「ママ似? パパ似?」…日本では血縁を重んじる文化があり、親子の血縁関係があることを前提とした会話がなされることも多くあります。しかし、血縁があっても関係が良好でない場合もあり、逆に血の繫がりがなくても深い信頼関係を築く親子もいます。
幸せな親子とは何でしょう? さまざまなカタチの親子関係は、悩みや葛藤を抱えるSTORY世代にとって、道しるべになるかもしれません。
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子どもが欲しいな…元宝塚歌劇団月組トップスターで、現在は俳優として活躍する瀬奈じゅんさんが、そう思ったのはご主人と結婚してから。38歳という年齢や以前の卵巣手術の経験から、妊娠できるか不安はありましたが、すでに2年先までスケジュールはいっぱい。不妊治療を始めたのは40歳手前でした。
頻繁な通院とホルモン治療で心身ともに疲弊しながらも「頑張ればいつか授かるにちがいない」と信じて試みた体外受精の2回目がうまくいかなかったとき、チャイルドマインダーの資格を持つご主人から、特別養子縁組で子どもを迎える選択肢もありだと思っているということを告げられました。
「何でそんなことを言うの?」、最初は驚きと寂しさ、怒りが入り混じった複雑な感情に困惑したといいますが、その後、体外受精の回数を重ねても状況が変わらず、治療のやめどきや、自分の本当の望みを見失っていることに気づきます。
「妊娠がゴールなの?」と自問し、「私は産むことにこだわっているわけではなく、子どもを育て家族を築いていきたい」と気づいたとき、ご主人が話していた特別養子縁組のことを思い出しました。特別養子縁組とは、さまざまな事情により実親と暮らせない、社会的養護を必要とする子どもを、育ての親が自分の子どもとして迎え入れ、法的にも親子関係を結ぶ制度のこと。瀬奈さんは、特別養子縁組について調べる中で、日本には約4万数千人もの社会的養護の子どもがおり、そのうち8割以上が乳児院や養護施設で育ち、家庭で暮らせるのは2割以下であることを知ります。
何度も辛い別れを経験することなく、特定の保護者からの愛情を受けて育つ子どもを一人でもいいから増やしたいという強い思いに背中を押され、運営方針に一番共感した、特別養子縁組をあっせんする民間団体に登録。偶然にも妊婦さんと同じ十月十日くらいの期間を経て、’17年に息子さんを授かりました。
「生後5日目に産院へ迎えに行き、看護師さんから『お母さん、1回ミルクを飲ませてみましょう』と言われたとき、お母さんと呼ばれたことに感動し嬉しさが込み上げてきました。それまでミルクを上手く飲めなかった息子が、私から何のためらいもなくゴクゴク飲んだとき、『よかったね、お母さんを待っていたんだね』と看護師さんや団体の方をはじめ、その場にいた皆で涙しました」。
その後、’22年には、息子さんと同じ生後5日の娘さんを授かり、4人家族となった瀬奈さん。コロナ禍でエンターテインメント業界の先行きが不透明な中、一度は2人目を迎えることを諦めましたが、コロナなんかに自分たちの思いを潰されたくないという気持ちや、息子さんがお友達の弟や妹を見て、兄弟をとても欲しがっていたことから、迎え入れることを決めました。
「息子の妹への愛情は、来る前から半端なく強かったです。例えば、ベビーベッドを組み立てる手伝いをしてくれている最中、『ママありがとね』って言うんです。息子の中では、手伝っているのは私の方で、自分が育てる気満々なんですよね(笑)」。
どこにでもいる仲の良い兄妹に、ごく普通の微笑ましい家族。病院に連れて行った際、家族の病歴や体質を尋ねられたときに少し困ったり、養子であることを子どもや周囲に伝える「真実告知」を行ったりすることを除けば、子育てに血縁の有無は関係なく、戸惑いながら日々奮闘することに何も違いはないと話します。
「私は結婚も子どもを持ちたいと考えるのも遅かった。だけど、遅かったからこそ息子と娘に会えたので、結婚や出産で悩み、葛藤を抱えている方には、どんな選択も遅すぎるということはないと伝えたい。そして、我が子が大きくなる頃には、特別養子縁組という制度が子どもから大人まで皆が知っていて、この制度で親子関係を結ぶことが特別視されない世の中になってほしいと願うばかりです」。
撮影/BOCO 取材/篠原亜由美 ヘア・メーク/武井優子 ※情報は2024年6月号掲載時のものです。