恋愛の延長線上に結婚があれば理想ですが、たどり着いた場所が「理想の結婚」とは限りません。でも、たとえその結婚が失敗でも、その時に知った痛みは、今の人生に必ず生かされている。「普通こそが一番の幸せ」そう思えることこそ、成長の証し。
結婚に失敗はつきもの⁉
◯ 話してくれたのは...高岡早紀子さん(仮名)
今振り返ると、最初の結婚は若気の至り。たった2年の結婚生活でも離婚で心身ともに激しい苦しみを味わいました。でも、今の幸せがあるのはその苦しみがあったから。人生に無駄なことは何一つないのだと思います。
当時、私はネイリストになるのが夢で、勤務していた会社を辞め、ネイルの勉強をしながらカフェでアルバイトをしていました。そこの社員だったのが元夫。周囲から信頼され、優しくてユーモアもある、5歳年上で、ミュージシャン志望。お互いに夢を持っているところにも共感し合い、とんとん拍子に交際が始まりました。「一緒に夢を実現するために頑張ろう」と誓い合い、なんと交際3カ月で結婚。私は30歳になる直前で、周囲の結婚ラッシュの雰囲気に流されて決めたところも正直ありました。
お互いの両親が厳しかったので結納こそしましたが式も挙げず、結婚生活がスタート。最初から、それぞれ都合のいいときに起きて勝手にご飯を食べて、家の中でもお互い好きなことをするような同居感覚。それでも楽しかったのですが、幸せなのは最初の2カ月程度。元夫は毎朝会社に行くものの、どこか様子がおかしいので、通帳を見たらお給料が入っておらず、勝手に仕事を辞めていたことが発覚。会社の人間関係にもまれ、ストレスが溜まってギャンブルに手を出し、徐々に借金も増えていきました。
それがきっかけで顔を合わせれば喧嘩になり、顔を見るのが嫌で、私は長時間バイトに明け暮れました。DVこそなかったけれど言葉の暴力や激高することもしばしば。帰宅直後に鍵を持つ間もなく家の中から何時間も締め出されたり、「一緒に食卓を囲みたくない」とユニットバスやトイレの中に食事を運ばれたこともありました。
何よりも嫌だったのが、夢があるのに夢に向かって何もしてないこと。「自分は才能があるから、練習は必要ない。チャンスを待つのみ」と上から目線。一方で私は学校に通いながら少しでも時間を見つけて練習に明け暮れていました。でも折半していた生活費を元夫の退職後は私が被り、ネイルの勉強もままならなくなり、目の前が真っ暗で、悪い方にしか物事を考えられなくなっていました。
金もなかったし、話し合おうとしても向き合うことができない人。結婚したのに夫婦愛も家族愛もない。私は「相手を間違った。一緒にいても幸せにはなれない」と離婚を決意。元夫は断固拒否で、何度も離婚届を渡しては、破られるを繰り返し、最後は観念するようにサインをし、2年後に離婚が成立。その時、元夫が言ったのが、「周りに離婚したことを言うなよ」。彼は見栄で離婚したくなかっただけだったんです。家の中は絶望的でも、外ではいい人を装っていたんですね。
私は身一つで家を出て、気持ちはすっきりしたけれど、お金もなく、借金してアパートを借り、つつましく新生活をスタート。目の前のやるべきことをして、一歩一歩、夢に向かって前進しました。再婚なんて考えられなかったけれど、幸せになれなかった結婚について、よく考えていました。もしいつかチャンスがあれば、普通でいいから、働いて収入を得て、一緒に日々の生活を送れる人に出会い、幸せになりたい。でもその当たり前ほど実現が難しいものだということも、つくづく感じていました。
ところがそんな人が数年後に現れたのです。通っていた美容院の美容師さんが、お客さんを招いて開いたパーティに、同じようにお客として来ていたのが5歳年上の今の夫です。会社員で、大人の雰囲気のある落ち着いた人で話が弾みました。その場で約束し、1週間後に2人で会ったときに、彼もバツイチで妻の浮気や借金に苦労したことを話してくれました。私も自分のことを全部話せて、心が通じ合った気がしました。
実は結婚前に交際した人もダメンズが多くて、話を聞いてくれる人は初めてだったんです。そこから交際が始まりました。彼は結構、私の欠点を指摘するんですよ。でも腹が立たないんです。
よく言われたことが「ネガティブに考えがち」「いい人ぶっている」ってこと。言われてみるとその通り。まさにそういう私の性格が最初の結婚でも災いしていたと振り返れたし、彼と一緒にいると気持ちが軽くなりました。良いパートナーになれるかもしれない、でも結婚のトラウマが相当あった私は、一緒に住むことを提案し、同棲を始めました。親にも「お試しで一緒に住みたい人がいる」と報告したくらいで。「お試しって何?」と母は理解できないようでしたが(笑)。
今度は、一緒に起きてご飯を作って食べて、と穏やかな日々。生活習慣や生活時間も同じ価値観。徐々に信頼関係が生まれるとともに、一層彼のことが好きになっていきました。彼も同じ気持ちだったと思います。お互いの家族とも行き来し、幸せでした。
やがて同棲して2年がたった頃、私の妹の結婚式に2人そろって出席することになったとき、彼の肩書をどうするかで悩み、もうそれなら結婚して「夫」にするか、という事務的なことがきっかけで、結婚式の前に籍を入れました。プロポーズもロマンティックも何もないけれど、自然な流れ。その翌月、国内の離島で結婚式を挙げました。35歳のときでした。
不思議なことに同棲のときは揉めなかったのに、結婚した途端にいざこざが増えました。一番嫌だったことは前の奥さんと比べられること。些細な掃除の仕方や私の態度に対して、「結局、君も同じなんだな」と言われるんです。堪忍袋の緒が切れたときは話し合い、彼も反省していました。
また、姑が難病に罹り、家事ができなくなって、抵抗はあったのですが、彼の実家で義両親と同居することにもなり、最終的には義母が亡くなるまで、自宅介護を続けました。その一方で、結婚後すぐに妊娠、長女を出産しましたが、その後2人を死産。現在3歳になる次女を出産後、もう1人死産という悲しい出来事が続きました。原因は今もわからず、3人目のときはお腹の中で大きくなっていたので、死産なのに出産をする、苦しい体験をしました。
そんな苦しみや辛い経験をするたびに、夫婦で話し合ってきました。喧嘩もしたけれど、結局は労って、乗り越え、信頼関係が深まったと思います。それは努力をしなかった最初の結婚の反省から、再婚後も一生懸命家族を作ることに努力してきたからだと思うのです。夫から指摘されたように、苦しみの中でもネガティブにならず、前向きに考える、状況をありのまま受け入れ、諦めない。毎日の生活の中から一歩一歩、身に付いた生きる姿勢が、私を助けてくれた気がします。私にとっては再婚が初婚のような感覚ですね。再婚後10年経って、紆余曲折あったけど、いい夫に恵まれたと心から思えます。
幸せだと思えることがたくさんあります。義両親と同居ではありましたが、理想の家を建てました。2人の子供達も順調に元気に育っています。夫も毎日会社に行き、働いています。今ある幸せを確認することが大事。だからわが家では定期的に家族会議を開いて、それぞれがやりたいことを確認して、小さなことを叶え合っています。あのレストランに行きたいとか、〇〇の本を読みたい、とか。なによりも再婚後、長年の夢であったネイルサロンを開くことができました。一生の仕事として、多くの女性の手を美しくしたいです。
取材/安田真里 イラスト/あずみ虫 ※情報は2022年掲載時のものです。