ドラマ『JIN -仁-』の南方仁や『臨場』の倉石義男、『きのう何食べた?』の矢吹賢二など、様々な役柄を自分のものにしてきた内野聖陽さん。徹底した役作りで知られる名優が、シェイクスピアの四大悲劇の一つ『リア王』に挑みます。演じるのは、娘たちの愛情を言葉で量ったために、全てを失うことになる老王リア。役作りの一環として早々にひげを伸ばし始めたという内野さんに、作品や年齢との向き合い方などについて伺いました。
演じるリアは、毒親みたいな言動だらけ。ある意味、人間らしい気がしています
――ドラマの劇中劇で『リア王』を部分的に演じたことから、今回の舞台への挑戦を決めた内野さん。改めて『リア王』の戯曲と向き合って、気付いたことを教えてください。
まず、親子のあり方が面白いなと思いました。たとえば、ゴネリルは長女なんですが、親って一人目の子に過剰な期待をして厳しく育てがちじゃないですか。だから一人目の子は優等生というか、親の期待にそうように生きようとするところがある。リアに美辞麗句を並べ立てるゴネリルには、それがよく出ているなと感じます。次女のリーガンは、そんな姉の姿を見つつ、もう少し情感とか女性性といったものも上手く絡めたアプローチでリアと接してくる。コーディリアは末っ子で、頑固な部分がリアと共通しています。
――三姉妹の典型的な特徴がよく表れている気がします。
ある意味、ありがちな三姉妹ですよね。『リア王』は昔の説話から素材を取っていて、『シンデレラ』の三姉妹(意地悪な義姉二人とシンデレラ)も影響しているそうです。非常に極端な世界観ではあるけれども、そんなふうにありがちな関係性や失敗が描かれているところに、面白さを感じます。リアにしても、毒親みたいな言動だらけで、お客様は「なんだこの愚かなジジイは」と思われるかもしれませんが、改めて読み解いていくと「でも人間って、こういう愚かなところがたくさんあるな」と感じるんです。そもそも、親が年を取って子どもに甘えたり、頼ったりすることって、結構ありません? リアの言動はかなり極端ですが、ある意味、人間らしい気がしています。
――そんな内野さんが主演を務める『リア王』、より身近で普遍的な物語に感じられそうです。
そうなったら嬉しいですね。ただ僕は、リアが“王権は神から授けられたもの”だとされていた時代の王様だというところも大事にしたいと思っているんです。リアのセリフに「太陽神アポロに懸けて」とか「我らの生死を司るすべての天体の運行に懸けて、いまここで誓う」というのがあるんですが、シェイクスピアはそういう大きな世界観の対比として、矮小な存在である人間を描いているように感じるので。そんな“神と繋がっていた王”が王権を手放し、娘に裏切られた途端に、アイデンティティを失い、狂気に陥る。それを類型的に演じるのではなく、そうなる必然性というか説得力みたいなものを見つけながら演じたいというのが、今の自分の志です。
――リアの悲劇は、娘たちの愛を言葉で量ったことから始まります。偉大な王は、どうしてそんな愚かなことをしたと思われますか?
力強いリーダー性はあっても、見えていないこともあるんじゃないでしょうか。自分が虚飾に満ちた世界に生きていることに気付いていなかったんだと思います。その虚飾が剥がれて無一物の裸になった時に、初めて本当の愛がわかる。そういう意味でも、冒頭の“愛情テスト”は面白いし、ものすごく大事なシーンになってくると思います。
――内野さんご自身は、親御さんとどんな関係だったのでしょう?
僕が育ったのは、まだまだ家族制度みたいなものがしっかり残っていた時代なので、基本的に“子どもは親に従うのが当たり前”という感じでしたね。当時はたぶん大半の家庭がそうだったんじゃないかと思います。僕には姉が二人いるんですが、リアの親子関係と結構通じる部分を感じますよ。ただ、うちは寺で、僕がそこを継ぐ・継がないということに関しては、親に従わなかったので、そこの軋轢みたいなものは、やっぱりありましたけど。
自由になるためには、地味で地道な作業が不可欠なんですよね
――徹底した役作りで知られる内野さんが、役を演じる時に大切になさっていることを教えてください。
まずは、人物のざっくりとしたイメージですね。それから、セリフ。台本を読んで、いつも「こんな言葉を普通は言わないな」と違和感を持つところから始まります。そりゃそうですよね、自分じゃない人を演じるわけだから。じゃあ、どうしたら言えるようになるんだろう?と考えて、違和感なく言えるような回路作りをしていく。やっぱり、セリフがいちばんのヒントになりますね。
――途中で投げ出したくなることはありませんか?
それはもう、しょっちゅうですよ。たとえば今回は、最初に僕と演出の森(新太郎)さんで時間を掛けて、オリジナルに則した松岡和子先生の素晴らしい翻訳を、僕らが上演する台本にしていく作業をしたんです。一言一句にこだわりながら、現代の人が可能な限りストレスなく聴けて、物語に没入しやすいようにセリフを微修正するという、本当に地味で忍耐力の要る作業をやっていると、もう嫌になっちゃうんですよ(苦笑)。でも、この作業をないがしろにすると、後で苦しむことになる。やっぱり、自由になるためには、地味で地道な作業が不可欠なんですよね。
――しかも、それはまだ準備段階ですよね。
そうです。台本ができたら、その言葉を体得するために、自分の声を録音して確認したりしながら、とにかく何度も何度も口の中で転がしていく。特にシェイクスピアのセリフは修飾語がいくつも付いていますからね。長ったらしいセンテンスを何度も口ずさんで、最適なブレスポイントを見つけながら、お客さんにいちばん耳心地のいい音を探していく。本当に地味で、執念深いパワーと努力が必要です。なので、嫌になる瞬間はたくさんあるんだけれども、自分をなだめすかしながら、上手く休息を入れつつやっています。
――本当に地道な作業をなさっているのですね。でも、立ち稽古が始まれば楽しいのでは?
いやいや、それがまた地道なんです。演出家や共演者と、ああでもない、こうでもないとトライを繰り返していって、ようやく流れ始めると、やっと「今のいいんじゃない?」というようなシーンが見えてくる。その繰り返しですから。特に今回はシェイクスピアで、森さんは粘り強い演出家。僕としては険しい山に修行に入るような感覚で、楽しい時間ばかりじゃない。なかなか流れなくて苦しい時の方が多い。とはいえ僕自身も、やっぱりクオリティを上げていきたいですから、ある意味それは喜びでもあります。もちろん、ガッツは基本ですけどね。
――嫌になるほど地道な作業にもかかわらず立ち向かっていく、内野さんのガッツの源は何でしょう?
何でしょうね……。それは僕のプライドかもしれないです。ライバルとの戦いというのも自分を焚きつける材料としては大事だけれども、僕は自分の理想との戦いのほうがよっぽど大事だと感じていて。「俺はこの境地に行きたい」という意地みたいなものが、自分を燃え立たせている気がします。
実は僕は最近、プライドという言葉に敏感なんです。今の社会でプライドとか言ってると生きづらくなるから、普段は自分の中にあるそういうものを見ないようにして生きているんですが、リア王をやるには、役者としてのプライドが絶対に必要だなと感じていて。内野聖陽のプライドというものを、改めて呼び覚まさなくちゃいけないなと、強く思う今日この頃です。
『リア王 -KING LEAR-』
王位と領土を譲渡するため、3人の娘に父への愛情を示すよう命じた老王リアは、甘言を弄した長女と次女に領地を与え、誠実な最愛の末娘コーディリアを勘当する。しかし、権力を手にした長女と次女はリアを疎んじ、リアは荒野へ出奔する。一方、臣下のグロスター家では、嫡男エドガーが私生児エドマンドの謀略にはまり……。
作/ウィリアム・シェイクスピア 翻訳/松岡和子 演出/森新太郎 出演/内野聖陽 前田公輝 井之脇海 清水くるみ 川上友里 内田慈 大山真志 永島敬三 和田正人 杉本哲太 山路和弘 ほか
9月21日~10月4日/東京芸術劇場 プレイハウス 新潟、愛知、兵庫、岡山、福岡公演あり
https://kinglear.geigeki-classics.jp
取材・文/岡﨑 香 ヘア&メイク/佐藤裕子 スタイリスト/中川原寛 撮影/田中駿伍











