モラハラを我慢した結婚生活に終止符を打ち、大切に育てた子どもたちも成長。一人の時間を満喫できる今、なんだか気持ちにぽっかり空いた寂しさは何だろう……。50代になった第二幕の恋愛は、自分を大切にすることから始まりました。
⚪︎話してくれたのは......美恵子さん(仮名)54歳
兵庫県出身。二人兄弟の長女。大学まで実家から通い、親元を離れぬまま就職。27歳の時、お見合いのような形で結婚。47歳の時に20年間の結婚生活にピリオドを打ち、54歳で再婚。
「もう限界だ」と思ったのは結婚20年目を迎えようとした47歳の時
次女が3歳の頃に元夫が自律神経失調症になり、職を失ってしまったので替わりに家庭を支えることになった私は、学生時代に取った英語の教員免許を活かして、幼児教室を開設しました。療養のためにずっと自宅にいる元夫のモラハラがひどくなったのは、この頃からでした。結婚した当初から「今、どこにいるのか」「今日は何をしていたのか」と質問の多い人でしたが、それが益々エスカレート。激昂してひどい言葉を浴びせてくるのです。でも、それでも離婚をするという考えがよぎったことはありませんでした。父母からの影響もあり、男性とはそんなもの、独占欲があり管理したがるもの、と自分の中で納得していたのだと思います。その上、私はよく言う“尽くすタイプ”。母親のように何かと世話を焼き、優しく言葉をかけ、生活することが当たり前になっていました。
直接的な離婚原因は、元夫の娘たちへの教育DVでした。「このままでは子どもたちを壊されてしまう」と感じた時、もう、元夫と一緒に生活する選択肢は残っていませんでした。
子どもたち2人を連れて実家の近くにマンションを借り、半年かけて離婚が成立。実家に教育費を手伝ってもらいつつ、学童保育支援員の仕事に就きました。定時で帰路に就けるものではありませんでしたが、子どもに携わる仕事が好きだったこともあり、ワーキングマザーとして一心不乱の生活が始まったのです。
父親の存在が家の中から無くなり、思春期を迎えた娘たちの心情を思うと不安もありましたが、二人の娘は無事に大学を卒業し就職。長女は家を出て目指す仕事に就き、遠方で一人暮らしをしています。私は次女と二人の生活になりました。
離婚後、経済的な問題とシングルマザーとして生きていくことへの不安から、結婚相談所から紹介をもらって2年ほどお付き合いした人はいましたが、結局、自分の尽くしすぎてしまう性格から、男性をまた元夫と同じようなタイプの人にしてしまいます。「あー、また一緒だ」、窮屈な恋愛はもう嫌、と諦めていたんです。
「ママ、街コン行ってみたら?」
もう一度恋愛をしようなんて一ミリも思えなかった、52歳になった頃。長女が突然「ママ、街コン行ってみたら?」と言い始めました。街コン、聞いたことはあったけれどそれが具体的になんなのか知識がありませんでしたし、それにもう男はこりごり。また同じように優しさが束縛に変わり、がんじがらめにされてしまう。恋愛は、自由がなくなり、息苦しい生活が待っているだけのものだと思い込んでいたんです。
でも、次女が家を出ていく日もいずれは来るはず。カフェやレストランにさえ一人では入れないほど、おひとり様が苦手な自分は、一人になって楽しく生きていけるのだろうか? と。心配になってきていました。長女の半ば強引なプッシュもあって、重い腰を上げて参加してみたんです。
街コンは、主催者がカフェなどを貸し切って、知らない人同士が出会う場所。私の参加した街コンは男女が4~5人ずつ集まり、女性同士は全く顔を合わせることがなく、男性が順次ブースを巡ってきてそれぞれ3分ほど話をするシステム。あらかじめ配られた履歴書をもとに、質問し会話をします。トークセッションが終わったら、自分が気に入った人を主催者側に伝え、先方の気持ちとマッチングすると、連絡先をもらえるという仕組みです。
1回目は、特に気になる人もおらず。娘に報告すると「ママ、一回で見つかるはずないじゃん、もっと行っておいで」と励まされ行った2回目に、なんと以前お付き合いしていた男性がブースに現れたのです。顔を見てお互い苦笑い、それでも、よしみと思いマッチングOKを主催者に伝えると、先方からはOKがもらえず……。ショックを通り過ぎて情けなくなりましたが、自宅に戻り考え直すと、逆に腹が立ってきました。その時、主催者側から、別の人があなたを気になっている、という意思表示が書いてあるアプローチカードというものを手渡されていることを思い出し、連絡をとった、それが今の夫です。人の縁って、本当に不思議です。
最初から、彼との恋愛は今までとは全く違っていました。私が「この人と付き合いたい、気に入ってもらいたい」と気負っていなかったのが良かったのか、年齢が近かったのが良かったのか、とても自然体で気軽に会話ができたんです。1か月ほど毎日LINEをやり取りして、とうとう会うことにしました。初めて会った時にすでに彼は、何でも話せる頼もしい存在になっていました。
彼は公的機関の管理職で、離婚後、子ども二人を引き取り、一人で育て上げた人でした。アウトドアが好きで、車でオートキャンプに誘ってくれます。でも、私と言えば、外で泊まったり、日に当たって肌が焼けるのが嫌いな、どちらかというとインドア派。これまでなら我慢して付き合っていたのでしょうが、「私あんまり外は苦手」と、てらいなく話せるようになっている自分がいました。それでも彼は相当私と一緒に出かけたかったんだと思います、渋る私に、行先選びから日程調整、予約の手配、アウトドアの準備や食品の買い物……全部ひとりでこなして誘ってきました。行った先での食事はもちろん全部彼の手料理、さすがに後片付けくらいは手伝いますが(笑)。車で出かける時も、助手席の私に「リクライニングして寝ているといいよ、着いたら起こすね」と優しく声をかけてくれます。些細な事かも知れませんが、いつもいつも不足がないかと緊張して生活していた自分がウソのようです。
再婚までの2年間はお互いのことをじっくり、何でも話しました。自分のこと、子どものこと、親のこと、そしてこれからの人生のこと。私は、男性を大切にすることが妻の務めと思ってきたんです。もちろん相手を思いやる気持ちは大切ですが、相手を優先するがあまり、自分を押し殺してしまっていました。「もっと自分を大事にして欲しい、もっと人生を楽しんで欲しい」と背中を押してくれた娘に、今、感謝しています。
相手を変えることなんて所詮、人間はできないんです。変えられるのは自分だけ。今の夫からは、気持ちを言葉にすることの大切さを教わりました。意見が異なった時は相手の気持ちを聞いてみて折衷案を一緒に考えることで、歩み寄り、お互いを大切に思い合えるんだということ。
彼ってとても素敵な人なんです。上司として部下を思いやるところ、仕事への熱意も尊敬しています。一緒にいると元気になれるし、若々しく前向きで生きる彼のために、自分をもっと磨きたい、ずっと笑顔でいたいと思います。だって見た目も大切でしょう? 私だって若々しくキレイでいなくちゃ。
40代後半で決意した辛い離婚は、50代を過ぎて出会う素敵な恋愛の序章だったのでしょうか。私の人生の第二幕は始まったばかり。どんな出来事も二人で乗り越えられる、これからの人生がとても楽しみなんです。
取材/八尾美奈子