外資証券会社勤務からキャスターへ転身し、現在はフリーアナウンサーをしながら会社経営など、輝かしい経歴をお持ちの長谷部さん。そんな彼女がお子さんを授かったのは、今から16年前のこと。初めは我が子にダウン症があるということを受け入れられず、死ぬことまで考えるほど悩んだ時期もあったそうですが、現在は娘のななさんとの生活をブログやSNSで積極的に発信し、ハワイでの子育てを楽しんでいます。今回はななさんを授かってからハワイ移住を考えるまでのお話を、一時帰国中の長谷部さんと娘のななさんに伺いました。(第1回/全3回)
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長谷部真奈見アナ(46歳)人も社会も優しいハワイで、ダウン症の娘と手に入れた日常
★ とにかく娘には色々な経験をさせたい
★ コロナ禍で一度はハワイ移住を諦めかけた
★ アメリカでは障がいがあってもなくても、教育の保障が法律で定められている
★ 型にハマらない夫の存在
常に道から逸れないように生きてきた自分が、初めて道を見失った
私は弟が2人いることもあり、いわゆる典型的な長女タイプ。小さい頃から保守的で真面目だったし、常に目指すものが決まっていて、それに向かって一生懸命何事も頑張る性格でした。
結婚し、待望の第一子妊娠が分かったときも本当に嬉しくて、どんな風に子育てしようか、どんな習い事をさせようかなど、出産前からいろいろな想像を膨らませ、楽しみで仕方ありませんでした。それが、出産後に医師から娘にダウン症があることを告げられたときは、とにかくショックすぎて、妊娠前に戻りたい!とまで思っていました。
これからどうやって子育てをしていけばいいのか全く分からないし、ロールモデルも失い、初めてどこを目指せばいいのかが分からなくなりました。
染色体の突然変異によって起こり、通常、21番目の染色体が1本多くなっていることから「21トリソミー」とも呼ばれます。この染色体の突然変異は誰にでも起こり得ますが、ダウン症のある子は胎内環境がよくないと流産しやすくなるので、生まれてきた赤ちゃんは淘汰という高いハードル乗り越える強い生命力をもった子なのです。ダウン症の特性として、筋肉の緊張度が低く、多くの場合、知的な発達に遅れがあります。発達の道筋は通常の場合とほぼ同じですが、全体的にゆっくり発達します。心疾患などを伴うことも多いのですが、医療や療育、教育が進み、最近ではほとんどの人が普通に学校生活や社会生活を送っています。600~800人に1人の割合で生まれる※とされています(※引用元:小児慢性特定疾病情報センター)。
はじめの3年くらいは娘のことが受け入れられず、目の前がずっと真っ暗闇でした。
常に他人の子供と比べたり、羨ましく思ったりして落ち込み、もう一生笑って暮らせる日は来ないんじゃないかと思っていて。すごく悩んで苦しんで、神様を恨んだりもしました。でも、比べることになんの意味もないことに気づいてからは、ちょっとずつ気持ちが楽になり、娘とも向き合えるようになっていきました。
とにかく娘には色々な経験をさせたい
ハワイは、娘が1歳のときから夫の仕事の関係で毎年行っていて馴染みがあった場所。娘は、海外に行くたびに今までできなかったことができるようになったり、生き生きと楽しそうに成長しているのが目に見えて分かったので、海外が合っているなと感じていました。そこから、なんとなく海外移住のことも視野に入れるようになってきました。
中学を卒業したタイミングでは、家族3人で2カ月に渡る世界1周旅行にも挑戦しました。計25都市を訪れた旅行ではもちろん予想外の出来事もありましたが、娘を連れていろいろな国を見て、感じて、経験できたことは本当によかったです。娘も、ずいぶん精神的に強くなりました。経験はやっぱり財産になるので、娘にはこれからもいろいろなことを経験し、チャレンジしてもらいたいなと思っています。
ななさん「ペルーとインドとドバイ! ペルーは友達に会えて、インドとドバイはラクダに乗れたから。」
コロナ禍で一度はハワイ移住を諦めかけた
小学校では特別支援学級のある日本の学校に入り、給食の時間は普通学級で健常児たちと一緒に食べたりもしていました。でも、中学年くらいからは段々と交流が減り、1日をほぼ特別支援学級で過ごすことが多くなったんです。このままでは、中学になると同じ校舎にいてもほとんど健常児との交流がなくなると思い、環境を変えてハワイで生活しようと考え始めました。でも、娘が小6の時にコロナ禍になり、行ける状況ではなくなってしまったんです。周りからも「これは、きっと行かないほうがいいってことだよ」などと言われたりもしたのですが、やっぱり諦めることができず、高校になるタイミングでもう一度ハワイ移住を考え始めました。
アメリカでは障がいがあってもなくても、教育の保障が法律で定められている
日本では、障がい児が中学を卒業すると、健常児が通う学校とは異なる「特別支援学校」に通い、自立をするための知識や技能を習得します。そして、この特別支援学校は日本の高校制度とは異なるため、高校卒業資格はもらえない(※)んです。
一方、娘が通うアメリカの高校には特別支援学級があり、その設置が法律で定められています。アメリカなら、健常者と一緒に学ぶ機会があり、高校卒業資格ももらえるので、コロナが落ち着き、中学を卒業したタイミングで、今年の6月末からハワイ生活を始めました。
※高校卒業の資格は取得できませんが、特別支援学校高等部の卒業資格を取得し、大学受験は可能です
型にハマらない夫の存在
夫は私よりも柔軟で、型にハマらない人。人生は楽しんだもん勝ちと言っていて、世界一周旅行を計画したのも夫だし、世界遺産好きの夫が全てスケジュールを立ててくれました。
ハワイへの移住を検討し始めたときも、行ってみてもし無理だったら戻ってくればいいじゃんと言ってくれて。円安の影響でお金はかかりますが、移住する前に車などを売ったり、いろいろ準備してくれました。やはりハワイに移住したのは良かったと思っています。
【長谷部真奈見さん】カールシャギーニット¥19,800(ミースロエ/kokode.jp限定)グロッシードラマティックスカート 参考商品(ミドール/kokode.jp限定)パンプス、ピアス、リング/すべて本人私物
【ななさん】カールシャギーニット¥19,800(ミースロエ/kokode.jp)カーゴパンツ(シークレット·トロフィー) スニーカー/本人私物
撮影/沼尾翔平 ヘアメイク/夏美 取材/沢 亜希子