離婚が多い今の時代でもあまりない「判決離婚」で離婚された方のお話です。判決離婚とは、話し合いでまとまらず、家庭裁判所での調停や審判でも成立せず、裁判によって判決が下って離婚ができる離婚です。
手痛い離婚からの再婚物語
◯ 話してくれたのは...広瀬スズ子(仮名)さん
最初の結婚は26歳のとき。21歳で出会い5年間付き合った上での結婚だったのに、彼の人間性を見誤ってしまったのです。私の実家は美容関係の会社を手広く経営し、夫も私も社員となり、会社を手伝っていました。夫は仕事もこなし、子供が生まれるまでは結構幸せだったんです。
ところが長女次女を続けて出産後から状況が一変しました。子育てに全く関わろうとしなかったのです。まだ赤ちゃんの頃、オムツ替え、お風呂に入れるなど一切手伝おうとしません。少し成長してからも一緒に遊ぶこともご飯を食べさせることも1度もありませんでした。
「手伝ってほしい」と何度も言いましたし、話し合おうとしても、「忙しいから」のひと言で状況は何も変わらないまま。なのに、子供が幼稚園に入ってからは、入学式や授業参観などは出席するんです。人の目に触れる行事などは、形だけ父親の役割を演じ、外部にアピール。家庭より、まさに外へ外へ気持ちが向くタイプで、いつも家族は二の次。自分のことが常に優先で、家族は犠牲になっていました。
私の夫の理想像は「マイホームパパ」。実は昔から元夫はいつもニコニコしていて、顔もそういう顔をしています。世間にはとにかく愛想がいい。離婚した今も近所の人から「あんなにいいご主人はいなかったのに、もったいないわね」と言われる程で、当の私も結婚するまでは「いい人。この人となら、きっと温かい家庭を築ける」と信じていました。
あまりの理想と現実のギャップに、私の結婚の理想像を夫に告げると、「俺は、そういう人間じゃないから」と冷たくあしらわれ、幸せがガラガラと崩れて行くようでした。理想を勝手に作った私が間違っていました。夫をそこに当てはめようとしていたんですね。若かったから、見破れなかった。それまでは状況を変えようと努力していたけれど、諦めました。
努力をしなくなると、益々夫婦関係も冷め切って行くし、次女出産後からセックスレス。徐々に夫は外でご飯を食べるようになり、家では寝るだけ。まさに家庭内別居。おそらく浮気もしていたと思いますが、責めるほどの夫への愛情もなくなっていました。
でもせめて子どもたちが高校を卒業するまでは離婚は我慢しようと思っていたんです。ところが次女が中学生になると、生活が荒れはじめ、昔でいう不良と遊んだり、帰りが遅くなって、学校の先生に注意をされ、1度警察に補導されたこともありました。それに対して夫は子供を教育するという観点で躾をするのでなく、「パパの顔をつぶすな」と世間体を気にしてちくちく叱るんです。
勝気な性格の次女が反抗すると、次女に暴力をふるうこともありました。子ども心ながら、遊んで貰ったこともないのに今更なんだと「パパなんか大嫌い」と、隣の駅に住む私の実家に家出をしたんです。私は一体何をしていたんだろう? 子どものために離婚しなかったのに、子どものために早く離婚すべきだったんだと、やっと気づいたんです。
即、離婚を言い出し、夫も応じたもののそこからが大変。養育費を払いたくないとあれやこれやで引き延ばされ籍を抜くのに3年もかかったのです。途中で夫が家を出て行ってから、次女もすっかり落ち着いたことがせめてもの救いでした。
すっかり疲労困憊したものの、絶対に幸せになりたいという思いはありました。子どもたちも「今度はママ、幸せになって」と、応援してくれるので、出会いを求め婚活パーティに参加。そこで出会ったのが、驚くべきことに結婚前の男友達だったんです。二十数年ぶりの再会。懐かしさから、会うようになり、3度目のデートでお付き合いすることに。早い段階で子どもにも両親にも会わせ、家族の反応も上々でした。
しかし、彼はずっと独身だったんですね。結婚して子どももいる私と、ずっと一人暮らしだった彼とでは、20年の間に価値観の相違が生まれていました。たとえば、見なくてもいつもTVをつけっぱなしでBGMのように流すんです。「見ないときはTVを消す」と子どもにしつけてきた私にとってはイライラの一因。こんな小さな積み重ねが、我慢に繋がり、プロポーズもしてくれましたが、気持ちが前向きにならず、小康状態が続いていました。
一方で、子ども達も大きくなり、女友達とご飯を食べに行ったり、飲みに行ったりもするようになっていました。昨年6月、いつもの仲良し女子グループで食事をした後で、友人の男友達グループが近所で飲んでいて合流したんです。その中にいたのが今の彼です。グループで意気投合し、1カ月後に同じメンバーで食事会を。その席で彼から連絡先を聞かれ、今度は2人で会いました。そこで交際を申し込まれ、私も好感を持っていましたが、小康状態といえ付き合っている人がいたので、「親にも合わせた人がいる」とお断りしたら、「籍が入ってないなら待つよ」と言ってくれるんです。
その直後に、交際していた彼と夏の旅行へ。でも長時間一緒にいたせいか、盛り上がりに欠け、楽しくなかった。最終的には彼から別れを切り出されました。私はショックでもなく、受け入れました。乗り換えたという気持ちはありませんが、今の彼に「別れたから付き合います」と連絡。こうして交際がスタートしました。
家業の建築会社を継いでいる彼も数年前に離婚し、高校生の息子を引き取っていました。毎日6時30分に起きて息子のお弁当作り、18時30分には家に帰って夕飯の支度をし、息子の帰りを待つ生活をしていたんです。「こんな男性もいるんだ」。まさに私が理想とする夫像! 自分で子どもと向き合って子育てをしている姿に好感を持ちました。価値観に全く相違がなく、前の彼で感じたような我慢は皆無。食事に行っても隣に座って、いつも手を繋いでいます。ピッタリの人と出会うことができたのです。
ただ、同世代の子どもがいる私たちにとっては、子どもがすべての要です。2カ月後には彼を娘たちに紹介し、親にも会わせました。次は私が彼の息子に合う番ですが、3月に高校を卒業してから会うことを計画。それがうまく行ったら、両家全員で会いたい。慎重でありながらも、自然に一歩一歩歩みを進め、何年もかけていつか籍を入れたいと思っています。
時間を重ねるたびに、これ以上の人はいないと思えるほどの人に出会えたと実感。体の相性もばっちりで、前の結婚も前の彼との出会いも、全部今の彼に出会うための助走期間だったと思えます。運命だったんですね。
40代後半でこんな出会いに恵まれたのは、相手に対して隠し事を一切しないで付き合ってきたから。特に同世代の男性は、いろんな女性を見てきて、自分を大きく見せたり、誤魔化そうとしても見抜かれてしまう。かつての私のように、笑顔と言う外面にだまされないためには、相手のことを必死に聞き出そうとするよりも自分の方から表も裏もなくすべて話して、信頼してもらえば、相手から真実の自分の姿を見せてくれます。もちろん、美しくいることは大事だけど、この世代は本音で話ができる人を求めているなと実感しています。
今は週2回私の家で会うことが多く、いつもくっついています。ほんと、楽しくてしょうがないんです。
取材/安田真里 刺繍/みずうちさとみ ※情報は2015年掲載時のものです。