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そんな多忙な毎日でも子育てが楽しかったと二人は声を揃えます。
どんなに仕事は忙しくても、子どもが最優先。当時、一軒家に住んでいたのは子どもがいくら騒いで近所迷惑にならないためだったとか。帰宅したときに、玄関に並んだ15人分の子どもの靴にびっくりしたこともありますが、それも「みんなでごはんを食べた方が楽しいし、ソファでジャンプできた方が楽しい。人がたくさんいるのも楽しいですしね。友達を見ていると自分の子どものこともよくわかる。なにより、子どもって面白いんです」と中山さん。
ご夫婦ともに多くの友人に囲まれてきたことも、子育てにいい影響があったと言います。
「私たちの友達がよく遊びに来てくれていて、人の出入りの多い家でした。地主さんの連れて来る友達と私も気が合うし、私が連れてくる友達と地主さんも気が合う。そして、子どもたちもたくさん友人を連れてくるから昔の親戚づきあいみたいで(笑)。子どもが高校生ぐらいになると、高校生を面白がって遊ぶ大人も増えたり。うちの子どもたちも、小さい時から私たちの友人と年齢差なく付き合ってきたのでいい刺激になったと思います。今では自分たちの子ども世代とも仕事したりしていて、感慨深いですね」
そんな日々があったからこそ、お子さんの高校卒業が大きなターニングポイントになるのは必然でした。
子どものためだった一戸建てからマンションへ住み替え、子育て中はまったく興味がわかなかったアートやアンティーク家具も夫婦で相談しながら揃えるように。そして、マディソンブルーを始めたのもこのタイミングでした。
「『ママも卒業します』というのと、50歳手前に何かを始めたいという思いとが、ちょうど重なったんです。地主さんにシャツからブランドの立ち上げたいと話をすると、まあいいんじゃない?って。もともと二人ともアメカジや古着を通ってきてファッションの話もよくしていたのもあって、夫のシャンブレーシャツを引っ張り出して、ここの仕様はこうしよう、ここのディテールはこうしようと試行錯誤したりして」
一方、夫の地主さんもまた、キャリアの転換期だったと言います。
「フォトグラファーとしてキャリアも終盤に差し掛かってきたという意識もあって、いろいろ考えていたころでした。ブランドを立ち上げるというので手伝おうかと聞いたら、手伝うってなに? やるのかやらないのかハッキリしてと、怒られたんです(笑)。それでも立ち上げ当初はカメラマンや制作の仕事も請け負っていたんですが、ローンチ1回目の展示会を開いたときに予想以上に好評をいただき、2回目でも多くのオーダーをいただいたことで、彼女はすごいものを作ったんだなってやっと気づいたんです」
夫婦がまた、同じ未来に目を向けた瞬間でした。