進みつつあるジェンダーレス社会について、私たち親は、娘や息子たちにうまく説明できるでしょうか?ジェンダー研究の第一人者に聞きます。
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STORY編集部ライター東理恵:先月、東京藝術大学美術館にて開催されていた「大吉原展」に行かれて、Xに感想を書かれていましたよね。
「大吉原展に行ってきた。見ないでモノを言うのは…と自制していたが言うことにした。肩透かしをくらった。冒頭に『本展は女性の人権侵害を認めません』と声明があるが、人権侵害を産業にした吉原を、徹頭徹尾「遊客目線」で展示したのはいかがなものか」(上野先生Xのポストより)
東:それで私も開催期間終了間近に行きました!
上野先生:それでどう思いました?
東:平日なのにすごい人でした。老若男女問わず来られていましたが、私は正直、内容に切なくなりました・・・。吉原自体が、性産業だった、という実態をしっかり展示されていないような、キレイな内容しかなかった印象です。そんな花魁道中を踏める人なんて、ほんの一握りで、ほとんどの女性が大変な想いをしているはずです。美術的なものを全体的に展示していましたが、いや、吉原ってこんなキレイなものじゃないよね!?と。芸術の発信地だった、ということだけを伝えようとしていたというか…、なんか背景のことを知っているともやもやしました。
上野先生:展示物は主として遊女を描いた浮世絵版画のコレクションでした。浮世絵版画をビジネスにした蔦屋重三郎(来年のNHK大河ドラマの主人公だそうですね)まで出しておいて、浮世絵と春画が地続きなのは常識なのに、春画が1枚も展示されていないのも異様でした。遊郭は巨大なセックス産業なのに、あたかもセックスがそこにないかのように頬かむりしている感じがしました。
東:たしかになかったです!普通、吉原をウリにしているであれば、ないとおかしいです。本当にあの背景に、お金のない家の事情などがあって、無理矢理若い14歳などの子が売られたり、性病などがすごい流行りたくさんの方が亡くなってしまったことや、囲われている門からほぼ出られなかったりだとか・・・。こう、きらびやかな世界、豪華絢爛な世界のようなことがピックアップされすぎていました。それを女性目線から見ると、裏のことが気になって、私は終始館内で泣きそうでした・・・。
上野先生:そうですね、吉原の女性たちは、売られて幽閉された女性たちです。これに比べると、国立歴史民俗博物館2020年の秋に企画展をした「性差(ジェンダー)の日本史」は周到な配慮がありました。ここにも江戸時代の展示には、遊郭が出てきますが、性産業の裏側をきちんと資料で示していました。たとえば遊女の売買契約書が出てきますが、契約者は親で、前借金を受け取るのも本人ではなく親です。契約書には「奉公先で何があろうと一切文句は申しません」などという項目も書かれていますから、人身売買だとはっきりわかります。それから買う側の資料もありました。 大店(おおだな)の奉公人に報償として遊郭での遊びを与えるとか、人事管理の中にセックスの管理もあったような感じを受けました。
東:そんな契約書が……、その契約書もしっかりと展示されていたのですか!? そのような資料も見たかったですね。この「吉原展」が始まる前のポスターに関してXで大炎上がありましたよね。ピンクの文字で「吉原展 江戸アメイヂング」など、女性が苦しんだ歴史を礼賛するのか、など。それがあったからなのか、はじめに大きな説明がありましたが、ポスターもピンクからグレーの文字だけになっていました。
上野先生:そうです、冒頭に「本展は女性の人権侵害を認めません」という告知文がありましたが、本展が認める認めない以前に、吉原は女性の人権侵害をビジネスにした産業です。
東:展示はお金がかかっていましたよね、CGで吉原全体を紹介していたり、人形師・辻村ジュサブローさんが描かれた吉原の模型をヒノキ細工師の方が立体的に創作し、飾られていたり。
上野先生:精巧な模型がありましたね。模型の外側から内部の座敷が覗けるようになっていましたので、私も覗きましたけど、遊客の姿はありませんでした。誘客は見られる対象ではなく、徹底的に見る側の「誘客」の視線で展示されていましたね。
東:坊主の禿やちっちゃいおかっぱの女の子の禿が横にくっついていましたよね。また吉原で起こった放火の話があり、吉原の遊女が反発を起こして放火した、とありましたが、その理由をもっと掘り下げてほしかったです。何か軽くて……。
上野先生:そうです。禿は初潮前の幼女が売られて上位の遊女である太夫などにつく身分。初潮を迎えれば「水揚げ」されて一人前の遊女になります。あまりに生活が厳しいので思いあまって放火はしたものの、火事は御法度、遊女たちは遠島などの厳しい制裁を受けます。吉原では放火が原因ではない火災が何度も起きていますが、その間もよその場所を借りて仮営業をしていたことがわかって、楼主は抱えの遊女を遊ばしたりはしなかったんですね。
東:よそでやった仮営業のほうが売り上げが良かったとか。
上野先生:そう。しきたりどおり吉原大門から手順どおりに入るより、敷居が低くて入りやすかったのかも。
東:男性たちは入るときに、すげがさで顔を隠して来るなどの絵がありました。後ろめたかったのでしょうか。
上野先生:たしかに吉原通いは後ろめたかったかもしれませんね。その一方、遊郭で散財するお大尽は富を誇示しましたから、誇りでもあったでしょう。江戸に吉原ができたのは、江戸がは独身男性の街だったからです。参勤交代で国元から大名が出たり入ったりする江戸の人口のジェンダー比率は圧倒的にバランスが男性に偏っています。大名は江戸屋敷に妻子を人質として置いておかなければなりませんが(もちろん領地に戻れば側妻がいます)、随伴する臣下は妻の帯同などできず、単身赴任です。それに職人や商人のほとんどが男ですので、その過剰な男性人口に対して性の管理をしなければなりません。そのため、遊郭を一か所に集めて、免許を出して税金を取りました。幕府にとっては大変大きな収入源でした。そういう説明も必要ですよね。吉原の遊女の人口は約3千人、1晩で複数の誘客の相手をしましたから、商売が成り立つには、男性の客はその倍以上いたはず。遊女がお相手する時間にはショートとロングがありましたが、ショートはどれぐらいの時間か知っていますか?
東:わからないです。1時間ぐらいですか?
上野先生:ショートは、線香1本分、燃え尽きるまでおよそ20分ぐらいです。遣り手婆が部屋の外で線香に火をつけて管理します。明け方まで居続ければ別料金になります。
東:え~!実際のそんな値段や時間も知りたかったです。遊郭の人の収入なども…。吉原の1日の働く時間みたいなものは書かれていましたが・・・・・・。
上野先生:そもそも、遊郭の女性は前借金があるので、お金はもらえません。一種の債務奴隷ですね。豪華な衣装などやかんざしなどもすべて本人の全部負担になり、さらに借金が積み上がる仕組みです。遊女の幸運は、誰かに借金を返済してもらって身請けされること。大店の女房になったといった美談のような話が書かれていましたが、それだって人身売買ですから、イヤな相手でも逃げることはご法度です。
東:今の世代の方で、知らない方たちが遊女のそういった実情を知らないで見ると、きらびやかな世界で素敵、と勘違いしてしまいそうですよね。夜の世界に安易に足を踏み込んでしまうことを助長してるような感じもします。
上野先生:そうですね、たしかに高位の遊女は教養が高く歌舞音曲も嗜み、書もよくしたとか、遊郭は江戸の流行の発信地などと言われたら、江戸に生まれて遊女になりたかった、などと勘違いする女性もいるかもしれません。そういう風に見せていますね。
東:私は20年以上前に、マンガで吉原の遊女たちの春画浮世絵を書いていた話を読んでいたことがあり、その漫画から、そういった表だった遊女以外の背景の話をたくさん知りました……。だからこそ、下層の遊女の気持ちを考えたら、悲しくなってしまって……。
上野先生:あなたは他の人よりも吉原についての予備知識をたくさん持っていたから、穏やかに見られなかったんですね。太夫と呼ばれた最盛期の遊女の年齢が16歳あたり、遊女の平均死亡年齢が21歳、22歳あたりで短命でした。年季明けまで生命がもたなかった女性たちがたくさんいました。苛酷な労働に粗末な食事、性病に罹る女性もたくさんいました。20歳ぐらい過ぎたら商品価値が落ちるので、次々に転売されます。どんどん格が落ちていき、商品価値も下がっていきます。
東:「玉菊」という三味線が得意な有名な遊女がいて、大夫までのぼりつめ、同僚の遊女にも性格が良かったため人気で、代々この三味線が引き継がれていき、追悼イベントも代々されていた、と展示されていました。ただ、それは本当に、きらびやかな人たちはトップ・オブ・ザ・トップの一握りですよね……。きれいな浮世絵がありましたが、下流遊女の浮世絵などが見たかったです。どんなつらい状況でどんな服を着ていたのかなど。だから、早く身請けされないといけなかったのですね。
上野先生:性産業は今でも若いほど価値が高い、年功逆序列です。日本の遊郭の1つの特徴は、商品の再生産を考えなかったことです。つまり、遊女はいくらでも代わりのいる使い捨ての消耗品扱いでした。
東:悲しく、ひどい話ですね……。
取材/東 理恵