芸能界きってのおしどり夫婦として広く知られた、渡辺徹さん・榊原郁恵さんご夫婦は、私たちの憧れです。ところが、2022年、徹さんは61歳の若さで、天国へと旅立たれました。35年間の結婚生活を振り返り、今、郁恵さんが、何を感じ、考えているのかを、語っていただきました。そこには、いい夫婦になっていくヒントがいくつもちりばめられていました。(全2回の第1回)
★ 初めの頃はすれ違いの生活。メールもSNSもなかったので家庭内文通をしていました
★ 「別れよう」なんて 言葉が出ても、翌朝には 「おはよう」と言って 普通の会話をする。 それが生活ですよね
★ 編集後記
”渡辺徹ならどうするか”が、これからも人生の指針です
Ikue Sakakibara
1959年生まれ。’76年『第1回ホリプロタレントスカウトキャラバン』でグランプリを獲得し、翌年デビュー。一躍アイドルに。ブロードウェイミュージカル『ピーター・パン』の初代主役を務め、現在、テレビ、ラジオ、舞台など幅広く活躍。長男の渡辺裕太氏も俳優として活躍中。
初めの頃はすれ違いの生活。メールもSNSもなかったので家庭内文通をしていました
◇ 夫は誰にも平等で気さくな人。周りに人が集まってくる人だった
―結婚当時、人気俳優とトップアイドルのお二人でしたが、出会いのお話からお聞かせください。
最初に会ったのは、私が司会をする歌番組に、彼が出演したときでした。彼は俳優でしたが、リリースした歌がヒットし、歌番組にも出演していました。サービス精神旺盛で、いわゆるアイドルではなかったので、多少ふざけたことを言うのにも制約が少なかったんですね。いつも話の輪の中心になって、みんなを笑わせていました。私は年上だったこともあり、ちょっとチャラい人なのかなと、あまりよく思っていませんでした。
ところが、その後ドラマの共演で、印象が変わりました。現場で、彼は共演者にもスタッフにも、とてもかわいがられるんです。ただ明るいだけではなく、先輩には謙虚だし、カメラのアシスタントさんや助監督さんなど、誰にでも平等に接して気配りができる。だから、彼の周りにはいつも人が集まってくる。私は、人見知りで、輪の外から引いて見ていたので、彼のそういう面に気づいたのかもしれません。そして、ドラマも終盤になった頃に、電話番号を交換しました。
―その後、ご結婚まで3年ほど交際されたとお聞きしました。
ワイドショーで熱愛と報道されましたが、お互い気持ちも固まっていないし、結婚に進むにせよ、親や事務所へのあいさつなど、段階を踏んでから、と思っていました。彼は劇団所属で、マスコミ対応も自分でしていましたので、レポーターに囲まれて大変だったと思います。でも、逃げたり無視したりせず、「お付き合いはしています。自分は好きです」と、気持ちをはっきり表明してくれました。嬉しかったですし、彼の対処の仕方は立派で、助けられたと今も思います。
―盛大な結婚式でしたね。
時代も時代でしたし、身の丈に合っていたとはいえませんが。ただ、交際中の二人の目標が「みんなに祝福してもらえること」だったので、それが叶ったのはとても嬉しかったです。
◇ 2人の息子の子育てを 通じて〝自分は何者なのか〟を考えました
―ご結婚後の生活はどうでしたか?
お互い忙しくて、すれ違いばかりで、結婚ってどういうことなのかと考えました。メールもSNSもない時代ですから、家庭内文通をしていました。長男が幼稚園に入ってからは、子どもの行事を中心に、私のスケジュールを調整してもらうようになりました。
息子を見ていると、自分を見ているようだと何度も感じました。私は人見知りで、仲間にすっとは入れないのですが、子どもも全く同じ。公園デビューでも、息子はお友達の様子を遠巻きに見ている。自分を見ているようで、イライラしたり、不安になったりしました。私が突破しなきゃ! と入っていくのですが、お母さん方とは交われなくて、二人で砂場の隅で遊ぶだけ。
そこで、幼稚園に入ってからは、「太鼓」や「読み聞かせ」、「コーラス」など、ママサークルに5つも入りました。サークルでは、お母さん方が、自分の得意なことを生かして、他のママたちや子どもたちのために活動していました。例えば、コーラスでは、ピアノの得意なママが伴奏を引き受けたり、お菓子作りの得意な方がお菓子をふるまったり、縫物が得意な人は小物を作ったり……。
ところが、では、いったい私に何ができるか、と考えてみると何にもないんです。「榊原郁恵」は、台本があるからしゃべれて、歌が用意されているから歌えて、演出家がいるから芝居ができる。けど、「渡辺郁恵」には何にもないと気づかされました。
あるとき、お母さん方と料理をしていると「あら、あなた意外とできないのね」とママ友に言われたんです。すると、なんだか急に気が楽になって。仕事では、料理番組に出ていて、料理が得意でなくてはならないし、主婦目線・母目線のコメントを求められれば、必死で応えました。でも、ここでは、何もない「渡辺郁恵」そのままを受け止めてもらえる。親としてゼロからをスタートしていけばいいんだと思えるようになりました。
幼稚園時代は、自分が何者かを考える、大切な時期でした。
◇ 趣味も考え方も全く違っていた。だから惹かれあったのかも
―ところで、徹さんは、育児に協力的でしたか?
当時は「お父さんなんだから、もっとやってよ」と思うこともありました。でも、彼は、様子見をしていたんだと思います。というのも、結婚後、彼が勧めてくれて、私の母と同居していました。夫婦とも仕事が忙しかったので、母に頼ることが多く、孫育ては母の生きがいにもなっていたんです。彼は、人の気持ちをすごく敏感に感じ取る人でしたから、母から育児を取り上げないように気遣ってくれていたんですね。
また、彼自身、旅公演で全国を回り、帰ってくると連続ドラマ、というハードスケジュールが続き、疲れもたまっていました。なので、子どもが小さい頃、休日はじーっと将棋番組を観たり、読書をしたりして休んでいることもありました。
結婚観とか生活の仕方って、育った環境の影響が大きいですよね。私はサラリーマン家庭で、朝早く父は出かけて、夕方帰ってきたら正座して食卓を囲むみたいな暮らしでしたが、彼はお父さんが流しをしていたので、夜仕事に出かけ、朝はお父さんをゆっくり休ませてあげるために静かに過ごす。お弟子さんや大人に囲まれて、周りの空気を読める子に育ったのでしょう。私は、なんでもストレートに言うほうだけど、彼は、言葉の背景の意味まで考えるタイプ。朝夕の過ごし方も、考え方も趣味も全然違ったんです。
―では、ケンカもありましたか?
ケンカではないけれど、意見の食い違いはたびたびありました。答えを1つ出さなければならないときに、1つにどうしてもならない。そんなときは、納得いくまで意見を聞き、話し、中途半端に終わらせませんでした。結局1つにならなくて、2つ置いておくけどいいよね、となることもありました。「別れよう」なんて言葉が出ても、本気ではないのはお互いわかっていたし、乗り越えてきました。そうして、翌朝には、お互い「おはよう」と言って、普通の会話をする。それが生活ですよね。
同じ趣味の人がよかったと思ったこともありました。でも、私にないものを持っている人だから惹かれたともいえるんです。私は友達が多くないけれど、彼には友達がたくさんいて、スタッフも交えてワイワイ飲みに行ったりする。ときどき混ぜてもらうと、すごく居心地がいいんです。ああ、こういうところに私は憧れを感じたんだな、と気づくようになっていくんですよね。
「別れよう」なんて 言葉が出ても、翌朝には 「おはよう」と言って 普通の会話をする。 それが生活ですよね
◇ 私が楽しくいられるようにと、夫は見守ってくれていた
―よく、渡辺徹さんは、ご自身の体型のことを面白おかしく話していらっしゃいましたが、健康面でご心配されたことは?
大病もあったので、気にはしていました。ただ、味の濃いものが好きといった嗜好は変えられるものではないし、体質もあったのだと思います。本当に忙しかったので、あのスケジュールでは、ダイエットは難しかったですね。
それに、料理番組にも出ていましたし。渡辺徹のイメージは、おいしそうにどんぶり飯をバクバク食べる姿じゃないですか。誰よりも期待に応えたい人なので、やりますよね。テレビを見ている私はハラハラするんですけど。その一方で、体調を崩しても、言えずに隠して仕事に行くことも多かった。そういう点では、彼も私もしんどかった面はありますね。
―郁恵さんが農業をされたのも、徹さんの食生活を考えてのことですか?
いえ。実は全然関係なくて。夫は多趣味だったのですが、私はずっと趣味がなくて、50歳になったときに、何か学びの場に自分を置きたいと思ったんです。そこで、出合ったのが農業塾でした。2年間学んで、その後も仲間と活動を10年ほど続けました。
―裕太さんの幼稚園時代に気づいた『渡辺郁恵』育てのひとつだったのですか?
そうですね。大学に入ったり、本で学んだりするのでなく、体験を通して学ぶのは私に合っていたし、自分の学びを子どもと共有できたのは楽しかったですね。
農業って子育てに似ているんです。過保護にすると苗がひ弱になりますし、将来どうなってほしいかをイメージして苗を誘引したりもする。野菜作りを始めてから、子どもとの接し方も変わりましたね。
それと、私が、楽しい、嬉しいと思っていると、我が家も平和で明るくなるんです。仕事のことで内省的になって鬱々していると、家族にもそれが向いてしまう。自分の中の空気が対流して明るくいることが家族にとってもいいんですね。
―徹さんは、そんな郁恵さんにどう接していらしたのでしょう。
彼は、いつも、私の様子を見ながら、今は、放っておいたほうがいいな、と察したり、何かしてくれたりしてたんです。
あるとき、彼がロケでオルゴール館に行き、とても高価なオルゴールを買ってきました。私が「仕事先でこんな高いもの買ってきちゃったの?」と言うと「お前がパッヘルベルのカノンが好きだって言うから見つけて買ってきたよ!」と言われて。私は好きと言ったのも忘れていたのです。でも、そんなふうに、私の言葉や仕草を、いつも気に留めていてくれました。
色々サプライズもしてくれました。事前に私に必ずバレるんですけれど。そんな彼に感謝を表現することもなく、申し訳なかったです。
編集後記
<コーデ1>ワンピース¥16,500ベスト¥19,580(ともにグレディブリリアン/セキミキ・グループ)イヤリング(HANAHANA)リング(ゾーラ)<コーデ2>ジャケット¥12,500(Wild Lily)スカート¥18,480(プラス オトハ)イヤリング(HANAHANA)リング(ゾーラ)
撮影/須藤敬一 ヘア・メーク/宮原幸子 スタイリスト/西脇智代 取材/秋元恵美 ※情報は2024年2号掲載時のものです。