昨年秋、映画『平場の月』が公開され、STORY世代の女性たちの間でも静かな話題になった。原作者は、朝倉かすみさん。堺雅人さん、井川遥さん演じる人生の折り返しを過ぎた男女の、不器用で切実な恋愛を描いたその物語は、「わかる」とつぶやきたくなるような感情の機微で、多くの読者をつかんだ。
その朝倉さんが、今度は江戸時代を舞台に書き上げた新刊『けんぐゎい』は、また違うかたちで胸に迫ってくる。見た目、年齢、母であること、母でないこと、妻であること、妻でないこと、仕事をしていること、していないこと。40代の女性が日々さらされる“目”や“値踏み”に、この物語は不思議なほど近い。なぜ、江戸の女たちの物語が、今の私たちにこんなにも刺さるのか。作家の朝倉かすみさんに伺った。
「選べるはずなのに苦しい」のが、今の私たちかもしれない
──『けんぐゎい』の舞台は江戸時代なのに、どうしてこんなに今の時代に近いんだろう、と感じました。
朝倉さん:むしろ、今の時代のほうが大変なんじゃないかな、とは思います。選択肢が増えちゃっての辛さなんですよね。昔は女性の幸せ、選ぶ道はほぼ一つしかなかったじゃないですか。結局、嫁に行くという。器量がよければ玉の輿があるかもしれない、でもそれだけ。でも今は、母であることも、母でないことも、妻であることも、妻でないことも、それぞれにまた辛さがある。いろんなところで、いろんな目があって、クリアしなきゃいけないことが多い。だから、今の時代のほうが大変だとは思います。
──選べるようになったのに、選んだあとも苦しい。しかも露骨には言われないのに、何となくそう見られているな、と感じます。
朝倉さん:昔だったら「仕方ない」って思うしかなかったところがありますよね。でも今は色んな選択肢があるように見えるから、余計に諦められない。そこに関しては、今の時代のほうがしんどいのかもしれないですね。
主人公の“微笑み”は、感じのよさじゃなく「攻撃しないで」の意味だった
──主人公のふゆが、相手の機嫌を損ねないために微笑みますよね。現代でも、職場でも、ママ友の間でも、無意識にやっていることかもしれません。
朝倉さん:あれは、私を「攻撃しないで」っていうことですね。感じよくしているというより、先に「傷つけないでください」って差し出しているものなんです。 でも、ふゆには、ただ小さくなっているだけじゃなくて、「角(ツノ)」を持たせるということをしています。それは、自分だけの取り柄を伸ばしていくこと。頭がいいことも、女の人にとっては引け目になりやすい。しかも、貧しい家庭で育った。そういう子が、自分だけの良さに気づいていく話なんです。
──若さや勢いだけでは戦えなくなってきた40代も、まさに「自分は何を持てるのか」と向き合う時期ですね。
朝倉さん:若いときのものとは違うもので、自分を立てていくしかないですよね。このお話を読んで、自分自身の取り柄に目を向けてもらえたら、と思います。
大人になってもこびりつくように残る、母の言葉…
──母の言葉の重さも、作品の底にずっと流れているように感じました。他人の言葉よりずっと深く、心に残ります。
朝倉さん:でも私は、ふゆのおっかあを全部悪いとは思わないんですよね。認めているわけではないですよ。でも、こういうもんだっていうことを言う人が近くにいるかいないか、もしかしたら大事なことなのかもしれません。本人としては傷つくし、ひどいことなんだけど。心を太くさせようとしているのかもしれないし、そうじゃないかもしれない。
──40代は、まだ娘でもあるのに、もう母でもある年代。親から受け取った言葉に苦しみながら、自分もまた子どもに何かを渡してしまっているかもしれません。
朝倉さん:母であることも、母でないことも辛い。妻であることも、妻でないことも辛い。結局、どっちでも辛いんだと思うんです。どの立場にいても、何かしら「こうじゃなければ」って目線がある。母なら母で「ちゃんとできているか」って測られるし、母でなければ母でないことで何かを言われる。妻でも、妻でなくても、同じで。だから「正解の側」なんてどこにもないんじゃないかな、と思います。それがわかるだけで、少し楽になれる気がするんですよね。自分だけじゃないんだって。どの場所にいる人も、みんなどこかが辛い。そういうことを、この物語の中に登場する女たちが、それぞれの形で見せてくれていると思うんです。
主人公がたどり着いたのは、“救われること”じゃなく、自分を立てること
──ふゆは最後に、救われるのを待つのではなく、人を引き受け、救う側に進んでいきます。あそこまで行けたのは、なぜだったんでしょう。
朝倉さん:技術を身につけ、経験を積み、稼げて、タフになった時に、人をちゃんと助けられるようになるんだと思います。脆弱なままでは、助けたくてもできない。悲しいけど、それはあると思います。それに、ふゆは何もしていなかったわけじゃない。自分でできることをやって、自分を立てるようにしていた。だから、いい出会いも来た。小さな訓練みたいなものが、その道を引き寄せたのかもしれない。文句ばっかり言っている人には、いいことがないと思いますよ。心の持ち方って、案外大事だと思っています。
──作品に登場する「ガストホイス」という場所が、今の私たちにも必要なもののように感じました。
朝倉さん:ナイチンゲールの看護のイメージなんです。清潔にすること、風通しをよくすること、病人を孤立させないこと。そういうのがとてもいいなと思って、ふゆだったらそういう場をつくれると思ったんです。それに、「ガストホイス」っていう言葉がいいんですよね。意味はわからなくていい。むしろ、わからないからこそ、自分の中にある「こういう場所がほしい」という気持ちを、そこに自由に入れられる。名前がついているのに、まだ形のない場所、みたいな感じで。女の人って、そういう言葉に敏感だと思うんですよ。うまく説明できないけど、なんとなくずっとほしかったもの、安心できる場所。でも「癒し」とか「居場所」とかいう言葉だと少し違う、あの感じ。「ガストホイス」って聞いた時に、「あ、これだ」ってなる人がいると思う。ふゆもきっとそうだったんじゃないのかな。まだ見ぬ理想の場所に、ようやく名前がついた瞬間、みたいな。言葉が先にあって、その言葉に自分の夢をそっと重ねた、のかもしれません。
──役割を果たしているかを測られる場所じゃなくて、少し弱っていてもひとりにされない場所を、みんな探しているのかもしれません。
朝倉さん:「ガストホイス」、あるといいですよね。昔は、もう少しそういう助け合いが自然にあった気がするんですよ。今は何かと難しくなってきているのかもしれないけど。それに、助けてほしい時は「助けて」って言えること。意外に、助けてもらえることがあるから。自分だけの力でやろうとしないことも、大事かもしれない。抱え込んで潰れちゃったら、何にもならないですからね。ふゆだって、一人じゃなかったから、あそこまで行けた。誰かの手を借りながら、それでも自分の足で立っていく。それが、この物語が静かに伝えていることなんじゃないかな、と思います。
『けんぐゎい』は、江戸の女たちの哀しい物語、では終わらない。誰かに値踏みされること。自分で自分を小さくしてしまうこと。母から受け取った言葉に、長く縛られること。それでも、自分だけの良さに気づき、自分を立て直し、やがて誰かの生を引き受ける側へと歩いていくこと。
今の生活でいいのかな、とふと立ち止まりそうな時、誰かの期待の中で、自分が少しずつ薄くなっていく気がする時。『けんぐゎい』はきっと、ただの時代小説ではなく、今の自分に静かに風を通してくれる一冊になるはず。
「本物のお前に目覚めよ!」虐げられた人生から目覚めた女が、産医となって女の生と向き合う、フェミニズム時代小説。
【著者profile】
1960年北海道生まれ。2004年「肝、焼ける」で小説現代新人賞を受賞し作家デビュー。『田村はまだか』で吉川英治文学新人賞、『平場の月』で山本周五郎賞を受賞。『平場の月』は、2025年11月に映画公開。
撮影/白倉利恵(光文社写真室) 取材/羽生田由香
































