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40代が恋愛事情を語る! 「大人婚カップルの現実」

「同時に5人と結婚を前提になんとなく会って、私の中で夫は2番手でした」

今回の読者:
とよた真穂さん(仮名)・46歳
’70年大阪府生まれ。大学卒業後商社に勤務、25歳で健康サンダルの会社を起業。36歳で結婚し、東京へ嫁ぐ。
明るくポジティブな性格で、笑顔が絶えないとよた真帆さん似の長身美人。散歩とゴルフが趣味。

夫 ’60年神奈川県生まれ。会社員として多忙な時期に独立し、30代の終わりに起業。
食べることが大好きで、独身が長かった分、料理も得意。キレるとタチが悪いが基本は穏やかな性格。

目次 ★ なぜ私にプロポーズしないのか
★ 関西人の私は、人一倍負けず嫌いで、男性に負けるのも嫌。
★ 私の中で夫は2番手でした。
★ 東京に行く1カ月の間毎日スカイプ。
★ 「その人やわ」の一言が決め手
★ 料理の味でもめ、大喧嘩。
★ あっという間の10年
★ とはいえ…

なぜ私にプロポーズしないのか

「36歳で結婚するまでは常に恋人がいて、それも1度お付き合いすると長く、7年、5年、短くても2年は交際しました。でもなぜか結婚話に発展することなくお別れし、元恋人はしばらくしたら私と正反対のタイプの女性と結婚する、というパターンが繰り返されていました。私自身に結婚願望がなく、結婚を考えて付き合っているわけではないので、選ぶ人はただただ一緒にいて楽しかったり、イケメンで顔を見ているだけで癒されたり……。しかし経済力がない、経済観念に欠けているなど、はたと考えると一生をともにするには決心がつかない人ばかりでした。とはいえ、その後みんな結婚するので、なぜ私にプロポーズしないのか、ふと疑問に思うこともありました。

関西人の私は、人一倍負けず嫌いで、男性に負けるのも嫌。

仕事も20代で健康サンダルの会社を起業し、経営者としてばりばり働き、すべての世界の中心は私! だから結婚も、結婚してあげる感覚で、何歳になっても引く手あまた、結婚なんていつでもできるくらいに思っていました。
でも友人は次々に結婚し、残るは私1人になった30代半ば、私は男性から結婚に選ばれない女だったんだとようやく気が付いたのです。当時2年間交際していた人とも破局。それまでとは違う穏やかな性格で、ぼんやりと結婚を意識した人でしたが、経済観念の違いで別れました。
でも、この交際がきっかけでそれまでは好きな情熱が幸せと考えていたのを、穏やかな温もりも結婚には大事なんじゃないかなと方向転換できるきっかけになりました。そこから真剣に結婚しようと急にスイッチオン。
同時に私が私がと言いたいところを、控えめな自分を演出するようにも。そうすると今までは選ばなかったけど、結婚の対象となる人はいっぱいいることに気が付きました。まずは仕事を通して出会った膨大な名刺を繰って、あ、この人もありだ、見てなかっただけだったと見方が180度変わったんです。

私の中で夫は2番手でした。

いいのではと感じた人に片っ端から電話をして、その中で4人と再会することになりました。加えて、夫とはその半年前に東京で出会い、まったく興味なかったのですが、再び東京に出張することになり、すでに婚活スイッチが入っている私は「会わない?」と自分から連絡してみたんです。当時夫は46歳、印刷関係の会社を起業して軌道に乗り、経済力も社会的地位もある人で穏やかな印象。ただ太っていて100㎏くらいはありそうな体格。私は太っている人が嫌いで、最初に会ったときは箸にも棒にも掛からぬ人でした。夫を含めそのとき同時に5人と結婚を前提に置きながら、なんとなく会って、私の中で夫は2番手でした。

東京に行く1カ月の間毎日スカイプ。

で、その連絡を夫は喜んでくれ、それから東京に行く1カ月の間毎日スカイプ。タイプじゃない顔はあえて伏せ、声だけで会話。夫は声が良くて、姿を見ないとこんなに話せて盛り上がるんだとびっくり。友達には「声だけ福山なの」と笑い話にするくらい美声でした。くだらない話しかしていませんが、穏やかな人柄に惹かれ、会うのも楽しみでした。私も自分を抑え、相手に合わせる会話を心掛けていました。ちょっと怖い気もありながら会った途端、「あ、福山じゃない」とがっかり。あんなに盛り上がっていたのに、恥ずかしさでお互いぎこちなく、でも1週間の滞在中ほぼ毎日会い、プロポーズもされました。でも私のテンションは下がっていて、「今すぐ返事はできません」と大阪に帰りました。悪くはないけど決め手もなかったんです。

「その人やわ」の一言が決め手

母に「結婚してと言われたけど、46歳で太ってるの。アトピーもあるし」と気負わずそのまま素直に話していると、「その人やわ」と言うんです。今考えても不思議ですが、その一言が決め手になったんです。つくづく年齢を経た結婚には誰かの後押しが必要だと思いました。夫はそのままフェイドアウトされると感じていたそうですが、返事をしたらすごく喜んでくれ、とんとん拍子に結婚が決まりました。私の希望で結婚式は挙げず、夫が買ったばかりの東京のマンションに身一つで嫁ぎました。新婚旅行はマイアミ。でもそこから悪夢の3年間が始まったんです。旅行中もことごとく意見が合わず、レストラン1つ決めるにもお互いが我を通すので喧嘩。ステキなカフェでお茶したくても、車であっさり通り過ぎられたり、買物にも理解がない。夫は基本は穏やかな性格だけど、キレると厄介な人だということがわかってきました。アメリカに置き去りにされ、成田離婚だなとマジで思うほど、最悪の旅になってしまったんです。

料理の味でもめ、大喧嘩。

生活がスタートしてからも、料理の味でもめにもめました。夫は食べることが大好き。だから太っているんですが(笑)、思い出すのは、結婚前東京に行ったときに、料理のテストと言われて肉じゃがを作らされ、「合格」と言われたことがあったんです。料理は得意と話していたんですが、東京と関西だから味付けが違うし、食べ物が合わないと両方が辛いというのが夫の考えでした。だから夫の味に合わないと、お箸を置いて一切食べない。「せっかく時間をかけて作っているのに、悪いと思わないの?」「料理はあなたの仕事でしょ。ミスしたらやり直すのが当たり前」と大喧嘩。徐々に私も本来の性格が出るようになっていました。これは氷山の一角で、喧嘩するとことごとく歯向かい、絶対に「ごめんなさい」と言わない私に夫はキレまくりました。怒らないととても穏やかでいい人なのに、怒るとどうしようもない夫の性格が日に日に浮き彫りになっていきました。週2回は大喧嘩をし、本当は子供も欲しかったのにそんな気にとてもなれません。「母を呼んで離婚の話し合いをしよう」と言う局面まで発展したこともあったし、何度も真剣に離婚を考えました。でもある日、いつものように夫が「まずい」とお箸を置いたとき、いつもならカチンと来るのに、「疲れて帰ってきてるのにご飯が美味しくなかったら食べるの嫌だよな」と素直に思えたんです。そのときから、すぐに作り直せるように、冷蔵庫に食材をストックしておくようにしました。夫も私が忙しくしていると、今日は外食にしようと連れて行ってくれたりも。亀の歩みですが、お互いが徐々に相手の気持ちを考えられるようになっていたんです。

あっという間の10年

私に鈍感力も付いてきて、少々怒られても「ふーん」と流せたり。ともに36歳と46歳まで自分のことだけ考えて自由に生きてきたわけです。衝突して当然だったんですよね。5年過ぎたあたりから距離感が摑めて、徐々にラクになっていったんです。話し合ったわけでもないのに、どんどん良くなって、一昨年より去年、去年より今年の方がうまくいってます。死ぬまで一緒にやっていくしかないとお互い腹を括れたんだと思います。実は、結婚前、たとえ暴力夫だとしても離婚はしないと決意していました。それも忘れるくらい、一時は離婚に傾いてはいましたが……。考えてみれば60歳過ぎたら人生のもめごとって減ると思いませんか? そうすると結婚が遅かった私たちは、普通に結婚した人が30年耐えるところを、20年耐えればいい。それなら我慢できると思うんです。結婚して10年経ちましたが、あっという間でしたからね。

とはいえ…

とはいえ私たちはセックスレス。40代まで独身でいた男性は性欲がそれほどない気がします。友人の話も共通していますよ。でもいつも触れ合って眠り、歩くときも手をつないでいます。お互いが今の状態を良しとしているので何の問題もないですね。自分でも信じられないけど、幸せなんですよね」

STORY11月号「40代にはまだLOVEもドラマもあっていい!」より転載

 

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