女性の社会進出すら遅れている日本の中で、トランスジェンダーたちは自分らしく生きるためにどれだけ苦悩し、つらい経験をしてきたのでしょうか。そして、家族たちはどのような思いだったのでしょうか。LGBTQを本当に理解するためには、そばで支えてきた人たちの声にこそ耳を傾けるべきなのかもしれません。はるな愛さんと母親である初美さんにお話をお聞きしました。
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はるな愛さん(50歳)、母・初美さん(奈良県在住)
はるな愛さん
テレビ・ラジオ出演に加え、お好み焼き店も経営するなどマルチに活躍。「ミスインターナショナルクイーン2009」では世界1位に。東京パラリンピック開会式のダンサーとして公募で選ばれ、感動的なパフォーマンスが話題を呼んだ。
身近な人がLGBTQでも
何もしなくていいんです。
普通に接すればいい。
それが自分の子だったら、何でも話せる
環境を作ってよく聞いてあげてほしい
何もしなくていいんです。
普通に接すればいい。
それが自分の子だったら、何でも話せる
環境を作ってよく聞いてあげてほしい
はるな愛さんは、幼いころから女性アイドルになることを夢見ていましたが、「人に知られれば一気に悪い噂として近所中に広がるような時代だったので、男らしく振る舞っていました」。
ところが、中学でいじめにあい、不登校に。「そんなとき、知り合いがニューハーフのショーパブに連れて行ってくれたんです。きらびやかな舞台を見て、ああ、これだと思い、そこで働き始めました」。
19歳で性別適合手術を受け、関西のテレビ番組に出演。上京し、女性として芸能活動を始めましたが、なかなか仕事がありません。「女の子になりきるのはやめようと思いました。男性の部分もあるのが私らしい。『賢示』という本名も明かして、楽しんでもらえるほうが嬉しいと」。
それが功を奏したのか、女性アイドルのモノマネでブレイクし、念願のゴールデンタイムの番組にも進出しました。「オネエはゴールデンやお茶の間は無理と言われていたのに、小さい子から、おじいちゃん、おばあちゃんまで見てくれて、好きと言ってもらえるようになり、すごく嬉しかった。腫れ物に触るようにされるのがいちばん嫌。芸人さんにつっこんでもらって返すのが私流のコミュニケーションなんです。でも、トランスジェンダーの方でもいじられたくない方もいるわけで、笑いを取るのはやめてほしいと言われたこともありました」。
そんなふうに先駆者として道を開いてきて十数年。時代は、急速に多様性を理解する方向に向かっています。
「LGBTQが何の頭文字かなんて覚えなくていい。百人いれば百通りのジェンダーがあるし、あてはめる必要はないんです。みんな違っていい。それは、障がい者も高齢者も同じで、各自のやりたいことを認め合い、それを実現できる公共の仕組みを作ることや、互いが補い合う気持ちを持つことが大切だと思う。もし、同僚がLGBTQと知っても普通でいい。私たちは特別ではないんです。その人を知りたかったら教えてもらえばいいし、嫌なら関わらなければいい。嫌だという人を排除はできないけれど、誰に対しても「気持ち悪い」なんて絶対に言ってはいけない。
ご自分のお子さんがLGBTQかもしれないと気づいたら、話を聞いてあげてほしい。子どもは親を悲しませたくなくて話せないかもしれない。でも、優しく手を広げて、何度でも話を聞いて。そして、その子がしたいことを認め、選択できるよう、環境を整えてほしい。少数者が生きやすい社会は、誰にとっても生きやすい社会。当事者の声に耳を傾け変えていかなければと思うんです」
母・初美さん「本当の気持ちを聞くのが怖かったし、パブの寮で集団生活を始めたときは、『賢示』の一生は終わったと思いました。でも、数年後、テレビ局の方と帰って来たとき、髪を伸ばしてスカートを穿いている姿を見て、もう何があっても応援するしかないと思いました。今は毎日電話をくれますし、買物や旅行にも連れて行ってくれます。親戚のお見舞いやら、車椅子の弟の面倒やら本当によくやってくれる自慢の娘です。体に気をつけて頑張ってほしいと願っています」
撮影/BOCO ヘア・メーク/田村俊人〈DIMPLY〉 取材/秋元恵美 ※情報は2023年5月号掲載時のものです。