母の最期は、人それぞれ違います。そばで見送れた人もいれば、会えないまま別れを迎えた人もいる。時間の重さも、受け止め方も、同じものはひとつとしてありません。それでも胸に残るのは、確かに過ごした時間と、その人の記憶。それぞれのかたちで抱えながら、いまを生きている人の物語です。
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前田有紀さん 45歳
株式会社スードリー代表取締役・フローリスト
大好きな母は心の中に、父の中に
いつもいると思えるように
いつもいると思えるように
「母はいつも私の応援団長でした」という前田有紀さん。「アナウンサーを辞めたいと言ったとき、父は大反対しましたが、母は認めてくれました」。
留学後、花屋に再就職したときも、結婚し、妊娠を機に独立開業したときも、出産後、育児や仕事に追われているときも、お母さんはいつもサポートしてくれたと言います。「手の込んだ料理を作る暇もない私に代わって、長男が好きなグラタンを作ってくれたり、誕生日にケーキを手作りしてくれたり。家族全員が胃腸炎で倒れたときも、飛んできてくれました。何でもできて、いつも力を貸してくれました」。
そんなお母さんが、調子が悪いと言い始めたのは、 ’21年のこと。「検査の結果は、すい臓がん。ショックでした。でも、自分で調べて治療法を試し、普通に生活していたので、私は子どもを連れて様子を見に行くくらいで、看病することもなかったんです」。
ところが ’23年の夏、急に体調が悪化し、緩和病棟に入院。それでも「『ここは、ごはんが美味しいし、栄養もとれてホッとしたわ』とか『洗面所まで歩いて筋力つけなきゃ』とか、とてもポジティブでした。間もなく食事も会話もできなくなりましたが、職場に協力してもらい、最期はできるだけ母の元で過ごしました。
お母さまが旅立たたれたのは ’23年11月。「次々やりたいことを見つけて前に進む人生でしたが、無気力になり、何もする気が起きませんでした。私が今まで頑張れたのは、母に支えられていたからなんだと改めて気づきました」。
半年ほど立ち直れずにいましたが、日々の子育てや仕事は続き、その中で少しずつ前を向けるようになっていきました。「夫が自宅近くの海や山に連れ出してくれて。自然にも癒されました」。
何より前田さんを励ましたのは、お父さんの存在。「母の分まで頑張ろうと家事をこなし、子どもたちのお稽古事の送迎から、お店の会計の入力まで買ってでてくれるように。昔は厳しかったのですが、心配性になって……。そんな父の中に、母の姿を見つけられるようになりました。寂しさを分かち合える一番の相手でもあるので、お茶や食事をしながら、母の話をしています。
幼いころ、実家の玄関には母が生けた花がいつもありました。多忙なアナウンサー時代に花に癒され、花を仕事にしようと決めたのも、母の影響だったのかもしれません。悲しみに暮れていたとき、知人が『今は悲しいけれど、お母さんはあなたの中にいると思えるようになる日が来るよ』と言ってくれましたが、今ようやく、そうだなと感じられるように。母に安心してもらえるようこれからも歩んでいきたいと思っています」。
カーディガン¥44,000(ウィム ガゼット 玉川髙島屋S・C店/ウィム ガゼット)ワンピース¥40,700(マリハ)ネックレス・イヤリング・スカーフ/スタイリスト私物
撮影/吉澤健太 ヘア・メーク/高橋未羽(ATELIER KAUNALOA)〈前田さん〉スタイリスト/徳永千夏 取材/秋元恵美 ※情報は2026年7月号掲載時のものです。


















