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Lifestyle40代にはまだLOVEもドラマもあっていい!

一人目の夫は計画性のない借金。次は酒癖…初婚・再婚のリアル

結婚より離婚は大変と言います。当分再婚は……、と二の足を踏む40代も多いことでしょう。二度目は趣味も相性も金銭感覚もぴったりの人と結婚したい! 今月は再婚相手のリアルを語っていただきます。

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目次 ★ 二度目のリアル

二度目のリアル

◯ 話してくれたのは...香里音さん(仮名)

愛知県生まれ。短大卒業後美容師免許を取得。美容師を続けながら23歳で結婚。24歳で長女、26歳で長男を出産するも40歳で離婚。45歳で再婚後は飲食店でのアルバイトを続けている。香里奈さん似の華やか美人。
夫 神奈川県生まれ。26歳で結婚後2男児をもうけるものの、酒癖の悪さから38歳で離婚。40歳で再婚し、現在はガソリンスタンドを営む。趣味はライブに行くこと。

5歳年下の夫と再婚して早4年。1度目の結婚で苦しんだ金銭苦はないものの、再婚では新たな悩みも発生し、「人生は修行ね」と自分を納得させつつ笑い飛ばして、今は幸せな結婚生活真っ只中にいます。

最初の結婚は23歳のとき。当時私は美容師で、勤務していた美容院へ行く通勤途中にあった元夫の実家のレストランに勤務する彼と毎朝顔を合わせていました。毎日同じ時間に挨拶をし、そのうちご飯を食べに行き、自然にお付き合いが始まりました。お互い接客業で話も合い、5歳年上の彼は優しくて誠実。とんとん拍子に結婚が決まりました。すぐに長女長男と続けて出産。裕福ではありませんでしたが、普通に家族4人で幸せな日々を送っていたんです。

ところが、結婚10年目が過ぎる頃に、独立して自分のカフェを持ちたいと真剣に言い始めたのです。マンションも購入しており、資金もなく、私は大反対。夫自身も金銭的に無理だと1度は諦めました。しかし、それから4年後、再び独立したいと。夫の性格はポジティブなところはいいのですが、軽いノリで物事を判断するところがあり、この人が経営をやって行けるだろうかと、金銭問題以上に心配で、またもや反対しました。

すると夫は「俺の人生の邪魔をするな」と一言。自分の理想とするお店の経営も明確に描いているんです。もう、それならば「やりたいようにやれば」とつい許してしまったんです。結果私が賛成したということになって、後々後悔することになりました。私が言うのもなんですが、うちの子供達は小さい頃から大人っぽくて、子供達も「お父さんには無理。なんで許したの?」と責められました。

結果、物件探しから心配の種は尽きませんでした。たまたま自転車で通りかかった商店街の一角に空き物件があり、「ここは直感でいいと感じる」と、どれくらいの需要があるかも検討せずに決めてきました。正直ここでは無理じゃないかというような、商店街の端っこだったのですが、もう夫は聞く耳持たずで、そこに決定。ここが元カフェなら初期費用もそれほど掛からなかったのですが、1から工事をせねばならず銀行で1千万を借り入れました。そんな大金、余程お店が繁盛しなければ返せないと私は不安でいっぱい。夫も銀行の審査が下りなければいいというようなことをちらりと言ってましたし、本人もちょっとまずいかなというのがどこかにあったのだと思います。

でも審査も通り、回り始めた車輪は止まりません。その頃から、顔を合わせば喧嘩が繰り返されるようになって行きました。理想だけは神々しく掲げていて、とにかくオシャレにしたいからと、カフェとはわからない外見にしたり、椅子にお金をかけたり。全てにおいて計算せずに、インスピレーションで決めてしまう

数カ月で開店しましたが、案の定、わかりにくい外見に「ここカフェなの?」と言われる始末で、早々と外観のリフォーム工事をしました。それでも客足が少なく、土日は繁盛しても平日は閑古鳥が鳴いていました

私はといえば、子育てしながら美容師はきつかったので、ほかの飲食店で長年アルバイトを続けていました。夫のカフェを手伝うこともあったのですが、ほかで稼いだ方が効率が良く、仕事は続けていました。そのパート費で何とか生活、贅沢は一切できなかったし、年1度の家族旅行もできなくなりました。洋服やバッグも買ったことなかったですね。

でもいちばん許せなかったのは、長男を中学受験させたかったのに、無理だと言われて泣く泣く諦めたこと。子供に影響が出るのは本当に辛かったですね。毎日毎日罵声を飛ばす夫婦げんかは続きました。夫からは「君も賛成した」という言葉を常套文句にされ、毎日はらわたが煮えくり返り、後悔ばかりしていました。

借金はある、お店は繁盛しない、でもやめることはできない、八方ふさがりでした。気付けば私たちは顔を合わせても喧嘩しかしなくなっていました。子供の前でも大喧嘩で、このままでは家族が崩壊すると思い、考えた挙句、夫は実家、私たち3人は元の家で暮らす別居生活をスタート。でも離れて住んでも金銭問題が解決しない限り、何も変わらなくて、結局別居から1年後私が40歳のときに離婚しました。もううんざりでした。

金銭的には心配でしたが、収入が少なかったので、母子家庭になると国からの補助を受けられ、医療費も家族全員無料、子供の学費も奨学金を利用しました。夫は誠実な人ではあったので養育費は少額ながら払ってくれました。そうすればぎりぎりですが、私のパート費用で暮らしていくことができたのです。

子供達も納得していると思ってましたが、息子が私の母に「なんで離婚したんだろう」とぽつりと言ったそうで、冷静になった今思うと、子供は親が喧嘩をしても別れないでほしかったんだろう、あの時の私は息子のデリケートな気持ちまで理解することができなかったと思うこともあります。我慢と言う選択もあったし、一方で、離婚してなかったら今も状況は変わってなかったかもしれない、正解はわからないけれど、離婚という選択は子供中心に余程考えるべきだと本当に思います。とはいえ3人の生活は快適で楽しく暮らしました

やがて離婚から数年後に友人の紹介でガソリンスタンドを経営する今の夫と出会いました。夫も2人の子供を残して離婚していました。なのでとても話があったんですね。ただ、離婚原因が夫の酒癖の悪さと聞いてこの人とは結婚できないと思っていました。夫は暴力や人格が変わると言うのではなく、お酒を飲み始めると止まらなくなり、問題行動を起こしてしまうんです。

ところがプロポーズされ、受ける条件にアルコール依存症などを治療する病院を受診してもらいました。そこでテストをした結果、医師から断酒を勧められたんです。夫は不本意そうでしたが、解決しないと結婚しないと伝えていたので断酒してくれたんですね。と同時期に、元夫から借金が払えないからマンションを売りたいと連絡があり、それがきっかけで再婚話が進み、子供達も賛成。2人とも大学生だったので、夫と私が新しく住む家の中間地点にマンションを借りました。そうやって環境に後押しされて、再婚したのが45歳でした。

夫は本当によくできた誠実な良い人で経済力もあります。酒癖さえ除けば。私がお酒を飲まないので考えが甘くて、1年間断酒後再び飲むようになりました。また酔っ払ってケガをしたり、スタッフと喧嘩したりなど、問題行動が出てきました。持ち物を全部投げ捨てて帰ってきたときは、「もう無理、嫌、離婚する」と言うと、土下座をして心の底から謝ったので、もう1度チャンスを渡す代わりに丸坊主にさせました。今は断酒を続行中です。

人と暮らす以上、何かしら悩みがあるのは当然ですよね。1度目の結婚の反省から、悪いところだけじゃなく良いところを冷静になって考えるようにすると、夫と離婚という選択はないし、まだまだ一緒にいたいと思えるんです。夫婦は他人だということも常に意識しています。

前は、夫も子供と一緒で、こういえば言うことを聞いてもらえるかなと安易に自分本位に考えるところがありました。でも夫は生まれも育ちも違う、違う人だと意識しなければいけないと思っています。だから、自分のルールを押し付けることもやめました

食事の仕方など日々の暮らしの中で、どうも鉄板ルールを相手に押し付けがちな私。でもルールや縛りを作ってしまうと自分が一番苦しくなるということがわかりました。私が四角四面だったんですよね。

取材/安田真里 イラスト/あずみ虫 ※情報は2019年掲載時のものです。

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