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【車いすバスケットボール藤井郁美選手】パラスポーツに全てを捧げた選手や家族の「パラリンピアン」STORY

障がいがあると「できない」「危ない」と思われがち。しかしパラリンピックでは障がいを感じさせない迫力あるプレーに歓喜するはず。耐え抜いた先に得るものがあると知っている選手たちは、新型コロナウイルスによる延期も〝プラス1年〟の力に変えました。何度も壁にぶち当たり、乗り越えて巡り合ったパラスポーツに全てを捧げた選手や家族の、試合では見ることができないSTORYを紹介します。

壁にぶち当たった時いつも家族が背中を押してくれた。〝チーム藤井〟で挑む私の最後のパラリンピックが開幕します

車いすバスケットボール代表 藤井郁美選手(38歳・宮城県在住)

北京パラリンピック4位 宮城MAX/SCRATCH/(株)電通デジタル所属

小学校3年生からバスケットボールを始めた藤井郁美さん。中学で所属したバスケ部は神奈川県でベスト4に進出し、県内の高校からスカウトの話も。そんな彼女を、中学卒業を目前にして病魔が襲います。「骨肉腫でした。右ひざと大腿の一部を切断し、歩行可能でしたが走ることはできず、バスケを続けられなくなってしまったのです」。
高校ではマネージャーとしてバスケと関わってきた藤井さん。しかし、選手としてコートに立てないことへの葛藤は常に心にあったそう。そんな時、バスケ部顧問に紹介されたのが、車いすバスケでした。「想像より激しく圧倒されました。でも、すぐ挑戦したいという気持ちにはなれませんでした」。
そんな藤井さんが、本格的に車いすバスケと向き合い始めたのは20歳の時。車いすバスケとの出合いから、ちょうど3年が経過した頃でした。めきめき頭角を現し、本格始動から3年後には日本代表に選出。そして’08年北京パラリンピックでは、日本のエースとして初出場し見事4位に! ’12年には車いすバスケの選手、藤井新悟さん(現在は富士通コミュニケーションサービス㈱所属)と結婚し、蒼空(そら)君を出産。しかし家族の存在が力となり、順調に歩んでいた藤井さんを、再び病魔が襲ったのです。「乳がんでした。大病続きの人生だったのに、まだ私に試練を課すの? という気持ちでした。全摘手術を選択したため、医師からは再建手術を勧められましたが、一日でも早く復帰したい思いを伝え、行わない決断をしました。夫も、治療の回復という目標だけでなく、選手としての復帰が私には大きな意味があることをすぐに理解してくれました」。術後1カ月、全日本代表合宿のバスケットコートの中に藤井さんの姿はありました。
東京パラリンピックを「バスケ人生の集大成」と考え、満身創痍の体にむち打って練習に励んできた藤井さん。そんな中でのコロナによる「延期」はショックが大きかったそう。
折れかけた藤井さんの心を再び前に向かせたのは、元車いすバスケ日本代表の夫、新悟さんの「つらくて苦しいのはわかる。でも今まで頑張ってきて、せっかく東京の舞台に立つチャンスがあるのに、自ら投げ出してしまうのはもったいない」という言葉でした。「この年齢までバスケを続けられるとは思っていませんでした。集大成となるこの大会を負けで終わりたくない! ここまでやってこられた感謝を胸に、勝ちにこだわり、チーム一丸となってチャレンジしたいと思っています」。

  • 「美しい放物線を描くシュートの正確性、車いすで走るスピード感、勢いあまって転倒もある選手同士の激しいぶつかり合い。初めて車いすバスケットボールを見た時、想像よりもずっと激しいスポーツだったことに驚きました」(写真はともにⒸ伊藤真吾/エックスワン)
  • 「 生後間もなくから私たちの練習や合宿に付き合ってくれた蒼空。今大会が終わったら、今度は蒼空のために沢山時間を使ってあげたい」
  • 「 今大会は『バスケ人生の集大成』と考えています」と語る藤井さん。
  • ’16年に生まれた蒼空君をつれて挑んだ、リオパラリンピック予選時の家族写真。

撮影/BOCO 取材/上原亜希子 ※情報は2021年8月号掲載時のものです。

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