都会よりも隣近所や親戚のお付き合いが密な地方。噂があっという間に広がると思うとなかなかシングルマザーに踏み切れないという話を聞きます。今回はその中でも勇気を出して踏み出した40代にご登場いただきます。
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地方における離婚再婚の現実
◯ 話してくれたのは...大河内奈々実さん(仮名)
5年前に離婚した元夫とは中学の同級生。お付き合いを始めたのは大学生のときで6年間の交際の末25歳で結婚しました。
私の実家は代々食品を扱う会社で、地元四国で基盤を作り順調に経営を続けていました。当時夫は商社に勤務していましたが、私が1人っ子なので、会社を辞めて実家の会社を継ぎ、養子に入ってくれることに。夫はチャラいところもあるけれど、面白くて真面目。大好きでしたし、養子にまで来てくれて、私にはもったいないくらいでした。社長の父のもとでまじめに働き認められ、子会社の社長として活躍。一男一女にも恵まれ、幸せな日々を送っていました。
私は夫の会社の経理を手伝いながら主婦と子育ての傍らに昔から資格を取るのが趣味で、空き時間に勉強し宅建やファイナンシャルプランナーを取得。そんな資格好きが高じて、35歳で夫の助けになればと税理士資格を取りました。数年かけて試験を受け、3度目にやっと合格。経理関係全部を私がやるようになりましたが、会社に来る電話や手紙は全部夫宛。普通なら縁の下の力持ちとしてまっとうする女性が多いでしょうが、私は自分としても何かやりたいという意欲が湧いてきて、会社の一室を借りて税理士事務所を立ち上げました。
夫もとても応援してくれました。夫の会社を手伝いながら、亀の歩みで事業を進め徐々に顧客が増えていきました。当時は、主婦・子育て・夫の会社・自分の会社・さらに勉強と大忙し。子供たちも中学受験で、送り迎えだけでも時間を要します。
でも私は完璧主義で手が抜けない性格。ご飯も、夫は「手作りじゃなくていい。買ってきたら」と言ってくれるのに、出来合いのお惣菜を子供達に食べさせるのは忍びなく毎日料理していたし、まめに掃除もしていました。会社を抜けて子供の送り迎えをして15分でご飯の用意、また会社に戻って30分仕事して、家に帰って家族でご飯を食べて、夜は仕事と勉強。睡眠時間も数時間で、まったく余裕のない生活でした。それでも楽しかったし、夫のことも大好きで幸せだったんです。
ところが離婚の数年前から夫が、「会社がうまくいかないから、お金を貸してほしい」と言ってくるようになったんです。そのときは私の会社は繁盛し、結構稼いで蓄えもありました。夫を信用していたので何度も貸して、さらに私の両親にも借金をするように。軌道に乗ったら返すからと言われていました。次第に帰宅時間も朝の5時6時になってきて、さすがにおかしいと思いましたが、夫が帰ってくるとベッド越しに、「お帰り。お疲れ様」と労いの言葉をかけてしまう。でも、整髪剤で固めたはずの髪型がばさばさでお風呂上がりの香りがしたり。不審に思いつつも夫には何も言いませんでした。夫を信じていたのと同時に、家にいないとラクでしたし、事実を知るのが怖かった。見て見ぬふりを続けていました。
ある日友達から、怖いほど当たる占い師がいると聞き、興味半分で訪ねてみたら「彼は浮気をしている。証拠がご主人の会社の引出しの右側に入っている」と言われたんです。まさかと思いながらも、休日に会社に行って恐る恐るその引出しを開けると、女性と写っている写真や車の領収書など、卒倒しそうな証拠が溢れるように出てきました。
夫に言うか言わないか迷っていた同時期に、友人が「知らせずにはいられない。ご主人はある女性に大金を貢いでる」と教えてくれ、これはタダごとではないと興信所で調べたら、その女性に車も家も買っていたうえ、なんと隠し子までいることが発覚。両親や私への借金は女性に貢ぐためのものだったのです。
ショックというより恐ろしくなりました。夫を信頼していたからこそ、お金も貸したし、大好きでしたし。だからこそ一瞬にして憎しみに変わり、材料を整えて、夫にすべて突き付けましたが、何も答えず、ただ離婚はしたくないと言いました。たぶん世間体とお金の問題だったのだと思います。でも養子になった以上は、実家も会社も関わる問題。また相手の女性が水商売で働く女性で、関わると恐ろしいことに巻き込まれそうで、子供と実家を守るために、弁護士を付けて離婚の方向で話を進め、夫に多額のお金を貸したまま協議離婚。そのお金は今も戻ってきていません。最後に夫に「1時に酔って帰ると、キミがまだ仕事をしていて『お帰り』と言われるたびに、罪悪感に悩まされ、怒ってくれたほうが楽だった」と言われ、お互いの気持ちがずっとすれ違っていたことを実感しました。
しばらくは泣いて暮らしました。離婚後事務的なことで元夫と電話で話すと、やり直したいと言われ迷いました。この時は子供たちも東京の大学に入学し、初めて経験する一人暮らし。こんなにも寂しいものかと辛かったですね。でも離婚した友人から、時間とともに解決するよ、3カ月たてば気持ちも変わると言われて、本当に3カ月目くらいから好きなときに仕事をし出かけられる自由が楽しくて、夫のことはすっかり吹っ切れました。
ただ地方で暮らしているとすべて噂になり、気持ちがへこむことが多々ありました。そこで、思い切って子供もいる東京に引っ越し事務所も構え、心機一転やり直すことにしたのです。都会にはシングルマザーや離婚調停中の方や様々な問題を抱える女性が多く、でもみんな元気で頑張っている。そんな姿を見ると元気が湧いてきましたね。最初は四国と行き来しながら、仕事を新たに開拓し頑張りました。
3年前に女友達とご飯を食べに行った贔屓のレストランで、お客として来ていた今の彼に出会ったのです。オーナーと彼が仲が良く、そのオーナーが「紳士的でステキなお客さんがいるの」と私に話していた矢先に何と彼が男友達と入ってきました。それでカウンターで4人意気投合し、翌月同じメンバーで焼き肉を食べに行くことになりました。評判通りに礼儀正しくレディファーストな、1歳年上の方でした。
数年前に離婚、大学生の子供が1人いて、経営者。何かと話が合いました。でも恋愛に発展する意識はなく、1年間は毎月4人で食事やゴルフに行って男友達の一人でした。ところが2年前、私が四国の家に帰っているときにわざわざ来てくれ、「好きなんだけど。お付き合いしてほしい」と言われました。私はお互い子持ちということもあり、今まで気持ちに鍵をかけていたんですね。言われた瞬間嬉しくて、心のままに受け入れることにしました。友達の多い彼は、みんなに私を紹介してくれ、2人でいるより友達も一緒にいることが多いほど。お互いの余暇を利用して、ご飯を食べたり、たまに旅行に行ったりと幸せな交際です。
恋人ができて、昔の私を振り返ることがよくあります。あの頃は完璧に何でもやっていたつもりだったけど、心が伴っていなかったですね。お料理をテーブルいっぱいに並べても義務感のみで、心の中は「早く食べて。仕事したい」という気持ちでいっぱい。その場を楽しむこともないなら、笑顔もなかった。真に夫と向き合っていなかったんです。そんな私の態度に癒しを求めて、私とは正反対のどちらかというとおバカタイプの女性に走ったんだと今なら気持ちがわかります。
彼とも結婚は考えていますが、急ぐ必要はないと思っています。子供たちが独立して一人前になり、何のしがらみもなくなった時に一緒にいられたら幸せ。今もこれからも、一緒にいる時間を楽しみ笑って、彼と向き合ってお付き合いを続けていきたいですね。
取材/安田真里 イラスト/あずみ虫 ※情報は2017年掲載時のものです。