Lifestyle特集

戦争は簡単には終わらない。ルワンダ・キガリ虐殺記念館にて

夏休みを利用し、かねてから訪れたいと思っていたルワンダに行って来ました。ルワンダといえばジェノサイドを真っ先に思い浮かべる人も少なくないと思います。’94年4月、フツ族だった当時のルワンダ大統領が暗殺されたことを引き金に、人口の8割以上を占めるフツ族による少数派ツチ族への大虐殺が行われ、約4か月の間に約100万人もの人々が犠牲になったと言われています(*1)。

「丘を埋め尽くす何千という無数の死体」(*1)

「別の男が鋲のついた棍棒で殴りかかってくる。頭をそれた棍棒が私の肩を砕き、私は地面に倒れ伏した。もはや私の鼻は、鼻の穴の端がつながっているだけで、口の前でぶらぶらしている。(中略)そして再び私の顔めがけて襲いかかり、曲がった刃物で私の左目をえぐり出した」(*1)

「徒歩で渡る際に、衣類が浮き基礎で支えられた支柱の間に挟まっていることに気づいた私は、立ち止まって向こう岸を見た。私の方を見ていたのは、橋の下に引っかかっている半裸の死体の顔だった。おびただしい死体があった。場所によっては、死体でできた橋の上を実際に歩いているほど、死体が積み重なっていた。遠くの土手では、死体の重さで橋がばらばらにならないように、兵士たちが死体を引き離そうとしていた。私の保護スクリーンが壊れ、気分が悪くなって、なんとか落ち着こうとした。私は虐殺された何百もの死体の上で上下する、橋の動きに耐えられなかった」(*2)

「インテラハムウェは幼いツチ族の子供を殺すのに、親の目の前でまず腕を一本切りとり、それから反対の一本を切りとるというやり方を習慣にしていた。それから子供を出血させてゆっくりと死に追いやるためにマチューテで首を切り裂き、子供たちがまだ生きている間に陰部を切り落として、恐怖で顔を引きつらせている両親に投げつけた。そして両親はそれよりはるかに手際よく殺されるのである」(*2)

25年前に起きた筆舌に尽くしがたい悲劇の現場を、この目で見ることがこの旅の目的でした。このような歴史を人々は乗り越えることができるのか? どのように克服しているのか? 今、どんなふうに日々を暮らしているのか? 私が読んだルワンダ大虐殺にまつわる本に書かれていることは真実だと、キガリ虐殺記念館が証明してくれるのか? まだ見ぬルワンダは、私の頭の中では路上に溢れる屍でいっぱいでした。

7月19日朝、キガリ空港に降り立ちました。空港からホテルへと向かう道中、私の目を捉えたのは整備された街並みでした。ルワンダはミル・コリンヌ(千の丘の国)の異名をとり、緩やかに連なる起伏は首都・キガリの街にも奥行きのある風景を描き出しています。環状交差点の中央島には花や樹木が植えられ、通勤中と思しき人達は歩道を急いでいます。何でもない平和な日常、朝の情景がそこにはありました。

ホテルで少し休んだ後、この旅のいちばんの目的地、キガリ虐殺記念館に向かいました。20USD支払えば館内撮影OKとのこと。もちろん支払い、かなりの部分を写真に収めました。ジェノサイドに至るまでの歴史や経緯、そのとき何が起こったか、収束とその後の取り組み、世界のジェノサイドまで。写真とテキスト、そして当時の現物がルワンダ大虐殺を語っていました。

ひときわ私の目に留まったのは「Women and Children」の文章です。(以下概略)
「女性と子どもは殺害、強姦、四肢の切断といったジェノサイドの格好の標的となった。殺戮者達はツチ族を根絶やしにすることを決意し、女性は組織的に強姦された。そしてHIV感染者=ツチ族にとっての“ジェノサイドの兵器”とさせられた。
ツチ族と結婚したフツ族の女性は、その罰としてレイプされた。
女性と子どもはジェノサイドの被害者だけでなく、加害者でもあった。子ども達はしばしば友人や近所の人々を殺すことを強いられ、ジェノサイドに強制参加させられた。
被害者は愛する者を殺すことを余儀なくされたばかりか、その直後に自らも殺された。
フツ族とツチ族の女性はツチ族の我が子を殺めることを強要された」

Children’s Roomには虐殺で犠牲になった子ども達の写真が展示され、年齢、好きなおもちゃ、好きな食べ物、親友、どんな子だったか、夢、最期の言葉など、そして死因が箇条書きで添えられています。
どうしても写真を撮ることができない部屋がありました。それは犠牲となった人々の遺品が展示されたコーナーです。虐殺されたときに身につけていた衣類などが陳列されていました。

「だいたいカガメ大統領は、自分が私の立場にいたら許してやれるのだろうか? 彼はジェノサイド追悼式典の際に、ツチ族人民に向けてこう言っている。
『どうかあなた方の気持ちを戸棚にしまい込んで、鍵をかけてしまってください』
カガメはそんな戸棚を心に持っているかもしれないが、身寄りを失った二十歳の私には、怒りを納めておく腹しか持ち合わせがない。正義のない赦しなどあるものか」(*1)

「わたしたちは、新しいルワンダを作ろうとしているこの政治の中で、ツチ族もフツ族の人もジェノサイドに加わった人も被害を受けた人も、ルワンダ人みんなが、ともに生きていかなければなりません。それは、子どもたちの未来のためでもあります。
彼らが自分たちの罪を認めて、わたしたちだけではなく、ルワンダ人全員にゆるしを願えば……ゆるします。ゆるさなければならない。
でも、それはとても難しいことです。ゆるしを与えることは……難しい、難しい」(*3)

「平和な日々を取り戻すため、苦しい時間を忘れようとした。でもその望みが叶うことはなく、沼地でツチの狩りをした記憶は続く。そういった記憶は決して消え去ることなく僕を苦しめ続けるだろう。僕はそれを受けるしかないと深く後悔している」(*4)

「生き残った女性たちは、今でも心と体に深くて痛々しい傷を抱えて暮らしています。今回、わたしはそうした女性たちの今の暮らしぶりを知るために、ルワンダでもっとも大きなNGO(民間の支援団体)『アベガ・アガホゾ』を訪ねました。(中略)アベガは、虐殺事件の後遺症に苦しむ女性や孤児を支援するために、虐殺事件の翌年に活動を始めました。
(中略)今、アガベで大きな問題になっているのが未亡人たちの間に増え続けるエイズです。
エイズウィルスの潜伏期間は二年から十年。
大虐殺の時に男性から暴行を受けて、エイズウィルスに感染した女性たちが、ここ数年次々と発症しているのです。(中略)
『虐殺の時、女性に暴行することが武器のひとつとして使われたんです』
『武器?』
『はい。男たちはフツ族の民兵の中に、女性をねらって暴行するグループを組織したのです。そこにはエイズウィルスに感染した者が大勢含まれていました。彼らの目的は、女性たちに感染を広げることでした。ただ殺すだけでなく、ゆっくりと時間をかけて感染を拡げて、ツチ族の血を永遠に絶やそうとしたのです』
銃や刃物と同じように武器としてレイプを用いたという話は、これまで聞いたことがありませんでした。私は言葉を失いました」(*3)

連載「私たちのCHALLENGE STORY」9月号では、毎年戦争をテーマに取り上げています。その冒頭、スポーツキャスター・高橋尚子さんとの対談の中で、フォトジャーナリストの中村悟郎さんはこう述べています。「(ベトナム戦争における)枯葉剤の被害は深刻です。枯葉剤を浴びた世代の孫にあたる第3世代に留まらず、ひ孫にあたる第4世代にまで障がいが出ているんです」。
戦争は、降伏や終結宣言や講和条約の締結で終わるものではありません。人々の心身に深く刻まれた傷は、たとえ戦闘が終わろうと、ときに世代を超えて続きます。
中村さんはこうも仰っています。
「戦争で最も被害に遭うのは命令を下す側ではなく、末端の兵隊・市民」。
8月15日、終戦の日。一市民としてぜひ、連載「私たちのCHALLENGE STORY」をお手に取ってみてください。「戦争にNO!を言うのは、私たち母親世代の役目です」。

[出典]
*1『ルワンダ大虐殺――世界で一番悲しい光景を見た青年の手記』レヴェリアン・ルラングァ/著、山田美明/訳(晋遊舎)
*2『なぜ、世界はルワンダを救えなかったのか――PKO司令官の手記』ロメオ・ダレール/著、金田耕一/訳(風行社)
*3『ルワンダの祈り――内戦を生きのびた家族の物語』後藤健二/著(汐文社)
*4『隣人が殺人者に変わるとき 加害者編――ルワンダ・ジェノサイドの証言』ジャン・ハッツフェルド/著、西京高校インターアクトクラブ(服部欧右)/訳(かもがわ出版)

編集R
FROM編集R 『STORY』本誌ではファッション、連載「私たちのCHALLENGE STORY」などの読み物、料理、美容などの企画を担当。’17年1月、ボイジャータロット国際認定リーダーの資格を取得し、storyweb内ではボイジャータロットのコーナーも担当。
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