「あぁ、どうして何回言っても直すっていう気持ちがかけらもないし、無神経だし、私の気持ちがわからないんだろう」―夫に対して、いまそう思っているあなたに。今回は読んでもらいたい物語です。
夫と信頼関係をもう一度
◯ 話してくれたのは...吉高由里さん(仮名)
結婚した時から姑と同居。22年間かかって、最近ようやく笑顔を見せられるようになりました。ただ、姑は何一つ変わっていません。私自身の変化と何よりも慣れ(笑)。時間はかかったけれど、自分自身のために、今は、夫と別れなくてよかったなと思います。
私たちは友人主催のBBQパーティで出会いました。会社員の夫は親友の兄で、最初から親近感があり、とても面白くて楽しい人でした。すぐに交際が始まり、3年目に、私25歳、夫27歳で結婚しました。私は結婚と同時に、勤務していた市役所を退社。義父が早くに亡くなっていたので、姑と同居が条件でしたが、姑はよくしゃべる楽しい人ですんなり受け入れました。
同じ家に3人で住み、朝昼晩3食ともに一緒。常にリビングで姑がTVを観ていて、1人になれる場所はほとんどなかったけれど、最初はそれでもよかったんです。家事は基本全部私、たまに姑がご飯を作ってくれることはありました。意地悪なところもなく、気のいい人なんですが、徐々に姑の無神経な立ち振る舞いが癇に障るようになっていったのです。例えば、扉を大きい音を立ててバンと閉める、口の中に食べ物をいっぱい入れながら大声でしゃべる、がちゃがちゃ音を立てながら器を重ねる、帰宅しても手も洗わない……など、きりがないくらい、マナーもなければ、品格も全くない人でイライラが募りました。
私の母は躾に厳しい人で、育った環境の違いからか、気になってしょうがなかったのです。結婚後数年たった頃に、勇気を出して夫に打ち明けると、「そんな細かいことで文句を言うな。嫁姑の間に俺は入りたくない」とばっさりあしらわれてしまいました。その後も何度か訴えましたが、訴えれば訴えるほど、夫は鬱陶しい様子で、話も聞いてくれません。徐々に私の心に鍵がかかり、夫に対しても壁を作るようになっていきました。
子供にもなかなか恵まれず、不妊治療の結果、結婚5年後に長男、さらにその4年後に次男を出産し、夫婦間がぎくしゃくする中で子育てが加わり、全く心に余裕がありませんでした。
悪いことは重なるもので37歳で子宮頸がんが発覚し、卵巣と子宮を全摘出。心身ともにへとへとの時に、突然姑が、「子宮がなくなっても、セックスはできるから安心しなさい。周囲の友達に相談したら、『関係ない』って言ってるから、○○から誘われても受け入れなさい」って言われたんです。無神経さに啞然としました。事実、そんな気には全くなれず、夫の誘いを拒否したこともあり、夫が姑に相談したのかと思い、問い詰めると、「言うわけないだろう」の一点張り。本当のところはわかりませんが、こんな無神経な人たちと一緒に住む気になれないと、以前から頭に浮かんでいた「離婚」を本格的に考えるようになりました。
夫にもその気持ちを告げると、初めて姑と3人で話し合いの場を持たせてくれました。私は溜まりに溜まっていた言いたいことを言いましたが、話し合いにはならず、結局「私が全部悪いんだ」と姑が切れて部屋を出て行ったあと、夫婦で言い合い、夫は姑に味方するモードで、「自分こそ子供に躾ができていない」とか「性格が冷たい」などと散々辛く当たられ、取っ組み合いの喧嘩になり、我を忘れて家を出て行こうとしたときに、小学校に入ったばかりの長男が「離婚しないで」と泣き叫び、私は我に返ったのです。
このときから私は一切笑わなくなって、家の中では生きる屍のような日々でした。夫とは会話なし。まさしく仮面夫婦です。何度も離婚を考えては、長男の言葉を思い出し、その後の生活のことを考えて、踏みとどまっているという日々でした。本当に辛かったですね。
元々家事を手伝わない夫は、さらに家では何もしなくなり、姑も相変わらず。私の負担は大きくなる一方で、何かが変わることを期待しながらも、そんなことって起きるはずもなく、ある日大事件が発生したのです。
久しぶりに姑なしに、家族4人で食卓を囲み、頂き物の新鮮な牡蠣を食べようとしていた時に、私の性格に対する夫からの一撃の一言が投げつけられたのです。一瞬にして頭に血が上り、私は持っていた牡蠣の殻を握りつぶしたら、当然のごとく血が溢れるように出ました。夫は、牡蠣に夢中になって気づいてもいません。子供たちが「ママ大丈夫?」って言ってるのに。これはヤバいと思って、そのままの格好ですぐ近所に住む妹の家に駆けこみ、簡単に手当てをし、行きつ戻りつつ考えていた離婚が目の前に迫ってきました。
それでいつも愚痴を聞いてくれていた友達にその思いを告げたら、「カウンセラーに相談してみたら?」と言って、自身も夫婦関係に悩んだときにアドバイスをもらった先生を紹介してくれたのです。藁をもすがる思いだった私は何か離婚のきっかけがつかめるかもしれないとそのカウンセリングを受けてみることにしました。するとこれまでの話を聞いてくれ、「家族に甘えてみたらどうですか? あなたは自分のやりたいことをやってみましょう」と離婚からかけ離れたアドバイスをくれました。「え、私は離婚したいのだけど」と言うと、「話を聞いていると離婚は本望じゃないと思えます」と。
家族に甘えるなんて考えたこともなくて、そういえば、姑からは「ご飯作っておくから出掛けていいよ」と言われても、意地を張って任せることは1度もなかったのです。「家族に甘える」、この一言で何かしら光が見えたような気がして、今まで言えなかったのに、その日、姑に「ご飯作ってください」と自然に言えて、しかも喜んで作ってくれました。
やりたいことも考えたことはなかったけど、子供にもお金がかかるようになってきて、働きたい気持ちがあったんですね。家から一歩外に出るのもいいかもしれないと仕事も探し始めました。
それとともに、カウンセリングも続け、いつも「リラックスする方法を持ちなさい」とアドバイスを頂き、香りで感情が変わることを教えてくれました。それでオススメのラベンダーの香りのオイルを纏うと、苛立った気持ちが和らぐんです。家族にイラッとしても、香りをかぐ習慣が身に付きました。何回目かのカウンセリングで、「ご主人にも好きなことをさせてあげたら?」と。夫はパチンコが趣味で私に隠れて行っては喧嘩になっていたのですが、その言葉通り、「パチンコ行って来たら?」と勧めてみました。夫は驚きながらも、隠れて行くことはなくなり、家の中の空気が少しずつ変わっていきました。
私も働くなら社員になりたいと、すでに40代でハードルは高かったのですが、何社も受けて、レンガを扱う建築関係の会社に再就職が決まりました。すると忙しい私を気遣って、夫は家事も手伝ってくれるようになったのです。ものすごい変化でした。思えば、頑固で意地っ張りな私の性格が、家族をバラバラにしていたのです。侃々諤々していたのは私だったことに気づきました。夫との信頼関係が戻ってくると、姑への不快さもなくなってきつつあります。
子供が成長するにつれ、よく夫が「お母さんは家族の太陽なんだから、もっと笑って」と言っていたのですが、私はそんな気持ちに全然なれなくて、子供たちは口をトンガらせた私の顔しか知りません。近頃は、よく夫が「お母さん、笑ってる笑ってる」と子供たちに茶化して言っては、4人で笑い合うことが増えました。まだまだ一歩一歩だけど、失った日々を取り戻して、いい夫婦に近づいていきたいと心から思います。
取材/安田真里 イラスト/あずみ虫 ※情報は2021年掲載時のものです。