今のアラフォーは20代で就職氷河期、30代でリーマンショックを経験したサバイバー。結婚生活と仕事の両立の難しさに、人一倍悩んできた世代でもあります。今月は混迷の時代に幸せを手に入れた、しなやかな女性のお話です。
死ぬこと以外はかすり傷
◯ 話してくれたのは...プルソン智恵美さん(仮名)
今日が付き合って1周年記念。これから18歳年下の公務員の彼と、日帰り温泉に行って、のんびりしてきます。そして、明日からは一緒に住む予定。9歳の娘とともに3人で暮らします。私にとっては再婚で、年内に入籍できればいいねと話しています。
最初の結婚は26歳のときでした。大学4年生での就職活動が思い通りにいかなかった私は大学院に進学。その間に元夫に出会いました。同じ大学の同級生ですでにテレビ局に就職していました。私はちょうど高校生のときから7年間お付き合いした一心同体の恋人と別れたばかりだったこともあって。翌年、私は大手建設会社に就職が決まり、お付き合いが楽しく続いていました。彼は真面目で優しくて、いつも男友達に囲まれているタイプでした。
付き合って4年が経とうとしていた頃、元夫の会社の社宅に空きが出て、それが立派な社宅で、これは住むしかない、じゃあ結婚しよう、という軽い流れに乗って結婚しました。お互い多忙な仕事を抱えていたので、「まずはお互い忙しいから、仕事を頑張ろう」と。実際、夫が帰宅するのは、ほぼ夜中の3時以降。起きて待ってられないし、朝は勝手に出ていくので、すれ違いの生活でした。
それでも、経済的に豊かで外車に乗り、北欧の高級家具でインテリアを揃えて、周囲からはうらやましがられていました。今思うとお互い価値観がおかしくなっていたのかもしれません。そんな状態が3年くらい続いた頃、妊娠。彼も望んでいたし、私も嬉しいはずなのですが、何か重い物を背負ったような感覚にとらわれました。今まさに身を置いているステキなインテリアの部屋もお腹にいる子供も、幸せなはずなのに空虚に思えてしまう。夫婦で相談する時間もなく、男性というより親友みたいな夫をぽかんと見てしまう。そんな気持ちが伝わったのか、結局流産。彼はすごくショックで、それがきっかけで夫婦間に溝ができてしまいました。
そうしたら彼が突然、カラフルな洋服を着たり、両腕にロレックスの時計をはめたり、香水をつけるようになったり、明らかに変なんです。これまでも、私といるときは無口なんですが、親友の男友達といるときが一番機嫌がよく楽しそうで、夜の生活も少なかった。徐々に気づき始めたことが、もしかしたら男性を好きになったのではという疑念、元夫も自分の本質に気づいたのではないかと思いました。何しろ一番の親友に彼女ができたことにすごく落ち込んでいたんです。
そうしたら、ある日突然家に帰ってこなくなりました。電話にも出ないし、友人を通して連絡を取ってもどこにいるかわからない。社宅だし、噂は広まるし、こそこそとゴミ出しをしながら、動きが取れないままでした。もうこの段階で、誰かほかの男性と一緒だということは、ほぼ確信していました。絶望しながらも、その状態が数カ月続きましたが離婚しようとは思ってなかったんですね。
ある日友人から「これ、ちえみちゃんのことじゃない?」と言われてテレビをつけると、自分たちすれ違い夫婦の再現VTRが、彼の担当番組で流れていてびっくり。もう仲良し夫婦には戻れないんだと悟りましたね。この一件の後、夫から「たのむから怒らないでほしい」とようやく連絡がありました。私は怒りより、もう駄目だと思いました。気づくと夫はもう半年も家に帰っていませんでした。「いろいろ終わりだね」と2人で話し、ホテルのラウンジで久しぶりに会って、ある程度の慰謝料をもらって離婚が決定。でもゲイ問題については答えないし、事実は闇の中。とはいえ、ケリがついてほっとしました。
もう日本人の男性はこりごり、もっとピュアな愛はないのかな、と思って見つけたのが韓流ドラマ。すべてを違う世界に置きたかったんでしょうね。月1で韓国に行って、韓国語の勉強も始めました。そのとき、5歳年下の韓国人留学生の男の子に教えてもらっていたのですが、すごく優しい。「女のコは自分で靴紐を結ぶものじゃないよ」など、つたない日本語でぐっとくる言葉を言うんです。その人といると気持ちが解放されて癒されて、付き合うようになり、まさに冬ソナの世界を体験です。
やがて気づいたら妊娠。前回の妊娠とは気持ちが違い、この子は私から離れない子、夫がいなくてもいいから絶対に産みたいと思ったんです。彼にそのことを告げると驚きましたが、滞在期間が過ぎ「いつか日本に来るから」と言い残し韓国に帰りました。
両親は、離婚後、しかもシングルマザーになろうとしている私を見て「なんてこったい」と大反対。でも仕事もあるし経済的に大丈夫だと親を説得して、ぎりぎりまで働いて1人で長女を産みました。会社の仲間は応援してくれ、出産後も数カ月で復帰し、保育園に入れました。約束通り、出産後彼は日本に来て、留学生としてそばにいてくれたのですがなかなか日本に馴染めず、またすっかりママになっていた私とは対照的に、まだ年齢の若い彼にとって父親という役割は重かったのでしょう。結局親子3人での生活は長く続きませんでした。
でも私は「1人でやっていくさ」という清々しい気分で憂いは全くなかったし、娘と2人の生活をスタートしました。大変だったけれど、周囲に助けてもらいながら、何とか育てられたし、娘と2人で毎日楽しかったですね。仕事があるというのも大きかったかもしれません。
そして昨年、今の彼と出会いました。そもそも取引先の方に、「彼氏います?」といきなり聞かれて、「いない」と言うと、「紹介するわ」と紹介されたのが18歳年下の彼で、年齢からして乗り気はしなかったのですが、その場で電話で会う約束をしました。一応会ってみたら、気が合ったんです。すごく誠実で優しい人で年の差も感じません。出会って1カ月目にお付き合いが始まりました。もちろん子供がいることも最初に打ち明けましたが、「39歳という君の年齢を考えたら、いてもおかしくない」と動揺することもなく、年の差に関しても「18歳程度の年の差でよかったよ。100歳離れていたら出会うこともできなかった」と言って、びっくりするくらい大切にしてくれます。娘のことを可愛がってくれる所もポイントです。
彼は経済的に恵まれた環境ではなかったため大学を諦めて上京。収入が安定しているという理由で公務員になりました。最初は学歴の違いが気になるかなと思ったのですが、会社で高学歴の男性を見ていると学校だけで男性を判断してはいけないと実感していましたし、自分がどうしたいか、誰といたいかという軸さえあれば、学歴や年齢差なんてどうでもいいことのように思えました。自分を信じることが大切なんだとやっとわかったんです。
そんな私の気持ちを察したのか、小学生にしてはませた娘は、「ママ、お金じゃないよ、心だよ」と言って応援してくれています。収入の差もありますが、とはいえ毎月共通の財布に同じ額を出し合って入れ、それをデート代に充て、彼に管理してもらっています。そうすると彼がレストランの支払いができるから。一緒に暮らしても同じようにしていくつもりです。
自分ではそうは思っていないけれど、周りから見れば波瀾万丈の人生。お陰で「死ぬこと以外はかすり傷」が私の座右の銘となり、強くなりました。添い遂げることを目標にしているけれど、今幸せだから十分元が取れていて、感謝しています。
彼は、私の好きなところは、「いつも笑っているところ」と言ってくれます。ずっとそういられるように、更年期が来てがっかりされないように、体力と美容キープも努力しなきゃと、最近、運動も始めたところです。
取材/安田真里 イラスト/あずみ虫 ※情報は2018年掲載時のものです。