、小受で志した高校・大学まで一貫の難関校でした。そして、10月を過ぎた頃に彼のスイッチがやっと入り、第一志望の難関中学に見事合格、本人もその結果にご機嫌だったんです。
ところが、一学期を過ぎた頃から「つまらない。思っていた感じと違う……」というのです。ある時、担任の先生に親子で呼び出され、「このままでは進級できません」と告げられました。なんと、毎日のように遅刻して、ひどい時には昼過ぎに登校していたのです。担任の先生が良い方で、その導きで不登校にはならずに済みましたが、小学校から上がってきた子たちのカルチャーや校風に馴染めず、違和感の中で過ごす日々だったようです。
そして、3年生になる頃、「実はずっと思ってたんだけど、高校には上がりたくない」と言い出しました。「せっかく頑張って入って、大学まで行けるのに! どうするの!」と、親の本音が口をついて出ていました。
そんなある日、英語が苦手だった息子が、「留学したい」と言い出したのです。これは、前に進むチャンス! と、5週間の留学にトライさせてみました。そして、帰国時、空港のゲートから出てきた息子の顔ときたら……。手にとるように、「何かが変わった!」とハッキリとわかったのです。そして、案の定、彼は「俺、海外の高校へ行く」と言い出し、中受以来必死で勉強し始めました。目標が見つかると、子どもは変わるんですね。どんどん力がつき、海外の学校を受験して合格し、その後は海外の大学へ。中受の頃に描いていたのとは全く違う、予想だにしないミライへと辿り着きました。
思えば、私が17歳で高校を中退して音楽の道を志したのは、小・中一貫の有名進学校から希望校に行けず、高校に不合格したのがきっかけ。子ども達の受験時には口に出さないようにしていましたが、実は、自身の経験から「受験の合否で人生は決まらない」「受験はゴールではない」と知っていたのです。
あの時、志望校に合格していたら、「M」も「ダイアモンド」も生まれなかった。すべては受験の後、合否を受けた、そこからがスタートなのです。
あれから10年、2人でお酒が飲めるようになり、母がプリプリであることに反抗したムスッと顔の卒業写真を見ては、2人で酒のツマミにして笑っています。息子が20歳を超え、人生で親子の共同作業はいくつできるのだろう、そう思います。
無駄にケンカもしたし、辛かったけれど、親子で中受を経験して良かった。10年経てば、笑っていい思い出話にできる。皆さんにも、どんなミライが待っているか――10年後を楽しみに頑張ってください!
10年前の中受の思い出
撮影/吉澤健太 取材/山崎智子、小出真梨子 ※情報は2024年6月号掲載時のものです。