フジテレビのアナウンサーとして活躍され、現在はフリーアナウンサーの高橋真麻さん。いつも明るいキャラクターの裏では「高橋英樹の娘」として生きる苦悩や世間からの声に悩んだ日々も。念願のアナウンサーになったあとも入社3年目で辛くて辞めたいと思っていたとか。そんな高橋さんに局アナ時代から現在のお仕事について話をお聞きしました。
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★ 念願の局アナに。でも待っていたのは辛い日々でした
★ 入社3年目でアナウンサーを辞めたいと思っていました
★ 会社を辞めなかったのは「高橋英樹の娘」だから
人に何かを伝える仕事をしてみたい
STORY編集部(以下同)ーーアナウンサーになりたいと思ったのはなぜですか?
父親が俳優で「人に何かを伝える」という仕事を身近で見てきて、私もそういう仕事がしたいという思いがありました。「人に何かを伝える」仕事は俳優やクリエーターやアーティストなどいろいろありますが、私は新聞や本を読み聞かせをしたり、自分が食べたものをレポートするのが楽しくて、そういうことが仕事にできたらいいなと考えていました。ただ俳優という父の仕事はもし病気になったり、何か事故にあってしまったら明日から働けない、収入がゼロになるという不安定であることも小さい頃から感じていました。なので、自分がやりたい仕事でさらに安定した仕事と考えたときに一番うまく交錯したのが、局アナという仕事でした。そこから局アナを目指すことに決めて、大学2年生の時から全局のアナウンサースクールに通い、採用試験を受けました。局アナは狭き門で、もちろん絶対になれるという自信もありませんでした。もしダメだった時のことも考えて、次に私が興味があるのは食べることだったので、アナウンサー以外にも外食産業や食品メーカーの就職活動もしていました。
念願の局アナに。でも待っていたのは辛い日々でした
ーーフジテレビの採用試験に見事に合格されて、局アナという夢が叶ったのですね
局のアナウンサーになりたいという夢は叶いました。ただ、入社してから「七光りだ、コネ入社だ、不細工だ」などとすごく言われました。自分ではアナウンサーになるために120%の努力をして、ようやく夢をつかんだと自負していて、自分の力で入社したと思っていましたが、世間からそうは思われていなかったのです。今の私ならテレビのアナウンサーにしてはそんなに可愛くないし、高橋英樹の娘だから忖度で入社したと言われても仕方がないなくらいに思えるのですが(笑)、当時の私はこんなに頑張って入社したのにどうしてこんなに叩かれなくてはいけないの!と思っていました。実際に多くの方に私を認識していただけるようになって「真麻ちゃんってコネだと思っていたけど頑張っているよねとか」「ニュースを読ませたらちゃんと読んでいるよね」と言っていただけるようになるまで5年かかりました。
入社3年目でアナウンサーを辞めたいと思っていました
ーーアナウンサーを辞めたいと思ったことはありましたか?
この仕事をやりたい、この番組につきたいと夢いっぱいで入社していたので、最初はそれが叶わないことにすごくストレスを感じていました。特に3,4年目はやりたいと思っていたアナウンサーの仕事がほとんどなくて、アナウンサー室の電話取り、お茶くみ、掃除、新聞取りをやっていました。自分がやりたい仕事ではなくて、「この日空いている女子アナでお願いします」というナレーションやレポーターばかり。組織で働くというのは自分がやりたい仕事をやる場所ではなくて、求められている仕事をやる、与えられた場所でいかに結果を出せるかが大切ということが今ならわかりますが、当時の私は「どうしてこの番組は私ではなくて、あの子なんだろう」「あの子は仕事がたくさんあるのにどうして私にはないんだろう」とひがみとか嫉妬ではなくて、自己嫌悪になって絶望していました。入社4年目くらいの時はストレスで37キロくらいまで痩せてしまって、辛くて辞めようと思ったこともありました。みなさんに私を認識していただいたのはバラエティ番組かもしれません。でも実は在局中の9年間はずっとニュースを読んでいて、それが私の中で「アナウンサー」という核でした。だからあれだけバラエティ番組でどつかれたり、いじられたりしても「私はアナウンサー」という思いがあったからできたのだと思います。今はこの9年間の局アナのキャリアがあるから、フリーアナウンサーになってからも、タレント業もアナウンスメントのお仕事も両方できているのかなと思っています。組織の中にいたから、人間関係の大変さも知ることができました。いい思い出も辛い思い出もありますが、全部が自分の糧になっているので、本当に古巣のフジテレビには感謝しています。
会社を辞めなかったのは「高橋英樹の娘」だから
30歳から高橋真麻の人生がスタートした
ーー入社3年目でやめたいと思っても9年間局アナを続けたのはどうしてですか?
会社を辞めたいと思った時も、ただでさえコネ入社だと言われた高橋英樹の娘が3年で会社を辞めたとなったら、「やっぱり英樹さんの教育が甘かったのね」と父親の名前に傷をつけることになると思い辞めるのを思いとどまりました。それはこの時だけではなくて、小さい頃からとにかく親の名前に傷をつけないように、いい子にしなければという思いはずっとありました。父親が一生懸命働いたお金で生活をさせてもらっている、勉強をさせてもらっているという気持ちがすごくあったので、とにかく親の名前に傷つけないように生きてきました。だから、中学、高校、大学の時も選択肢に迷った時は、どの選択をしたら一番親に迷惑をかけないかを優先して考えていました。常に「高橋英樹の娘」といわれる人生だったので、30歳くらいになって自分のキャリアができて、アイデンティ、キャラクターも確立されてようやく「高橋真麻」の人生がスタートしたと思っています。
撮影/沼尾翔平 取材/山崎智子