
明るく飾らない人柄で、幅広い世代から人気の亜希さん。屈託のない笑顔はいつでも私たちの心を明るく照らしてくれます。亜希さんと言えば2008年〜2010年までSTORYのカバーモデルとして活躍した私たちの先輩です。15歳で福井県から上京してから、芸能生活約40年! 仕事でもプライベートでも様々な転機を迎える中、一歩先をいく憧れの先輩として今までのことやこれからのことについてお話を伺いしました。
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気負いすぎていたSTORYモデル時代。振り返ると薄っぺらい人間だったと思います

___STORYモデル時代のお話についてお伺いさせてください。
STORYでモデルをしていたのはもう15〜16年前になりますね。昔VERYでお仕事をいただいた時に、一回しか呼ばれなかったことがあって。だからレギュラーや連載を持っている人が当時はとても羨ましかったんです。私は結婚をして清原亜希になったことで『STORYのカバーモデル』というお仕事をいただいたと理解していたし、自分だけの実力じゃないのも分かっていたんです。だからこそ夫の名前を背負っている分、家族に迷惑をかけちゃいけないと変な皮を被っていました。撮影中は笑っているのにスタッフから「笑って」「笑って」と言われたり、自分ではちゃんと笑顔でカメラの前にいるのに「亜希さん、最後にちゃんと笑って」と言われたこともあって(笑)。その時はもう怖くなり、何が正解か分からなくて逆に笑えなくなってしまいました。今思えば緊張もありましたけど、作り笑いだったんですよね。枠からはみ出さないようにとか、キレイに見せたいばかりで、中身がついてきていなかった。だからあの時の私は薄っぺらかったと思うし、ただ撮影に行って、終ったら帰るだけのお人形さんだったと思います。

___とてもそんな風には見えなかったです。私は亜希さんと世代がドンピシャなので、亜希さんの表紙時代のSTORYは私のバイブルでした。
あの頃のSTORYは「大人ハンサム」を売り出していた時代で、でも普段の私のファッションは全然ハンサムじゃないの。やっぱりコンサバ感が出てくるし、可愛い感じも出てしまう。昔はコンサバなワンピースや女らしいスカート、ヒールも穿いていたんですよ(笑)。子どもは男の子2人なので、生活とともにカジュアルが加速して削ぎ落とされちゃいましたけどね。でもはじめて表紙撮影で着た服は一生忘れません。ボッテガ・ヴェネタの女性らしいカラダのラインが出るワンピースでした。表紙って衣装を変えて2パターン撮るんですよ。採用されなかった方は一生世の中に出ることはないので、とても贅沢な撮影ですよね。表紙のスタイリングは、上品なキレイめスタイルの栗原登志恵さんと、大人カジュアルの川田亜貴子さんがテレコで担当してくださったので、ファッションのテイストも違いとても楽しかったです。あの頃から服の面白さやブランドの面白さを勉強もさせてもらい、今に繋がっている気がします。
撮影中はシンデレラ。家に帰ると肝っ玉母ちゃん。このバランスが心地よかった
___当時はまだお子さんが小さかったと思うのですが、お子さん達はお母さんのお仕事を理解している感じでしたか?
理解というか、お母さんが”こんな感じの仕事”をしているのは分かっていましたね。でもSTORYの表紙撮影でシンデレラみたいにキレイにしてもらい、気分良く帰宅すると今までのシンデレラ扱いが嘘のように顎で使われるわけですよ(笑)。まずお化粧した顔が濃いから「怖っ」て言われます。子どもたちがまだ幼かったから、化粧が濃いお母さんはいつもと様子が違って近寄れなかったみたいです。だからまず帰宅したら化粧を落とすことからはじまり、それから洗濯したりご飯作ったり家事に追われていました。でもこういう現実があるからこそ、モデルのお仕事していても「お母さん」としての釣り合いが取れるんだなって思いましたね。だって24時間お姫様みたいな扱いされていたら勘違いしちゃうでしょ? だけどたまには「お母さん可愛いね」とか褒めて欲しいから、わざとSTORYの表紙をこれ見よがしにテレビの横に立て掛けておくんです。でも気づいたらテレビ台から落ちてるし、破れている時もあったり、ボールの的にされてる時もありました。男の子2人の子育ての現実はこんなもんですよ(笑)。
ーーー後編へ続きます
撮影/古水 良(cheek one) ヘア・メーク/岡野瑞恵(STORM) 取材・文/北野法子
ジャケット¥59,400、ベスト¥39,600、パンツ¥35,200(すべてChaos)お問合わせ先/Chaos GINZA SIX TEL:03-6264-6805