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【本田朋子アナ】大学生キャスターからフジテレビに入社したものの「月を見ながら泣いていた日もありました」

元フジテレビアナウンサーで現在はフリーアナウンサーとして活動をしている本田朋子さん。昨年第2子を出産されました。Instagramでは夫でプロバスケットボール選手の五十嵐圭さんとお二人のお子さんとの素敵なファミリーの様子も。アナウンサーになったきっかけや現在の生活についてお聞きしました。

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本田朋子さんprofile 1983年愛媛県生まれのフリーアナウンサー。2006年にフジテレビに入社。スポーツニュース番組「すぽると!」「ペケ×ポン」「とんねるずのみなさんのおかげでした」など多数を担当。2013年にプロバスケットボール選手の五十嵐圭氏と結婚。群馬県在住。1男1女のママ。
【INDEX】 ★ 大学生で受けたオーディションで『すぽると!』のキャスターに!いつしかフジテレビの一員になりたいと思っていました
★ 念願のスポーツキャスターになったものの、背負いすぎてしまい撃沈
★ 忙しさと孤独で涙を流すことが多い時期もありました
★ 夢だったオリンピックキャスターを経て退職しましたが好きなアナウンサーの仕事は続けています

大学生で受けたオーディションで『すぽると!』のキャスターに!いつしかフジテレビの一員になりたいと思っていました

STORY編集部(以下同)ーーフジテレビのアナウンサーになろうと思ったきっかけは?

大学2年生の時にフリーアナウンサーの事務所に所属していたのですが、どういうお仕事をするのかよくわからないままオーディションを受けました。それが『すぽると!』というスポーツ番組のキャスターのオーディションで、毎週金曜日のMCキャスターをさせていただくことになりました。自分の名前を噛むくらいだったのですが、先輩アナウンサーの取材について行ったり、アナウンス的な指導をしていただいて、もがきながらもやり切った1年でした。

アナウンサーの仕事は影の努力がすごく必要で、取材した内容が全部オンエアでいかせるわけでもないですし、選手達との信頼関係も大事になってきます。先輩アナウンサーが選手との信頼関係を作るために毎日現場に足を運んだりする姿をみて、すごく厳しい仕事ですが、私もチャレンジしたい、何よりもこのフジテレビというチームの中に入りたいと思いました。

当時は学生キャスターということで、フリーアナウンサーという立ち位置だったので、フジテレビの社員として一緒に働きたいなと。学生の私から見て、フジテレビの方は愛社精神がすごくあって、みんな寝不足でも会社が好きで、この仲間が好きという一体感が素晴らしいなと思いました。

ーーフジテレビに入社してやってみたかった番組はありましたか?

入社して一番はスポーツキャスターを『すぽると!』でやりたいと思っていました。アナウンサーであれば用意された原稿を読むのが仕事ですが、自分の足で情報を得て自分しか伝えられないことを限られた秒数の中で伝えるスポーツキャスターという仕事に惹かれていました。ありがたいことに入社して半年でその夢が叶いました。

でも、フジテレビの社員として出る『すぽると!』は今までとは違いました。それまではやはり学生目線でしか見えていなかったのだと思います。フジテレビ社員として研修を経て、いざ、その椅子に座ると、このVTRを誰が作って、どうやって取材して、どんな苦労をしてこの15秒のニュースを作ったのかということを知っているので、自分のコメントで15秒押すと、この最後のニュースがカットになってしまうと責任を感じるようになりました。他にも番組で起こったトラブルに対し代表して謝るなど、自分がこの番組を背負っているんだという自覚も出てきました。

念願のスポーツキャスターになったものの、背負いすぎてしまい撃沈

ーー念願のスポーツキャスターになってどうでしたか?

自分で背負いすぎてあまり笑えなくなってしまって。当時のプロデューサーの方に「学生の頃の方がよかったよ」と言われて、撃沈しました。そこから2~3年目が自分にとって苦しい時期でした。学生と社員では求められるものも違いますし、スポーツの仕事だけではなくて、バラエティの仕事もいただくようになると、台本にないフリートークが重要になるのですが、何も出てこなくなってしまいました。『すぽると!』の中でもフリートークが苦手で背負いすぎている分、すごいことを言わなくてはと思っていて自分が用意したものをただ読むだけで、結局何も伝わらないコメントしかできなくなっていました。

ーーそこから気持ちが変わったのは?

とんねるずさんの番組に出るようになってから変わりました。この番組は台本にない流れがたくさんあって、自分を表現するシーンも出てきて、あまり肩肘張らなくてもいいと気が付きました。準備しすぎるのではなくて、進行を滞りなく進めていけば、台本に書いてある一言一句を正しく読まなくても、この場の流れを楽しむのが大切だと勉強になりました。3~4年目で自分の殻を破っていった時期でした。新人の頃は自分が聞いたことを全部詰め込みたいと思っていたのですが、そうではなくて「1つでいいんだ、1つのことを視聴者の方に伝えられたらいいんだ」と思うようになって、肩の荷が下りました。そうしたら自分の言葉もスムーズに出るようになりました。

忙しさと孤独で涙を流すことが多い時期もありました

ーーアナウンサーで大変だったことは?

スポーツ番組と他のバラエティ番組を兼任するのはスケジュール的に厳しいものがありました。『すぽると!』は基本的に昼間に野球やサッカーの現場を取材して、夜のオンエアに備えるのですが、連日夜中の2時帰りで、3時半に寝るような生活で、日曜日にゴルフの取材が入ると5時に出発しなくてはいけないので、寝る時間がなくて。夕方、会社に戻って、仮眠室で少しだけ仮眠をとって、メイクルームで髪の毛を洗って、本番に挑んでいました。その後も社食のかつ丼を食べて、また夜のオンエアに出て…なんて生活でしたね。取材がない時でも試合を見に行ってアスリートの方と信頼関係を築いていました。地道な取材活動は大変でしたが、大事な時間だったと思います。女子アナとよく言われた時代ですけど、本当に男も女も関係ない世界で、むしろ私がいたスポーツ番組は、8割は男性スタッフで女性だからとスケジュールも猶予されることもありませんでした。

27歳くらいの時は闇の時代がやってきて、『すぽると!』が終って2時くらいに家に帰ってマンションの部屋から月を見て涙を流したり、イヤホンで音楽を聴きながら、歩いていたら涙が出てきて、そのまま会社に行っていました。愛媛から上京して、周りに家族もいないし、友達とも時間が合わなくて、寂しさを紛らわすこともできないでいました。現場ではスタッフが家族みたいで、寂しさは感じなかったのですが、一歩外に出て、一人になると孤独に襲われる瞬間があったので、結構孤独な仕事でもあるなと思いました。

夢だったオリンピックキャスターを経て退職しましたが好きなアナウンサーの仕事は続けています

年月が経つとだんだんたくましくなって、海外出張も一人で行ったり、海外旅行も一人でも行けるようになりました。自分の中ではオリンピックキャスターをやりたいという夢があって、2012年のロンドンオリンピックでキャスターをやる夢が叶いました。2012年には夫と付き合っていましたが、夢を叶えてから結婚、退職しました。

今は夫の地方のチームについて転々としている生活なので、たまに東京に来て仕事をさせていただいています。他の仕事もやってみようと考えたこともありますが、やはり私はアナウンサーという仕事が一番ときめくので、以前よりも仕事の量は減りましたが、その分1回1回を大事に楽しみたいと思ってアナウンサーの仕事を続けています。

 

ワンピース¥49,500(LE PHIL)パンプス¥135,300(Sergio Rossi)イヤリング¥1,265,000(Buccellati)

撮影/浜村菜月 ヘア・メイク/かんだゆうこ スタイリスト/杉山朱美 取材/山崎智子

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