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女優・須藤理彩さん「夫の七回忌を迎えて、ようやく言える『私たちずっと4人家族だよね』と」

「家庭を持って初めて受ける手術は怖い」と言った彼。支えることに必死でした

―――3回目の手術ですが、須藤さんにとっては初めてで、さぞかしご心配だったでしょうね。

はい。本人も、「結婚して子どもがいて、手術を受けるというのはこんなに怖いんだ」と言って不安がりました。だから、安心して手術が受けられるよう、彼の希望にこたえるのにただただ一生懸命で。毎日病院に通い、面会時間が終わるまで付き添いました。手術前日は記録的な大雪だったのですが、なんとか行かれるバスのルートを探して、病院にたどり着きました。翌日、無事手術は成功しました。腫瘍が右脳だったので、感性に障害が出ないか心配していましたが、それも大丈夫で。日に日によくなり、病室でギターを弾き始め、リハビリをして武道館ライブも開催できました。

―――日常が戻りましたね。

ええ、娘たちと散歩をしたり。でも、’14年に再発して。最初2回の手術で、許容量最大まで放射線を当てていたので、追加の放射線治療ができず、抗がん剤も効きにくいとのこと。家族、スタッフみんなでさまざまな治療法や医師を探した結果、大阪で治験を受けられることになりました。これは、結果的にはうまくいきませんでした。でも、治療法が見つかったときは、希望を持てたし、生活にもハリが出ました。4回目の再発のとき、余命2年と告げられましたが、本人も治験を受けることで、もっと生きる、治ると思うことができた。諦めなくてよかったと思っています。

―――その後も、音楽のお仕事と治療を続けられたのですか?

ええ。治験のあとは、副作用で半分の髪がごっそり抜けてしまって、帽子をかぶっていましたが、あるとき、「戦った証しなんだから、隠すのはいやだ」とそのままの髪でPVに出演したんです。そしたら、ファッションに見られて、カッコいいって言ってもらえて。よかったねって。

抗がん剤治療も続けました。でも、私が抱えて車椅子に乗せて病院に行くようになると、医師から「今日で最後にしましょう。ホスピスを予約してください」と告げられました。医師が夫に「尊厳死を選ぶか、延命治療をするか」と尋ねると、もう話すこともままならなかったのですが、夫はかたくなに延命治療を拒否しました。「私たちに決めさせてよ」と言っても、意思は固かったですね。

筆まめで、誕生日や結婚記念日、クリスマスなど、いつも手紙をくれました。こうしてひとつずつ読み返してみると、本当にストレートに愛の言葉を届けてくれていたんだなと。私にも、娘たちにも、真っすぐ愛情表現してくれる人でした。

延命治療も ホスピスも選ばず、そうして最期の瞬間まで 家族みんなで一緒に自宅で過ごしました

―――その後は在宅療養で?

ホスピスも予約して入れる状況でしたが、子どもの声が聞こえるところで過ごしたいという夫の希望を叶えたくて、’16年の5月から、私の実家に彼の両親も呼んで、みんなで一緒に暮らしました。

その年の夏、舞台に出演したのですが、劇中で、江波杏子さんが「死とは日常と隣り合わせにあるもの。親であれ、パートナーであれ、誰にでも起こりうる。過度に恐れすぎず、親しみを持って受け入れるもの」という内容の台詞をおっしゃるんです。私は、それを聞きたくて、出番でもないのに、毎日、舞台袖に張り付いていました。聞くたびに、死が日常の中にあるものと思えてきて。それで、ホスピスではなく、自宅で、と思えたのかもしれません。

―――ご自宅でご家族と最期の時間を過ごされたのですね。

はい。夫の意思を尊重し、延命治療はせず。10月9日に夫は旅立ちました。葬儀までの数日間も、自宅で過ごしました。寝ている姿はそれまでと変わらなかったので、娘たちは亡くなったことを理解していなくて。葬儀で夫が外に連れていかれると知ったときに、初めて泣きました。

―――ご葬儀後は、お疲れは出ませんでしたか。

3カ月くらいは、起きるのも辛くて、部屋に閉じこもり気味になり、食事も喉を通らなくて、一気に痩せました。でも、51歳で父を見送った母は、私の気持ちを理解してくれて。食べなさいとか、元気出しなさいとか言わず、放っておいてくれて、ありがたかったです。突然とめどなく涙が出てくるようなときも、「わかるわかる」と寄り添ってくれました。

これからは、自分で生計を立てて、子どもたちを育てていかなければならない。2人で分け合っていた責任が、私ひとりに掛かっているのだから頑張ろうと思えるようになったのは、1年後くらいでした。

―――お仕事を再開されて、子育てとの両立、大変ではないですか?

今も、実家暮らしをしていて、近くに住んでいる姉家族にも、助けてもらったり、家族やスタッフも状況をわかってくれているので、強がらずに、全面的に甘えて頼っています。夫は、いつも「こうしたらいいんじゃない?」という道筋を示してくれる人でした。それが、今も精神的な支えになっていて、私も子どもたちも、パパだったらどうするかを考えることで、迷わずに前に進むことができています。

お骨は、家においていました。そばにいてくれていると、安心できたんです。でも、今は、お骨がなくても、以前より夫が近くにいると感じられるように。亡くなった当初より、今の方が存在感が大きくなりましたね。それで、ようやく七回忌に納骨しようと思えるようになりました。

誕生日と命日にSNSに上げた写真です。見ていると、長女にせがまれてディズニーランドに行ったとき、「こういうときは我慢させちゃいけない」と言って、子どもが欲しがるものをワゴンごと買ってしまった、甘パパな姿を思い出します。

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