東日本大震災から12年。今も、被災地の復興・新しい地域づくりが進められています。街並みが変わっただけでなく、震災は、多くの人の人生を変える転換点にもなりました。今回は、20代、30代での被災経験をきっかけに、一歩を踏み出した方々のお話をうかがいました。
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東日本大震災を機に人生が変わった女性芸人が今思うことは
柳原志保さん 50歳・熊本県在住 防災・安心プランナー
宮城と熊本で被災した親子
〝防災を明るく元気に届けたい〟
「いつも」「もしも」に安心して
笑顔でいられるように
〝防災を明るく元気に届けたい〟
「いつも」「もしも」に安心して
笑顔でいられるように
シングルマザーとして新しい生活を始めたばかりの頃、宮城県で東日本大震災に遭った柳原志保さん。家は大規模半壊となり、家族は2週間の避難生活を余儀なくされました。
ホテルで働いていた柳原さんは、震災後も仕事が忙しく、同居する柳原さんの母親に子育てを任せっきりに。家族を養うためにと必死で働いていましたが、しばらくすると、子どもが赤ちゃん返りをしてしまいました。「母親に、『仕事の代わりはいるけど、母親の代わりはいないんだよ』と言われ、不安になっている子どもたちと一緒にいなければ、と気がつきました。震災直後、一時避難として長男が熊本県の妹の家に滞在していたのですが、町の人がとても良くしてくれて。恩返しができればという気持ちで、熊本に引っ越しました」。
熊本県和水町の地域おこし協力隊として活動していた頃、小学校のPTAで東日本大震災の話をしてほしいと依頼され、被災経験を話すことに。「口コミで広がり、他の町でも話をしました。講演後、『熊本では安心して過ごしてね』と言われるのですが、いつどこで何が起こるかわかりません。このままでは実際に災害が起きたときに、何もできないのではないかと思いました」。
防災士の資格を取った柳原さんですが、防災の難しく暗いイメージではなく、防災を元気に明るく届けたいと考えています。講演後に東日本大震災のチャリティーソング『花は咲く』を歌ったことから、いつしか『歌う防災士』と言われるようになりました。
また、暮らしの中で苦にならない防災を提案しています。「子育てをしながらでも、お金をかけなくてもできる防災はあります。物と知識の備えはもちろんですが、頼れる人の備えも重要だと伝えています。困ったことがあったら、行政や支援団体などで相談できる場所があるということも、東日本大震災の当時は知りませんでしたから」。
熊本に移住して4年後に熊本地震が発生。講演の依頼が一気に増えました。ボランティアで行っていた講演ですが、その頃から防災プランナーとして活動していくことに。さらに2年後には、柳原さんが住む和水町が震源の地震も起こりました。「私は防災の知識もあり備えもしていたので、不安がる子どもにも自信を持って大丈夫だよと伝えることができました」。
そんな柳原さんの姿を見て、次男も13歳のときに防災士の資格を取得。親子で講演をすることもあるそう。「防災は、家族や地域の人と一緒にやってほしいですね。〝もしも〟のときのために防災をすることで、〝いつも〟の生活を安心して過ごすことができる。結果、笑顔が生まれるんです。これからも、無限大にある防災啓発の入口を楽しみながら見つけていきたいです」。
取材/星 花絵 ※情報は2023年4月号掲載時のものです。