STORY世代が学生時代に夢中で読んだファッション誌で活躍し、ともに年を重ねてきた存在でもある、徳澤直子さん。30代後半は医療の世界へ新たな一歩を踏み出しました。今回は【国家試験へどう向き合ったのか、家族の支えなど】について語って頂きました。
徳澤直子さん

自分のキモチに正直に走り続けて、今年40歳に。
2001年 「ミスセブンティーン2001」に選ばれ、『SEVENTEEN』でモデルデビュー
2004年『 CanCam』専属モデルに
2010年 結婚。『CanCam』を卒業
2011年 渡米、第1子出産
2012年 帰国
2013年 聖路加看護大学(現:聖路加国際大学)看護学部へ入学
2014年 離婚
2016年 再婚
2017年3月 聖路加国際大学卒業
2017年4月 同大学大学院へ進学
2017年8月 第2子出産
2017年9月 休学
2018年秋 復学
2020年3月 聖路加国際大学大学院修了
2020年4月 総合病院での勤務開始
2022年秋 子どもの受験サポートのため退職
2024年 事務所を退社、独立
国家試験、 コロナ禍の病院勤務……。家族がワンチームとなり背中を押し続けてくれた

2017年の看護師国家試験は、2人目を妊娠中の受験でした。大きなお腹で大学院に通い、妊婦の私が妊婦健診研修を受けていたんです。出産後、1年間休学しましたが、大学院の3年間は2人の子育てと勉強に追われていて、振り返ると一番大変でした(笑)。就活しつつ、修士論文を書き、助産師国家試験の勉強もしなくてはいけない。そんな中、大晦日に論文の書き直しを言い渡され、心が折れそうになったこともありましたが、「この先には自分が求めているものがある」という確信を原動力に、向き合い続けました。
卒業後は、総合病院に就職。ちょうどコロナ禍でかなり忙しく、通常の医療現場とは違う環境で勤務がスタート。非常事態だからこそ余計にがむしゃらで必死な毎日でした。病院勤務2年半を迎えた頃、子どもの小受と中受のシーズンが到来。親としては、より整った環境の学校に通ってほしかったのですが。当時の生活は夜勤もあるし、夫の協力なしでは育児さえ成り立たない状況。最低でも3年は病院勤務を続けようと思っていましたが、夫の「医療の道はいつでも戻れる。年齢関係なく働ける」という言葉も大きく、医療の現場を一旦離れることを決意したんです。大学進学、国家試験、病院勤務、と私が挑戦し続けられたのは、家族の支えがあったからこそ。夜勤で私がいない日は子どもたちに寂しい思いをさせたこともありました。そのぶん今度は私が全面サポートできるよう、病院を退職する道を選びました。
【年表写真】ツイードジャケット¥132,000(デパリエ/デパリエ 伊勢丹新宿店)Tシャツ¥6,270(ドレステリア/ドレステリア 渋谷スクランブルスクエア店)デニムパンツ¥27,500(イウエン マトフ/ユナイテッドアローズ 渋谷スクランブルスクエア店)ピアス¥52,800(ブランイリス/ブランイリス トーキョー)バングル¥30,140(ソコ/ズットホリック)リング¥19,800(tsugumi iwamoto/ロードス) 【コメント写真】Tシャツ¥18,700(セント ジョンズ サード クラブ/アマン)スカート¥104,500(ブラミンク/ブラミンク トーキョー)ピアス¥39,600ブレスレット¥66,000(ともにブランイリス/ブランイリス トーキョー)ネックレス¥17,600(ココシュニック オンキッチュ/ココシュニック)
撮影/須藤敬一 ヘア・メーク/RYO スタイリスト/井関かおり 取材/坂本結香