端正な顔立ちで、明るいオーラと飾らない雰囲気、はつらつとした美しさが魅力の女優・中越典子さん。モデルや情報番組のリポーターを経て、NHKの連続テレビ小説「こころ」のヒロインとして女優人生をスタート。プライベートでは2014年に俳優の永井大さんと結婚。その後2017年に長男、2018年に長女を出産し、年子の兄妹ママとして日々育児にも奮闘中!デビューから25年、女優として、妻として、母として…40代を迎えてますます輝きを増している、等身大の中越さんに迫りました。
★ ターニングポイントは5回目のオーディションで勝ち取った朝ドラ主演
★ 10年以上劣等感に苛まれ“朝ドラヒロイン”の肩書きが辛かったことも
★ 舞台での経験が、お芝居への劣等感を拭うきっかけをくれた
19歳のとき「表に出る仕事をしたい」と事務所に応募したのがきっかけ
この世界に入ったのは、地元の佐賀県から上京して1年経った19歳の頃、自分で事務所に応募したのがきっかけ。高校は芸術課で油絵を専攻していたので、母に「もう少し芸術を続けてみたら?」と言われたのを機にジュエリーを作る専門学校へ。進学を機に上京しましたが、在学中もずっと芸能界への興味が頭の片隅にあって。昔から女優を目指していたというような意識の高さはなく、表に出て表現する”モデルをやってみたいな”という軽い気持ちからのスタートでした。
当時、芸能事務所のオーディション情報が掲載されている「デビュー」という雑誌があったんです。それを見て今の事務所が目に留まり、自分で写真を撮って応募しました。「事務所に入れば、何かしらモデルへの道が拓けるだろう」と思っていたものの、蓋を開けてみたら舞台のお芝居がメインのガッツリ役者向けの事務所で(笑)。応募要項に書かれていた「個性を活かす」という文字だけは印象に残っていたので、その言葉を信じて今の事務所に入ることを決めました。
二十歳の時に、ファッション誌ViViのモデルを務めたのが最初のお仕事でした。当時は岩堀せりさんや佐田真由美さんが最前線で活躍していた頃で、「プロのモデルって全然違う!なんてかっこいいの!」と圧倒されて…。「自分には向いていない」と気づいて1年半でやめてしまったんです。ちょうどその頃リポーターのオーディションに受かり、「王様のブランチ」のブラン娘(ブランコ)として活動することに。毎週テレビに出演するようになったものの、知識も無いなか、情報を上手く伝えられないもどかしさをずっと抱えながらやっていましたね。仲間と和気藹々と仕事するのは楽しかったけれど、このまま続けても私の中で何かが変わるという希望は見出せないままでした。
その間に、初めてセリフのあるドラマに出演したらお芝居の方に興味が湧いてきて。役者にそこまでの興味はなかったはずなのに、現場で出会う役者さんたちがあまりにもかっこ良くて…。そこで感化されて本気でお芝居に向き合いたいと思うようになり、王様のブランチは2年半で卒業。半年後の23歳の時に、NHKの朝ドラ「こころ」の主演が決まりました。
ターニングポイントは5回目のオーディションで勝ち取った朝ドラ主演
実は王様のブランチリポーターを卒業してからの半年間、何も仕事がなかった空白の時期があったんです。その間はずっとオーディションを受け続けていて、CMやセリフのないドラマも受けたけどなかなか決まらず…。半年もブランクがあったので、次のオーディションに落ちたら芸能界は諦めて、一旦0ベースに戻ろうと決めて臨んだのがNHKの朝ドラ「こころ」でした。年に2回受けて、5回目でやっと合格することができた念願の朝ドラ主演。背水の陣で挑んだので、気合いと気迫が審査員の方に伝わったのかもしれません(笑)。
女優人生の中では、やっぱり「こころ」がターニングポイントになったと思います。向き合った時間も10ヶ月と長く、“朝から晩までお芝居をする”という、ほとんど初めてに近い経験の毎日。常にアドレナリンが放出されていて頭の中も混乱もしていたし、記憶が飛んでしまうくらい衝撃的な10ヶ月でした。あまりにも目まぐるしい撮影スケジュールだったので、自分の感情は置き去りで目の前のことをこなすのにただただ必死。お芝居も思うようにできない中、周りの大御所の役者さんたちを前に「常に笑顔でいなくちゃ…」という妙なプレッシャーで気を休めることもできませんでした。そんな状況が3ヶ月続いた頃、ついに疲労がピークに。ものもらいが3つもできて、体力も気力も限界に達し…寝落ちして長文のセリフを覚えきれないまま翌日の本番を迎えるという事態に!夜中に撮影をストップさせて、2時間でセリフを覚えて再撮影をするという大失態を犯しました。今思えば、本当に責任感がなかったなと。その挫折からは襟を正して、気を引き締めて撮影に臨みました。
朝ドラは1日に10シーン以上撮ることもよくあるんです。物語の時系列に関係なく、家のリビングのシーンがあれば8話分一気に撮ったりするほど、分刻みでバタバタのスケジュール。そんな風に無我夢中で向き合い続けた10ヶ月は私のお芝居の礎になっているし、役者としての原点ですね。
10年以上劣等感に苛まれ“朝ドラヒロイン”の肩書きが辛かったことも
朝ドラの主演女優として、華々しいスタートを切ったかのように思われることも多いのですが、実は朝ドラを卒業してからが苦労の始まりでした。「こころ」が初めて挑戦した本格的なお芝居だったので、現場ではまるでお人形のように、「目線を上げて、そこで喋って」と監督の説明通りに演技をしていたんです。とにかく膨大な話数の撮影でしたから、監督と1つひとつのセリフについて丁寧に意見を交わす時間の余裕もない。台本を読み込んで内面の解釈を深めたり、リハーサルで監督と話し合いながらお芝居を作り込むのがセオリーだけど、当時の私にはそんな技量も、認識すらありませんでした。
とりあえず言われた通りにこなしてOKをもらい、違っていたら指摘されたところを直して…と対処療法的にお芝居をしていたので、演技の本質までは理解できていなかった。そんな私が朝ドラを卒業して大海原に出たら、いきなり自由度の高いフリースタイルのお芝居を求められるわけです。ドラマの現場に入っても全く動けない…。どうすれば良いかわからず、当時は演じるのがすごく怖かったですね。特に私の場合は「朝ドラの主演女優」としての肩書きもあってドラマに呼んでもらったのに、その期待に応えられないことが心から悔しくて恥ずかしかった。正直、周りからも「朝ドラヒロイン」という目で見られるのが精神的に辛かった時期もありました。
同世代の役者さんと一緒に演技をして、「やっぱり上手だな〜」と肌で感じる人もいましたし、監督に「中越の演技はつまんねえなあ!」と吐き捨てられたことも。そんなこと言われたら誰でも落ち込みますよね!?(笑)。今思えば劣等感の塊で、10年くらいはずっと辛かったです。でもきっとここまで続けてこられたのは、そんなマイナスな感情や悔しさがあったから。劣等感をバネにしたことで、努力し続けてこられたと思います。そういう意味でも、自分を強くしてくれた「こころ」の経験には感謝していますね。
舞台での経験が、お芝居への劣等感を拭うきっかけをくれた
お芝居に対する劣等感を乗り越えられたきっかけは、舞台で経験を積めたことが大きかったと思います。所属事務所が舞台のプロデュースも行っている会社で、私にチャンスを与えてくれて、色々な演出家さんと組ませてもらったんです。舞台では一ヶ月くらい集中して稽古をするので、演出家や周りの役者たちがどんな風にお芝居を作っていくのかを間近に見ることができる。お互いの熱量をぶつけ合いながら芝居を作り上げるプロセスは、思いもよらない化学反応が起きて本当に面白くて。演出家の中には、コップの持ち方から歩き方まで一挙手一投足に演出を付ける方もいて、毎日のように怒られたことも。もう辛くて泣きながら稽古に行っていました(笑)。そんな風に経験を積んでいくうちに、事務所以外の舞台で演じてみると意外と反応がよかったりして、徐々に手応えを感じられるようになっていきました。演出家さんと毎日のようにディスカッションせざるを得ない環境が、少しずつ自信を与えてくれたと思います。子育て中の今は、地方公演などで物理的に家を離れてしまう舞台は控えているのですが、色々な演出家の方とまた一緒に舞台ができることを夢見ています。それが、自分を鼓舞し続ける原動力になっていますね。
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撮影/中田陽子 ヘア・メーク/陶山恵美(ROI) スタイリスト/小川真央 取材・文/渡部夕子